丸佳浩が巨人へ
「これぞFA」という文句なしの大物FA選手の獲得は久々だ。
「シーズン四球数130」はあの王貞治が上位を独占する中、その王と並び史上4位にランクインしている。さらに2年連続のセ・リーグMVPも受賞。このクラスの左のスラッガーが国内FA市場に出るのは、06年オフの小笠原道大以来ではないだろうか。
あの年のガッツ小笠原は、135試合、打率.313、32本塁打、100打点、OPS.970。本塁打王と打点王を獲得し、パ・リーグMVPにも輝いた。当時33歳、全盛期バリバリの日本を代表する打者が、トレードマークの髭を剃り落し巨人へFA移籍したわけだ。チーム状況も2006年と2018年は似ている。いわば困った時のタツノリ頼み。4年連続で優勝から遠ざかり、チームの再建を託されたのはどちらも原辰徳監督である。
原辰徳監督のやり方
復帰1年目の06年について、原監督はのちに自著『原点』(中央公論新社)の中で「(前半は)最多の貯金14と独走したが、終わってみれば借金14だ。あの“マイナス28”という数字は忘れられない」と自嘲気味に回想している。
当時のチーム状況については「驚いたことに、とにかく選手がいなかった。主力選手が相次いで故障し、それは年間を通じて絶えなかった。それをフォローすべき控え選手は、まだ独り立ちしていなかった。誰かいないのか。もうどうしようもないから、誰かスターティングメンバーを決めてくれ、と。そのぐらいのメンバーで戦っていた。残念なことに、そんな環境でしか戦えないチーム作りを巨人がしていたということだ」なんつって珍しく弱気に本音満載で4位に終わったシーズンを振り返っている。
そこでチームのベースを新しく作ろうと獲得したのがMVPの小笠原であり、オリックスのベテラン谷佳知であり、MLBで前年15本塁打を放ったデーモン・ホリンズだった。
そう、丸だけではなく、中島宏之や炭谷銀仁朗といったベテラン組、そしてメジャー20発男のビヤヌエバを補強した今ストーブリーグと酷似しているのである。賛否はあるが、これが原辰徳のチーム再構築のやり方だ。スクラップ・アンド・ビルド。ベースをぶっ壊し、選手を入れ替え、背番号をシャッフルし、新しいチームだと内外に意識させ、組織を作りなおす。
谷間を埋める存在に
幸いキャプテン坂本勇人は30歳と脂の乗りきった年齢で、史上最年少の3割30本100打点を達成した岡本和真もまだ22歳だ。だが、同時に第2次原政権でV3を支えた元主力陣がキャリアの終盤を迎えている。阿部慎之助が来季40歳、亀井善行も37歳。巨人の左打者で30本塁打を放ったのは、2013年の阿部が最後だ。外野では長野久義が来季10年目の35歳で、陽岱鋼は相変わらず故障がち。つまり、「左のスラッガー」「外野手の柱」というチームの補強ポイントに完全に合致するのが丸だった。
年齢は坂本の1学年下の89年生まれ。巨人でこの世代は、自由契約となりDeNAに移籍した中井大介、日本ハムへトレードの大田泰示や楽天へ金銭トレードされた橋本到となかなかうまく育成できなかった。坂本と岡本は7歳違う。いわばその間が、“谷間の世代”でもあったわけだ。結果的にそれがキャプテン坂本の負担に繋がってきたが、世代も近く実績充分の丸が来たらラクになる。そう、2007年に小笠原が高橋由伸の負担をワリカンしたようにだ。
あの年の巨人打線は活発だった。復活の由伸、史上初のセ・パ2年連続のMVPに輝いた小笠原、イ・スンヨプ、阿部と史上初の左打者のみの30本塁打カルテットが誕生。翌08年には19歳の坂本勇人が開幕スタメンで起用されることになる。そんな猛スピードで生まれ変わるチームのど真ん中で、移籍後4年連続で3割・30本塁打をクリアしたのが頼れる背番号2のサムライである。
来季、「3番センター丸」に07年の小笠原の役割を託し、1番坂本勇人に年間9本の先頭打者アーチを放った07年の由伸を期待する。原監督はそんなオーダーを考えているのではないだろうか。
第2次原政権の黄金時代は、06年オフの小笠原道大の獲得から始まった。近い将来、低迷していた巨人の再建は丸佳浩の獲得から始まったと言われる時が来るのだろうか?
2019年3月29日、舞台はマツダスタジアム。来季、いきなり広島vs.巨人の“仁義なき戦い”で開幕する。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)