戦力外通告を受けた男
プロ野球選手としての未来は「戦力外」という残酷な通告と共に閉ざされる。
2017年、2年前のオフに、中日から戦力外通告を受けた武藤祐太(30)は、「クビになったのか」という思いと共に「どうしていいかわからなくなった」と当時を振り返る。
その後、トライアウトを受けることを決意。「悔いの残らないように調整し、どこからも声がかからなかったら諦めて引退」と腹をくくった。
すると武藤のもとにDeNAの高田GM(当時)から連絡が入る。DeNAへの誘いだった――。トラアウトを受けることなく、プロ野球の世界への扉が再び開く。その時の「一度、野球ができなくなった思い」が、武藤のパーソナルスローガン「THANKFULNESS~野球をやらせてもらえる感謝~」に表されている。
モップアッパーから
昨年は20試合に登板。4年ぶりのホールドをマークしたが、多くはいわゆる試合の大勢が決したあとの敗戦処理、“モップアッパー”としてのマウンドだった。今年も開幕メンバーに名を連ねることはできなかったが、ゴールデンウィークの時期に昇格。その後、二軍落ちを経験したが、6月20日に再び一軍へ戻ると、ビハインドの場面の回跨ぎなどで好投する。
すると首脳陣からの評価も上がっていき、徐々に“しびれる場面”での出番も増えていった。どん底から這い上がってきた男は「プレッシャーも感じるが、意気に感じている」と、充実感を口にする。
好調の要因は「モデルチェンジ」だ。「昨年オフからトレーナーをつけて下半身のウエイトトレーニングと、ノックや遠投、キャッチボールでも強いボールを投げることを意識」することで、「まっすぐで押し込む」ピッチングができるようになってきた。
MAX150キロ、コンスタントに140キロ後半の力強いストレートを投げ込み、持ち味の横の揺さぶりにフォークも交えるスタイルで打者に対峙。「みんな野球を楽しんでいる。個々の仲もいい」と、パットンの抜けた穴を埋めるブルペンの一員として、今では貴重な存在だ。
「一軍にいることで…」
「(プロに)入れてもらって、育ててもらって、投げさせてもらった」
古巣の中日に対する恩も忘れない。2017年、一軍からなかなか声がかからず、長らくファームで調整を続けていたとき、「腐らずに」と激励し続けていてくれた浅尾氏らに報いるためにも、一軍に居続けることで「対戦相手になれる。ナゴヤドームでも投げられる」。それが武藤にとっての恩返しだ。
恩返しの思いはファンに対しても存在する。DeNAが本拠地で勝利を収めた後、サインボールをスタンドへと投げ込むが、武藤はレフトスタンドにも赴き、ドラゴンズファンにもプレゼントする。本人は「人としてですよ」と照れ笑いを浮かべるが、律儀な男の一面が垣間見える。
ベイスターズファンの反応も、「初登板のときとは明らかに違う」と、ひときわ大きくなった大声援を感じとり、「自分の力になっている」と感謝を口にする。そして、ファンのため、自分のため、そしてチームのためにも「1試合でも多く投げ、残りのシーズンをずっと一軍で過ごせるように」と、地に足のついた言葉を残した。
一度は閉じられた扉が再び開かれた17年オフから、2年の月日が経過しようとしている。リスタートから2年目を迎えた今年は、自らの力で自分の居場所に通ずる扉をこじ開けた。その扉の先には、クライマックスシリーズ、そして日本シリーズという新しい景色が広がっているはずだ。
取材・文=萩原孝弘(はぎわら・たかひろ)