“隠し玉”ヒストリー【第4話:平良海馬】
ドラフト候補は、すべて強豪チームにいるわけではない。無名校、弱小チームから原石が現れる例も多く、時には離島に潜んでいることもある。
2017年、沖縄・石垣島にある八重山高校の野球部を取材で訪れた際、ショッキングなニュースを聞いた。「八重山商工の部員が7人になった」という内容だった。
八重山商工とは、日本最南端の高校ながら2006年に春夏連続で甲子園出場を果たしてその名を知られたチームである。伊志嶺吉盛監督が小学校から中学校、高校と身体能力の高い島の子どもを鍛え上げたドラマチックなチームだった。当時のエース右腕・大嶺祐太は、2006年秋のドラフトでロッテに1位指名されている。
そんな八重山商工も伊志嶺監督が2016年夏を最後に退き、大分の日本文理大付の監督に就任。ただでさえ少子化のあおりを受けている上に、近年は島内の八重山高校や八重山農林に選手が流れているという。
その話を聞いて、取材を終えた後に近所である八重山商工に向かってみた。薄暗い照明がグラウンドをささやかに照らすなか、確かに7人の野球部員が輪になってトレーニングに励んでいた。
そのなかに、平良海馬はいた。当時高校3年になる直前だったが、その名はすでに沖縄県内で知られていた。投げては147キロの速球派右腕、打っては飛距離140メートル級のスラッガー。173センチ・84キロという投手らしからぬ厚みのある体型と、愛嬌のある顔つきが印象的だった。
今季は最速158キロをマーク
写真を撮らせてもらいながら、少し話をさせてもらった。
口が滑らかなタイプではなかったが、印象的だったのは「なんとかプロに行きたい」という強い思いを持っていたことだ。だから厳しい監督がいなくなっても、部員が足りなくても、毎日懸命に練習していると平良は言った。
その後、八重山商工は春の県大会は部員不足のため、宮古工と連合チームで出場。夏の沖縄大会は新1年生を加えて単独チームで出場した。結果は1回戦で0-1と敗退したが、平良は最速154キロを計測。球場に詰めかけた11球団のスカウトの前で大いにアピールした。
そして、2017年秋のドラフトで西武から4位指名を受けて入団。現在は体重95キロとさらにスケールアップを果たし、2年目の今季は自己最速となる158キロを計測。19歳ながら一軍戦力に加わり、26試合にリリーフ登板して2勝1敗1セーブ・6ホールド、防御率3.38の活躍でリーグ優勝に貢献した。
練習試合の相手も少ない離島で、部員わずか7人という環境で腕を磨いていた。そんな平良の姿を見たからこそ、今の栄光はとびきりまぶしく映る。
文=菊地高弘(きくち・たかひろ)