思い切った采配に期待
最下位からの逆襲を目指す楽天。今季から正式にチームの指揮を執るのが、38歳の平石洋介監督だ。
2004年のドラフト7位で楽天に入団した“球団生え抜き”の男。プロ野球選手としては実績を残すことができなかったものの、名門・PL学園では主将を務めた経験を持ち、夏の甲子園では怪物・松坂大輔を擁した横浜高との延長17回の死闘を演じたことでも有名。その後も同志社大から社会人・トヨタ自動車と各カテゴリーの名門チームで活躍を見せた、まさに“野球エリート”である。
もちろん、経験という点ではベテラン監督に見劣りする部分も多いだろう。とはいえ、その若さゆえに選手と密なコミュニケーションが取れるという点は大きな魅力だ。ベテラン監督ならば躊躇してしまうような思い切った采配で、チームに勢いを与えるという可能性は大いにある。
今回は、平石監督のように『若くして監督となった人物』に注目。過去のプロ野球界のなかで、40歳以下でチームを率いた“ヤング監督”の1年目の成績をまとめてみた。
▼ 主な“ヤング監督”・1年目の成績
1946年:鶴岡一人(29歳/グレートリング)=1位<105試 65勝38敗2分(率.631)>
1947年:三原 脩(35歳/巨人)=5位<56勝59敗4分(率.487)>
1960年:西本幸雄(39歳/大毎)=1位<82勝48敗3分(率.631)>
1962年:中西 太(28歳/西鉄)=3位<62勝68敗6分(率.477)>
1970年:村山 実(33歳/阪神)=2位<77勝49敗4分(率.611)>
1970年:野村克也(34歳/南海)=2位<69勝57敗4分(率.548)>
1970年:稲尾和久(32歳/西鉄)=6位<43勝78敗9分(率.355)>
1974年:上田利治(36歳/阪急)=2位<69勝51敗10分(率.575)>
1975年:長嶋茂雄(38歳/巨人)=6位<47勝76敗7分(率.382)>
1987年:星野仙一(39歳/中日)=2位<68勝51敗11分(率.571)>
2016年:高橋由伸(40歳/巨人)=2位<71勝69敗3分(率.507)>
鶴岡一人、西本幸雄の両監督がいきなりの優勝を果たしている点は楽天ファンにとって朗報か。また、その2人に限らず例に挙げたヤング監督の多くが就任1年目から好成績を残しており、このうち中西太と上田利治、長嶋茂雄、星野仙一の4監督も翌2年目にはリーグ優勝を成し遂げている。
彼らが就任早々に好結果を残すことができた要因は、当時のチーム事情などを詳しく見てみないことには何とも言えない。だが、監督と選手の年齢が近いことや、なかには選手兼監督だったというケースもあって、チーム一丸となって戦うことができたということは考えられる。
苦悩した経験が吉と出るか
今回はそのなかでも、監督就任2年目の1975年から3年連続で日本一に輝いた上田元監督に注目したい。
上田元監督といえば、選手としての実績はほとんど残せていないといっていい。もともとプロ野球選手となることに自信を持っておらず、「東洋工業(現・マツダ)からの出向社員として3~4年プレーする」との条件を出して広島に入団。その言葉通り、現役生活はわずか3年、通算安打数は56で終わっている。
ところが、監督としての成績は見事なものだ。阪急、オリックス、日本ハムで指揮を執った20シーズンのうち、Aクラス入りはじつに14回。リーグ優勝も5回あり、日本一は3回を誇る。プロ野球史における名将のひとりだ。
平石監督も上田元監督同様、選手としては実績を残すことはできなかった。通算37安打というのは上田元監督の数字も下回り、2リーグ制以降の一軍監督経験者のなかで歴代最少である。
日本球界では、選手として結果を残した人間が監督やコーチに就任することがほとんど。上田元監督や平石監督のようなケースは稀である。だが、選手としてなかなか結果を残せず、苦悩した経験が指導現場で生かされることだってある。
駆け出しの平石監督と名将・上田元監督を比較するのは時期尚早ではある。しかし、引退して即コーチに就任した叩き上げであり、初の生え抜き出身でもある若手監督ともなれば、チームが変わっていく可能性は十分にある。平石監督のチームマネジメントに期待したい。
文=清家茂樹(せいけ・しげき)