ミスターベイスターズ
ベイスターズファンは心配していた。生え抜きのベテラン、石川雄洋がファームから上がって来ないことを。
思えば昨年、チームが20年振りに進出した日本シリーズにも、死闘を演じたCS(クライマックス・シリーズ)にも、石川の出場機会はなかった。
オフにはFAで大和を獲得。倉本寿彦、柴田竜拓の3人で二遊間を争う状況がキャンプからずっと続いていた。同じような立場の田中浩康は5月4日に一軍に呼ばれたが、石川はファームでも調子が上がらず、打率は2割そこそこ。ファンは「まさかこのまま……」とヤキモキしていた。
石川自身も、ファームでは「タイミングの取り方や、ボールの見方など、バッティングがぐちゃぐちゃになっていた」と振り返る。そのため、この時間を焦らずじっくりと見つめ直す機会として割りきった。すると徐々にではあるが、感覚が戻りはじめたという。
石川という存在
関東地方で梅雨明けして間もない7月1日、ついに一軍からお呼びの声がかかる。昇格したその日に代打で登場すると、満員のスタンドから大歓声が上がる中、「1打席1打席が勝負」と強い気持ちを内に秘め、バッターボックスへ向かった。結果は遊ゴロに終わったが、久しぶりの一軍の舞台で受けた歓声に、「嬉しかった。いいところ見せなければ」と、応援してくれるファンへの思いを新たにした。
7月3日に初ヒットを記録すると、同4日には9番セカンドでスタメン出場。ウリの打撃は好調だが、仕事はそれだけではなく、守備固めに代走と多岐に渡る。7月25日のドラゴンズ戦では、守備から入った場面で好守を見せピンチを凌ぐなど「出場した試合で結果を出せば、チームのためになる」という言葉通りの貢献を体現している。
チームは投打が噛み合わず、苦戦を強いられている。早打ちの多い打撃陣にあって、粘れる石川のようなタイプは貴重な存在だ。レギュラーを張っていた時代は、いやらしいトップバッターとして鳴らしていた。8月12日のタイガース戦で、11球粘った末の12球目に押し出しの四球を選んだシーンこそ石川の真骨頂。外見からクールな印象を持たれる事が多いが、実は熱いハートの持ち主でもある。この場面で思わず見せたガッツポーズが、それを証明している。
14年目の覚悟
地元の名門、横浜高校出身のスタープレーヤー。2010年には打率.294、盗塁36を記録した。2012年にはベイスターズ初のキャプテンに就任し、チームをまとめた実績もある。しかし年々出場機会は減り、昨年は肘の手術の影響もあって、わずか63試合の出場に留まった。
それでも7月以降、徐々に出場機会を増やし、節目の1000安打まであと「25」本と迫っているが、 14年目を迎えた 石川の頭の中には、「与えられた仕事をしっかりこなす」ことしかない。それが結果に繋がり、経験の少ない若いチームになくてはならない、ベテランならではの存在感につながっている。
横浜高校の先輩、鈴木尚典から受け継いだ背番号7。石井琢朗の後を継いだショートの座。歴史を知る多くのファンにとって石川雄洋は、特別な思い入れのある選手だ。まだ32歳。決して老け込む年齢ではない。
高校からトータル17年間「YOKOHAMA」のユニフォームに袖を通し続ける男は、栄冠を掴むその日のために、今日も輝きを放ち続ける。
取材・文=萩原孝弘(はぎわら・たかひろ)