コラム

愛し愛された野球人。ノムさん、ありがとう【野村克也氏追悼コラム】

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ヤクルトOB戦で打席に立つ野村克也氏(中央)=神宮

まるで夢のようだった「代打・野村克也」


 断続的な雨が降り続く中、僕らは夢を見ていたのではないか? 今でもそんな気がしてならない。野村克也氏の訃報を聞いて、真っ先に頭に浮かんだのが「代打・野村克也」のワンシーンだった。昨年7月11日、ヤクルト球団50周年を記念して行われた「スワローズドリームゲーム」において、一塁側「GOLDEN 90s」を率いたのは背番号《73》をつけたノムさんだった。

 この日のメインイベントは4回裏に訪れた。ウグイス嬢による「バッター・野村克也」のコールが雨に煙る神宮球場に響き渡った。この瞬間、まったく予期せぬ出来事に場内はどよめき、応援団を中心に「ホームラン、ホームラン、野村!」の声援が沸き起こる。現役時代を南海、ロッテ、西武とパ・リーグひと筋で過ごしたノムさんは、セ・リーグの選手として、ヤクルトのプレイヤーとして打席に入ったことはない。そのノムさんが一塁ベンチから右打席に向かって歩を進めているのだ。

 残念ながら、このときのノムさんはすでに一人で歩くことはできない状況にあった。それでも、真中満、川崎憲次郎、池山隆寛、そして古田敦也といった、かつての教え子たちに抱きかかえられるようにして、一歩ずつ、一歩ずつ、打席に向かっているのである。それは「84歳」という年齢を十分に実感させる光景だった。

 右打席に入ると、杖代わりだったバットを構えて投手と対峙するも、一人で立つこともままならないため、教え子たちが後ろで支えている。初球は見逃してボール。続いて、マウンド上の松岡健一が投じた2球目をノムさんは空振りする。もちろん、それは「豪快な」と表すべきものではなく、力ない波打つようなスイングだった。しかし、それでいいのだ。ノムさんがヤクルトのユニフォームを着て、神宮球場の打席に立ちスイングをする。その事実だけで、もう十分ではないか。

 ここで、敵将の若松勉監督が敬遠を申し出た。申告敬遠により、ノムさんの出番はここで終わった。満足そうに一塁側ベンチに戻るノムさん。その歩みは遅い。バットは再び杖の役目を果たしている。ようやくベンチに戻ると、控えていたかつての仲間たちからの大喝采を受けた。球場ではそのシーンを確認することはできなかったけれど、後にビデオで確認したところ、幸せそうに微笑むノムさんの姿がしっかりと刻まれていた。この間、わずか3分。僕らは、上質の名作映画を鑑賞したような大満足のひとときを過ごしたのだ。

 それは、実にいい光景だった。この瞬間は、この日神宮球場に集った2万7727人という観衆にとって、生涯忘れられぬ一大モーメントとなったのではないか。あれからすでに半年以上の月日が流れた。今も鮮やかに脳裏に刻まれているノムさんは、すでにこの世にはいない。やはり、あれは夢だったのではないか? 改めて、そんな思いに支配されてしまうのだ……。


ノムさんから伊藤智仁への謝罪


 野村克也氏の訃報は旅先で聞いた。大病を経て大きな手術を経験していたことは知っていた。僕はすぐに帰京の支度をする。帰りの車内では、さまざまな思い出がよみがえる。1年半前にインタビューした際には車いすで登場した。あまりの衰弱ぶりに驚いたものの、依然として頭脳は明晰で舌鋒は鋭く、野村節が健在だったことに安堵した。「いつかはこの日が来るかもしれない」という思いを無理やり払拭しつつ、それでも心のどこかでは覚悟を決めている。ここ最近は、そんな日々だったのかもしれない。

 だからこそ、ドリームゲームにおけるノムさんの神宮凱旋を「あぁ、間に合ってよかった」という思いで見つめることができたのかもしれない。2017年の秋にもノムさんにインタビューをしたことがある。このときは、伊藤智仁(現楽天投手コーチ)の半生を振り返る『幸運な男 伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』(インプレス)を刊行するためのもので、対面早々、ノムさんの口から吐かれたのがボヤキだった。

「今回は何? えっ、伊藤智仁の本の取材? オレが監修するのではなくて、オレは単なるトモのお手伝いをするわけ? ……まぁ、仕方ないか(笑)」

 インタビューでは、ひたすら伊藤智仁の高速スライダーをべた褒めし、同時に自らの酷使によって伊藤の現役人生を奪ってしまったことをひたすら悔いていた。このとき、伊藤が今でもノムさんのユニフォームを大切に保管していることを告げると、瞳を潤ませた。

「えっ、それは初耳だな。ホントなの? 選手にそんな風に慕われるなんて、まさに監督冥利に尽きるよ。涙が出るほど嬉しいよ。こういうのを嬉し涙と言うんだね……」

 この取材において、ノムさんは「トモにきちんと謝りたい」と繰り返した。後にテレビ番組の企画で両者の対面が実現し、ノムさんが謝罪すると伊藤は「むしろ、たくさん起用してもらったことを感謝している」と率直な思いを伝えた。この師弟のやり取りはそのままお茶の間に流れた。

 その光景を見たとき、「あぁ、間に合ってよかった」と僕は内心で安堵していた。インタビュー中のノムさんの憔悴具合が気にかかり、「お元気なうちに、今抱いている悔いを一つでもなくしてほしい」と願っていたからだ。ヤクルトに黄金時代をもたらしてくれた名将の心残りは少しでも少ない方がいい。


野球を愛した名将に感謝、感謝、感謝


 ノムさんが亡くなった翌日のスポーツ新聞は全紙が1面で彼の急死を報じ、同時にその偉業をたたえていた。クイックモーション、リリーフ投手の確立、ギャンブルスタートなどなど、日本球界にさまざまなものをもたらし、明らかに近代野球の生みの親となった。

 野村再生工場を経て、くすぶっていた才能を新たに開花させた選手は枚挙にいとまがない。ID野球を学び、野球の本質や奥深さを理解した野村チルドレンは今では各球団に伝播し、「野村の教え」を学んだ者が監督として指揮を執っている。選手として、監督として、評論家として、さまざまな側面から日本球界を大きく発展させた大功労者だ。

 かつての教え子たちだけではなく、因縁のライバルである長嶋茂雄はもちろん、王貞治、張本勲、広岡達朗ら球界の重鎮たちはこぞって追悼コメントを発した。楽天時代の教え子である田中将大はツイッターで哀悼の意を表し、ダルビッシュ有は急遽動画を撮影して追悼コメントを配信した。

 いなくなって改めてノムさんが多くの人に多大な影響を与え、そして愛されていたことが証明された。おそらく、彼の中にはまだまだ「あれもやりたかった、これも見たかった」という思いは残っているだろう。しかし、それは後進の手に委ねて、天国からその奮闘のプロセスを見守っていてほしいと願わずにいられない。

 愛のあるボヤキを、僕らはもう聞くことはできない。残された者たちは、ノムさん亡き後の新たな道を進んでいく。野村の教えをそれぞれのやり方で進化、深化させていく使命を持ちながら。野球を愛し抜いた名将に感謝。そして、心からの哀悼の意を表したい――。


文=長谷川晶一(はせがわ・しょういち)
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