スタートで輝いたルーキーイヤー
「何か持っている」
2018年シーズンの開幕一軍を掴み取った当時の“ルーキー”宮本秀明を、ラミレス監督はそう表現した。
俊足を武器に代走で盗塁を積み重ね、4月25日には初ホームランを記録。翌日にはスタメンでまたもやホームランを放つなど、“走れて長打もある”ルーキーに観客は惹き付けられた。
そして、2017年に不動のレギュラーとして君臨していた「ラミレス野球」の象徴とも言える倉本寿彦と桑原将志の座を、同じくルーキーの神里和毅と共に「奪うのではないか」との気運も高まった。
しかし、プロの壁は厚く、5月21日に登録抹消となる。結局、21試合の出場で、打率.160、2本塁打、4盗塁という成績のまま1年目を終えたが、ファームではシーズン後半から類い希なる俊足を生かすべく、内野手から外野手への転向を目指し始めていた。
もがき苦しんだ2年目
外野手としてスタートした2年目。前年に続き開幕一軍に名を連ねたが、先発ピッチャーの登録に伴って抹消となる。結局、大差で負けている最終回に筒香嘉智の代走として出場した「ファーストランナーの代走」1試合だけにとどまった。
その状況を打開するため、宮本は「戸柱さんや色んな人に“僕をどう打ち取りますか?”って聞き回ったり、もがいた1年でした」と振り返る。また、コーチングスタッフから「自分のタイプを分析すること」との指示を受けると共に、小池正晃、上田佳範の両外野守備走塁コーチからは「桑原ではない。梶谷タイプ」との指摘も受けた。
宮本自身も「左バッターで足もある。そして守れて投げられる」梶谷隆幸の選手像を頭に思い描いた。そして一軍から呼ばれなかったことに関しては、外野手として「一軍のプレーヤーの条件を満たしていないことと、梶谷さんを越えられていないから」との答えにたどり着く。
梶谷越えのために
高校、社会人と、主に内野手としてプレーしていた宮本にとって、浅い外野の守備は強化ポイントのひとつ。昨秋に行われた奄美での秋季キャンプでは、「(一軍守備走塁コーチの)上田さんとマンツーマンで守備練習に取り組みました。打球に対する入り方から送球への繋げ方などを徹底的に」と、精力的にメニューをこなした。
そして守備面では、「ほかの外野手がギリギリでキャッチするような打球を、余裕で捕れるようにしたい」との目標を掲げる。
奄美キャンプのあとは、バッティングの見直しも敢行。昨年はファームで99三振を喫したこともあり、「構えるときにバットを握る手を肩の位置くらいまで下ろして、ボールの軌道により入りやすいように」することで、「しっかり振り抜く中でミートしたい」と語る。
理想としては「低い弾道で野手の間を抜き、足を活かしてヒットをツーベースに、ツーベースをスリーベースにする」ことだ。自らの長所を生かす形に持っていくことができれば「チームにとってもいいこと」と前を向く。
トータルプレイヤーとして
もちろん、「足には自信がある」。最大のストロングポイントでもある俊足を生かすため、スピードだけではなく「ピッチャーの癖やキャッチャーの性格、配球」などの研究にも力を入れている。
足のスペシャリストとして生きる道も考えられるが、「足だけと言われるのはイヤ。代走だけではなく、打って走れて守りたい。欲張りなんで、野球やっている以上は目立ちたい!」と、レギュラーの座を目指す。
より高い目標を設定することで道は険しくなるが、「だからこそ、いつまでも野球ごっこじゃいけない。オフも遊んでいる場合ではない」と決意する。それには、一軍で過ごした1年目に「心の中に少しの余裕があったのかも。もう一段階気を引き締めていれば」との後悔が脳裏に去来することも理由の1つだ。
3年目なので寮を出ることも許されるが、野球に没頭できる環境に身を置きたいとの考えもあり、あえてとどまる選択を下した。「これでいいを作ってはユニフォームを脱がなければならなくなる。3年目にもなるので、クビ覚悟でやる」と目をギラつかせた。
試合後は「勝っても負けても残ってくれるファンに“今日もありがとうございました”の気持ちを込めて」爽やかな笑顔でファンサービスに勤しむナイスガイが、厳しい表情で覚悟を示した。
父は野球、母は陸上と、実業団で活躍した両親を持つスポーツ家系のサラブレッドが、不退転の決意で一軍へ殴り込みをかける。
取材・文・写真=萩原孝弘(はぎわら・たかひろ)
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※訂正とお詫び(2020年1月22日22時05分)
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・神里選手の表記に誤りがあり、「セカンドランナー」との表記が、正しくは「ファーストランナー」でした。
大変失礼いたしました。訂正してお詫び申し上げます。