第1回:沢村賞
ロッテ・佐々木朗希、ヤクルト・奥川恭伸ら将来の球界を背負って立つであろう逸材がプロのスタートラインに立った。彼らの契約会見での発言を聞くと、ある共通点がある。
「将来は沢村賞をとれるピッチャーになりたい」
佐々木や奥川が同賞の名前にある沢村栄治をどの程度知っているかは定かでない。いや、ほとんど知らないだろう。「投手として最高の賞で、先発完投型の投手として、そこを目指したい」。ふたりは、打ち合わせたように同じ言葉を使っている。
その意気込みや、良し。だが令和の時代になって肝心の沢村賞が存立の危機に立たされている。本年度の受賞者は2000年以来、19年ぶりの「ゼロ」。この傾向は野球の変化と直結しているだけに見逃せない。
10月下旬に開かれた同賞の選考委員会。1時間近く激論を戦わせた末に「該当者なし」の結論に至った。選考委員長の堀内恒夫は苦渋の決断をこう説明した。
「非常にもめました。ただ、これ以上レベルは下げたくない。完投なしでいいとしたら、沢村さんの名前に傷をつけてしまう」
今年の最終選考に残ったのは、セ・リーグの山口俊(巨人)とパ・リーグが有原航平(日本ハム)の両エースだった。共に15勝をマークして防御率も2点台とシーズンを通して活躍した。しかし、沢村賞の特徴である「先発完投型の投手を対象とする」観点から見ると、完投数は山口が「0」で、有原も「1試合」だけ。ちなみに同賞の選考基準を列記していくと、以下の通りとなる。
【1】15勝以上
【2】150奪三振以上
【3】10完投以上
【4】防御率2.50以下
【5】200投球回以上
【6】25登板以上
【7】勝率6割以上
時代に即したものに…
すべてをクリアしなくてもいいが、完投数と投球回数、奪三振あたりが重視される。1947年に制定された同賞の歴史を紐解くと、58年に金田正一(国鉄)は56試合に登板して31勝14敗、防御率1.30。本年度に野球殿堂入りした権藤博(中日)は61年に69試合登板で35勝19敗、防御率1.70と、今では“お化け”のような数字が並ぶ。
かつての鉄腕が中3日や中4日の登板間隔で先発完投したのに対して、今は中6日での登板が主流。加えて先発は6~7イニング投げれば、中継ぎ、抑えと分業制が確立されている。こうなると、登板数はもちろん、投球回や完投も減っていくのは当たり前だ。それを象徴するような珍事も起こっている。
全日程終了時の規定投球回数(チームの試合数と同数)に到達した投手は、セが9人に対して、パは6人。だが、わずか1カ月前の8月末時点でパの到達者は有原、千賀滉大、山岡泰輔、美馬学の4人しかいなかった。新聞欄等に掲載される「投手10傑」の成績欄はスカスカ、最後になって山本由伸と高橋礼が何とか仲間入りしたが、規定投球回すら到達するのが難しい現状だ。
さらに、沢村賞の該当者不足に追い打ちをかけるような要因がある。投球数に対する考え方の変化だ。メジャーリーグが早くから採用したように、今の先発投手は100球をメドに降板するケースが多い。ちょっと制球を乱したり、ピンチを招くと球数が増えて5回程度で降板することも珍しくない。故障防止の観点からみれば当然の措置だが、こうなると先発完投はほとんどいなくなる。
アマ球界でも先日、高野連が「投手の健康面を考えて1週間に500球以上の投げ込みは禁ずる」通達を出している。
腕も折れよ、と投げて来たヒーローたちの象徴でもあった沢村賞だが、時代は確実に曲がり角へと来ている。やはり、ここは選考基準を見直す時期に差し掛かっていると認識すべきだろう。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)