ロッキーズの切り込み隊長
現在、ナ・リーグ西地区でドジャースと首位の座を争っているロッキーズ。リーグ屈指の打撃力を誇る打線の1番、切り込み隊長として存在感を示しているのが、昨季のナ・リーグ(NL)首位打者チャーリー・ブラックモンだ。
9月7日から9日に行われたドジャースとの首位攻防戦では3本塁打4打点。22日時点で27本塁打を記録している32歳のベテランは、打率.331、104打点、37本塁打という記録を残した昨季について、「すべてがピッタリと噛み合い、自分の思うままにプレーし、結果を残すことが出来た。相手投手に対する知識など経験が生きた部分もあったし、コンディションを維持できたことも良かった。打撃フォームにおける少しのズレや感覚の違いがあったぐらいで、大きな影響を受けるということがなかった」と振り返る。
投手として2度のドラフト指名も
しかし、指名順位が低かったためにどちらもチーム入りを見送り、短大でプレー。2年を終えると1年生の時から勧誘を受けていたジョージア工科大に転校したが、肘を痛めて同大1年目はシーズンのほとんどを棒に振り、悔しい思いを強いられた。
そんなブラックモンに転機が訪れたのは、同シーズンの終盤。投手にもバッティングの機会があり、ブラックモンの打撃センスがコーチの目に留まった。それまで投手以外は考えたこともなかったが、コーチにサマーリーグで野手として出場することを提案される。
同シーズン、ブラックモンは1イニング(被安打2、与四球2、失点2)を投げただけで終わったこともあり、野球に飢えていた。そのため、「とにかく、何でもいいからプレーしたい」という思いから、サマーリーグで自らの監督に発した言葉は、「自分は二刀流です!」だった。
野手への転向
肘を故障したあとのブラックモンの球威は下降線を辿ったが、打者としては「未完の大器」であることを印象づける。それに加え、足が速いことも野手に転向するにはうってつけの長所だった。
翌シーズン、同大の外野手として62試合に出場したブラックモンは、打率.396、8本塁打、25盗塁をマーク。打率、安打数、出塁率、得点、そして盗塁など、多くの部門でチーム最高を記録し、同年のドラフトでロッキーズから2巡目、全体の72位で指名を受けた。ポジションの欄は、過去2度の指名時の「左投手」から「右翼手」に変わっていた(現在は中堅手)。
かつて好投手だったブラックモンは、「ピッチャーがマウンドで苦労している時、調子づいている時の様子を理解したり、不意な球を投げてきたあとの考えが少しはわかる」と、その経験が打者としても生きていることを認める。
オオタニに注目
肘に問題がなく、数年前に戻れるとしたら“二刀流”をやりたいかと問うと、「学生の時に両方をやった経験が少しあるけれど、非常に難しかった。まず、ピッチャーとして試合に臨むのと、バッターとして試合に臨むのとでは、精神的な持っていき方が全然違う。身体的にもかなり厳しい」と即座に否定された。
大学時代のサマーリーグで「自分は二刀流」とアピールしたのは、少しでも多くプレーしたかったというだけの理由であり、メジャーというレベルの真剣勝負では、そんなことは全く考えたことがないという。
「投げることは大好きだし、今でも投げたいと思う。でもここ(メジャー)でじゃない。そんなことをしたら、怪我をしたり、絶対に悪いことが起こってしまう」
さらに、「自分が投手としてメジャーで成功できたとは思わない。オオタニみたいないいピッチャーではなかった。でも、これだけは言える。二刀流を続けることは、とても困難なこと。すごく難しいことだ。だからオオタニがどのようなキャリアを送っていくかに注目している」と続け、今季は右肘の故障で10試合の先発登板に限られてしまったエンゼルス・大谷翔平選手の“今後”に注目していた。
学生時代は三刀流!?
ちなみに高校時代のブラックモンは、学業成績における年間最優秀スポーツ選手に3度選ばれており、短大時代も“ディーンズリスト(成績優秀者名簿)”に名を連ね、大学時代にはスポーツで貢献しながら勉学でも好成績を残した生徒として“アカデミック・オール・アメリカ”の大学野球部門セカンドチームに選出されている。
つまり、学生時代は「三刀流」の期間もあったということ。
「野球選手としてしっかりしたキャリアを築き、引退後は生活に困らないようにしたい。でも引退してから退屈だったら(自分が学位を得ている)ファイナンスの世界で働いてみたいとも思っている」
なんでも器用にこなしてしまうブラックモンなら、そういう将来も容易に想像できてしまう。
文=山脇明子(やまわき・あきこ)