球団関係者しか知らない光景
2006年、シアトル・マリナーズでインターンとして働いていた私が、セーフコ・フィールド(現在の名称はT-モバイル・パーク)で目にした最も印象的で最も神聖な光景は、10年以上の時を経た今でも色褪せることはない。
それはマリナーズが劇的な勝利を収めた試合でもなければ、イチロー選手の本塁打を見た瞬間でもない。ただ一人、黙々と試合前の準備を行うイチロー選手の姿だった。
まるで身体の細胞一つひとつと対話でもしているかのような入念なストレッチ。その様子は、トップアスリートが行うフィジカルに特化した準備というよりも、まるで茶道の作法のように美しい“型”のような、流れに従って行われる精神性の高い“儀式”のようにも映る。
まるで「見てはいけないもの」を見ているような気持にさせるほど、凛とした空気の中で静かに行われる準備。イチロー選手はそれを特別な日だけでなく、日常のルーティンとして行っていた。
マリナーズに入るまでその光景を目にしたことがなかった私は、イチロー選手が強い決意のもとで人知れず積み重ねてきた時間を思い、尊敬の念を通り越して気が遠くなるような想いだった。
チームの全体練習とゲートオープンの前に行われるその厳粛なルーティンを、マリナーズを離れてからの私が目にすることはなかったが、2006年・当時33歳の頃からあれだけの準備をしていたことを考えると、年齢を重ねるほどに、さらに入念な準備を重ねてきたのだろうと推測する。
最後まで貫いた“粋な美学”
そして、昨夜の引退会見でのこの発言。
「結果を残すために自分なりに重ねてきたこと。人よりも頑張ったということはとても言えないですけど、そんなことは全くないですけど、自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言えるので」
最後の最後まで自らがどれだけの努力をしてきたかについて具体的に明かすことはせず、「人よりも頑張ったということはとても言えない」とイチロー選手は語る。引退会見でも粋な美学を貫いたその姿には脱帽するばかりだ。
偉大な記録は、いつか塗り替えられる日がやって来るかもしれない。だが、イチロー選手が成し遂げてきたことは、人の心の大切な場所にいつまでも美しく、誇らしい記憶として留まり続けるに違いない。
そして、これほどの偉大な選手は、これから先も現れることはないだろう。
文=八杉裕美子