プロスペクトだった男
「終わったと思いましたよね」。沖縄の晴れ渡る空の下、松尾大河は戦力外通告を受けた際の思いを明かした。
熊本・秀岳館高校では1年からショートのレギュラーを奪取、3年生になると春夏と甲子園に出場し連続でベスト4の立役者となる活躍を見せ、侍ジャパンU-18にも選出され、大会首位打者となる。数々の栄光を引っさげて、2016年のドラフト会議で3位指名を受け、ベイスターズに入団した。
走・攻・守、三拍子揃った遊撃手としてじっくりと成長させるべく、ルーキーイヤーにはファームで102試合の出場機会を与えられ、オフにはアジアウインターリーグで活躍。2年目も95試合に出場し、順調に階段を昇っていたかに思われた。
しかし3年目の2019年は、75試合の出場ながらも、過去2年で「350」以上与えられていた打席数が「192」に激減し、打率も「.193」と低迷。オフには高卒3年目のドラフト3位としては異例の戦力外通告を受ける。エリート街道を歩んできた男にとっては、受け入れ難い現実だった。
大切な仲間の存在
自暴自棄になり「野球を辞てもいいかな」との考えが日に日に大きくなっていく。トライアウト前には「次、頑張ろうという気持ちにはなれなかった。もういいやと」という心境になるなど、完全に投げやりになっていた。
それを翻意させたのは、周りの存在だった。「色々な人にメチャメチャ言われました。野球を続けろって」。その中でも心に刺さったのがベイスターズのチームメイト、同級生で仲のいい知野直人と、高校の先輩でもある宮本秀明からの言葉だった。
特に直属の先輩でもある宮本は「『辞めて店でもやろうかな』みたいなことを口走っていたので、『野球を辞めるなら絶交。もちろん、そんな店には行かない』と伝え、寮でも接点を持たないであえて突き放しました」と、長い付き合いで性格を熟知している先輩だからこその行動で奮起を促し、再起を願った。
すると大河の中にも変化が芽生える。それは、仲間の言葉や叱咤激励を受けつつ、同時に他の道を歩むことを想像し葛藤していた時だった。「たこ焼き屋にでもなろうかな、なんて考えていた時に急に怖くなったんです。3歳から始めて18年間やり続けていた野球がなくなってしまうってことが……」。
「野球が好き」。心の中にシンプルな思いが湧き上がってきた。それが、再起に向けて一気に舵を切った瞬間だった。
12球団合同トライアウトを受けることを決意し、横須賀のDOCKで、練習に精を出した。トライアウト当日は「緊張していた」ものの、活き活きとプレーし、4打数1安打1四球という結果。その日のうちにNPB以外の数球団からコンタクトがあり、その中のひとつが琉球ブルーオーシャンズだった。
再び輝く場所へ
あくまでもNPBから声が掛かることを待っていたが、残念ながらNPB球団からの打診はなかった。それでも「1年中、あたたかい気候の中で野球をするには最適だと思った。チームとして個々の能力を上げていく方針にも惹かれました」と、ブルーオーシャンズへの入団を決意する。
「いま野球がめちゃめちゃ面白い」。そう語る大河は、打撃と守備の両面を新たに見直している。
打撃面では「前に重心がかかってしまっていたので、軸足に重心が乗るイメージに変更しています。バットは水平に出して打つことを心がてます」と改良中。守備面では「亀澤さんに細かく教えてもらっています。細かいながらも具体的で、シンプルに言ってくれているので、伝わりやすい」と充実感を漂わせながら、屈託のない笑顔を見せる。
「野球しているなって実感している。しかも下がることはない、とにかく上がることしかないです」。
今後の目標については「NPBに復帰します!」と、きっぱり宣言した。エリート街道から一転、若干21歳の若さで一敗地に塗れた男が、目の色を変えて大好きな野球に取り組んでいる。南の島から眩い光の当たる場所へ――。その才能を再び、NPBに認めさせてみせる。誰もが認めるポテンシャルを持つ松尾大河の新たな物語が、沖縄の地から始まろうとしている。
取材・文・写真=萩原孝弘(はぎわら・たかひろ)