29歳にして大ブレイクを果たした阿部
野球ファンの心をくすぐるキーワードのひとつに、「遅咲き」がある。期待されながらも苦しんできた選手がようやく花を咲かせるのだから、それこそ入団当初からその選手を応援してきたようなファンなら、よろこびもひとしおだろう。
昨季、まさにそんな活躍を見せたのが中日の阿部寿樹(30)だ。阿部は2015年にドラフト5位で社会人のホンダから中日入り。29歳で迎えた昨季は昨季は、プロ4年目だった。本来であれば即戦力として期待されることが多い大卒社会人組だが、ルーキーイヤーからの3シーズンは、一軍で思うような結果を残せず、ブレイク前夜である2018年の出場試合数はわずか「18試合」にとどまっている。
ところが、昨季は二塁手のレギュラーに定着して129試合に出場。残した打率.291はリーグ10位の好成績だ。その印象的な風貌もあって、「マスター」というニックネームとともに、一気に全国的に知られる存在となった。
アマチュアの世界で野球エリートとして注目され続けてきた選手にとっても、プロの壁は分厚い。そのため、様々な形はあるものの、阿部のような遅咲きの選手は、決して少なくない。現役選手なら、松山竜平(広島)や井上晴哉(ロッテ)らも、“遅咲き”と言えるかもしれない
また、投手から野手へと転向した選手ということでは、変則的ではあるものの、雄平(ヤクルト)や糸井嘉男(阪神)なども遅咲きの選手のひとりと言えそうだ。
希代の「遅咲き」かつ「尻上がり」
また、引退した選手も含めると、「遅咲きの選手」と聞いて多くの野球ファンがイメージしそうなのが、和田一浩(元西武・中日)ではないだろうか。
和田は1996年ドラフト4位で神戸製鋼から西武に入団。すでに24歳だった和田は捕手としてプロ入りしたが、“正捕手”伊東勤の存在もあり、打力を生かすためプロ2年目の1998年から外野手にも挑戦。打撃では一定の成績を残していたが、捕手と外野手の併用で思うような出場機会を得ることはできていなかった。
大きな飛躍の年となったのはプロ5年目の2001年。規定打席には届かなかったものの、82試合に出場し、打率.306、16本塁打をマーク。ただ、このシーズンは、まだ捕手と外野手での併用が続いていた。和田にとって最大の転機となったのは、その翌年の2002年だ。
この年に西武の監督に就任した伊原春樹のすすめによって、完全に外野手に転向。「5番・左翼」のレギュラーに定着すると、自己初となる規定打席到達を果たし、打率.319、33本塁打、81打点をマークしてチームのリーグ優勝に貢献したばかりか、ベストナインも受賞。まさに大ブレイクを果たしたこのとき、すでに30歳となっていた。
和田の経歴が素晴らしいのは、30歳で大ブレイクを果たしたあと、43歳となる2015年まで長きにわたって西武と中日の主力として活躍を続けたこと。プロ入りもブレイクも遅かったが、通算2000安打を達成。手にした3つの個人タイトルのうち、最高出塁率のタイトルは38歳となった2010年に獲得している。
和田の場合は、ただ遅咲きだったというだけではなく、選手人生自体が「尻上がり」の選手だったとも言える。そんな和田の選手生命の後半を見守り続けてきた中日ファンなら、阿部にもそんな選手になってほしいと願っているに違いない。
文=清家茂樹(せいけ・しげき)