白球つれづれ2018~第28回・新井貴浩の魅力
人事の秋である。9月9日、BCリーグの栃木に籍をおく村田修一が現役引退した。横浜DeNAから巨人にFA移籍。数々のタイトルを獲得してきた強打者もチームの若返り策の前に昨年、退団を余儀なくされた。
栃木のユニホームに袖を通した後もNPB復帰の道を模索したがついに声はかからなかった。涙ながらの引退劇は、ファンへの感謝はもちろんだが無念の悔しさがあったことも間違いない。さらにその古巣・DeNAでは「ゴメス」の愛称で人気を博した後藤武敏の今季限りの退団も明らかになっている。この2人に共通するのは松坂世代。ひとつの時代は間違いなく最終章に向かっている。
それよりも一週間ほど早い今月5日に広島の新井貴浩が今季限りの引退を発表した。41歳、プロ20年生の顔に涙はなかった。チームは首位を独走中。頼もしく成長した後輩たちの姿を見るにつけ、「今年がいいんじゃないか?」と決断したという。「日本一になってかわいい後輩たちとうれし涙で終われれば最高だと思う」。実現できればこれ以上の去り際もない。
人間の教科書
不器用にして愚直。豪快の中の繊細。新井という男にはチームメートにもファンにも愛される魅力が詰まっている。その生き様を端的に言い表している言葉をスポーツニッポンに掲載された関係者の談話から抜粋する。
まずは駒大時代の恩師である大田誠前監督の言葉に感銘すら受けた。
「当時から技術は三流、体力は超一流のウドの大木。失策するから、明日は使わない、と言ってもお願いしますと明るく向かって求めてくるんだ。人間だから挫折はするが、“もう駄目だ”ではなく“まだ駄目”と這い上がっていく。あいつは人間の教科書」
駒大時代の通算本塁打は2本。エラーやポカも多く、とてもプロで通用するとは思われていなかった。それでも挑戦をあきらめない新井は同大のOBである野村謙二郎(前広島監督)らに頼み込んで、ドラフト6位の下位指名を勝ち取った。こんな未完の大器だから最初から大輪の花を咲かせたわけではない。のちに新井を4番に抜擢した当時の監督・山本浩二が回想する。
「技術的には不器用で時間もかかった。広島の練習の厳しさは今思うと想像を絶していたが、涙を流しても心が折れることがなかった。ガッツがあった。彼は周囲に感謝できる選手。自分を育ててもらった方々に感謝し、チームメートに感謝してプレーができる」
あらゆる証言をかき集めても、そこに共通するのは「技術は三流、でも体力とハートの熱さは一流」というフレーズだ。その三流品には広島流の猛練習が向いていた。さらに試合で起用されていくうちに技術も身に就く。球界を代表するスラッガーになった後も、失策は多く、併殺の山も築き兄貴分の金本知憲(現阪神監督)らから、いじられてきた。それをも“愛されキャラ”に変えてしまうのが新井流。へこたれていたら、とっくの昔にプロの道すらなかった。
チームを変えたベテラン
2007年オフにFAで阪神に移籍する時は、広島愛が捨てきれず泣いた。7年の時を経て再び古巣に戻ってきたときは、ファンの歓声にまた泣いた。この時、残留交渉をした阪神の年俸提示が7000万円だったのに対して広島は2000万円だったと言われる。
同じ年にもう一人、他球団の高額提示を蹴って広島に帰ってきた男がいる。黒田博樹だ。ある時はチームに喝を入れ、ある時は若手と首脳陣の潤滑油の役割も担いながら二人のベテランが組織を変えていった。16年、17年リーグ連覇に次いで今季も3連覇目前だ。
球団オーナーの松田元は言う。「私たちのチームが兄弟のような絆を持つチームになれたのは新井選手のおかげ。日本一になって彼を送り出せることを願っています」。
三流のポンコツだって、努力次第で超一級の輝きを放てる。すべての野球少年に捧げる新井貴浩の生き様である。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)