本塁打で残した特筆すべき記録
9月9日、BCリーグ・栃木の村田修一が現役引退を表明。NPB復帰は叶わぬまま、ユニフォームを脱ぐこととなった。
いわゆる「松坂世代」を代表する選手のひとりとして、長年にわたって活躍を続けた男・村田。彼の足跡を、主な記録とともに振り返る。
【村田修一の足跡】
2003年 新人として歴代6位のシーズン25本塁打を記録
2007年 4月10日のヤクルト戦で通算100本塁打を達成
2007年 36本塁打で初タイトルとなる本塁打王を獲得
2008年 球団新記録の46本塁打で2年連続本塁打王に輝く
2009年 7月28日の阪神戦で通算200本塁打を達成
2011年 シーズン最終戦で2本塁打を記録し7年連続20本塁打を達成
2013年 8月31日の中日戦で当時セ・リーグ新記録の月間46安打を記録
2014年 8月1日の広島戦で通算300本塁打を達成
2017年 新人年から15年連続2ケタ本塁打を達成
村田はNPB在籍15年間で1953試合に出場。6925打数1865安打の打率.269、360本塁打、1123打点。歴代順位では出場試合が60位、安打が61位、本塁打が28位、打点は31位となっている。個人タイトルを獲得したのは2度。2007年・2008年と連続して本塁打王となった。
その“本塁打”で、村田は特筆すべき記録を残している。プロ1年目の2003年に残した25本塁打は、新人の本塁打記録として歴代6位。そして、その年から巨人を去ることとなった2017年まで、15年連続で2ケタ本塁打をマーク。これも歴代ベストテンに入る9位の記録だ。まだまだやれる力があったと思われるだけに、戦力外通告で記録が途絶えたのは非常に残念である。
守備力の高さと体の強さも大きな持ち味
そして、打撃成績には表れない部分でも、村田はその能力の高さを示していた。
“ホットコーナーの番人”として、高い守備力にも定評があったのが村田という選手。三塁手としてゴールデングラブ賞を3度も受賞。軽快なフットワークとグラブさばきを披露し、投手出身らしい強肩と正確な送球力を誇った。
また、ケガにも強く、15年間のプロ生活で6度の全試合出場を達成。出場試合数が100試合に満たなかったのは、第2回WBCで右太もも裏肉離れを発症した2009年の一度きりである。
ハイレベルなスラッガーというだけでなく、守備も安定している。加えて頻繁に故障することなどなく、シーズンを通して戦力として、レギュラーとして計算できる。チームの首脳陣にとってどんなにありがたかったことだろう。
代名詞でもある、レフトスタンドにライナーで突き刺さるホームラン、それから逆方向への長打をもう見ることができないことを思えば寂しくもあるが、数々の記録を打ち立ててきた偉大なスラッガーの第2の人生を応援したい。
文=清家茂樹(せいけ・しげき)