プロ野球史に残る衝撃のシーン
新型コロナウイルスの感染拡大により、日本の球界はストップしたまま。動画サイトで流れる過去の名シーンや、現役選手による子ども対象の野球レッスンを見ているファンも多いのではないか。
プロ野球史に残る“衝撃シーン”のひとつと言えば、1989年9月23日の西武-ロッテ戦。勘の鋭い読者の方はすぐに気づくと思う。西武・清原和博による、ロッテ・平沼定晴への「バット投げ事件」だ。
平沼の速球が左肘付近に直撃すると、激昂した清原は握っていたバットをマウンド目がけて放り投げる。これがワンバウンドで平沼の身体にぶつかると、その瞬間に戦いのゴングが鳴る。怒った平沼が清原のもとへダッシュで向かうも、清原は向かってくる平沼に対して強烈なヒップアタックをお見舞い。まともにぶつかった平沼は一瞬だけ宙に浮き、ほどなくして地面に叩きつけられた。
それから、今ではあまり見なくなった両軍入り乱れての大乱闘へと発展。「珍プレー好プレー」ではほぼ毎回登場するようなお馴染みの映像であるが、その時の投手である平沼氏は現在、中日で一軍の用具担当をしている。ということで、この機会に当時のことを電話で聞いてみることにした。
「戻ってこなきゃ駄目だと思う」
「何とかキヨとグラウンドで会いたい。キヨが監督をしている姿が見たい。一日でも早く見たい」
あれから20年以上経った。平沼氏は55歳。還暦も近づいているが、あの乱闘の記憶を尋ねたところ、コメントが出てくるわ、出てくるわ。堰を切ったようだった。
記者は普段から平沼氏と雑談もする。何度か、乱闘シーンの思い出も聞いたことがあった。けれど、話に尾ひれがついて、面白おかしく喧伝されるのは本意じゃないに決まっている。必要以上には感情を出さず、事実を淡々と説明してくれる。
その中には、試合後に待ち伏せしていたこと、翌日謝罪を受けたこと。さらに、反抗期を迎えた長男に「清原に負けたくせに」と言われた経験があること。「キヨ」、「キヨちゃん」と呼称を変えながら、聞く側をひきつける要素をちりばめて時系列に話してくれる。
そして今回、再び、聞いた。意外だったのは、心の底からユニホーム姿を見たがっていることだった。
「コロナで球界の人気がどうなるか分からない。キヨちゃんが帰ってきたらどれだけ人気が戻るか。やっぱりキヨちゃんは戻ってこなきゃ駄目だと思うんだよね」
闘争心むき出しで渾身のボールを投げ込む投手と、フルスイングで応える打者。戦いを繰り広げてきた者同士にしか分からない距離感や感情があるのだろう。
「マイナスはない」
当然、2016年に覚せい剤取締法違反で有罪判決を受けた事実にはショックを受けた。
執行猶予が明ける予定は6月。罪をかばう気はさらさらないが、「犯した過ちを彼は償っている。個人としては、復帰の機会を願っています」と平沼氏。つづけて、「どこかの球団の幹部で『チャンスをあげるか』という人が出てくるかどうか。そこだもんね。最初は臨時コーチ、という形だっていいと思う」と語る。
5月5日は子どもの日だった。誰にだってスターはいる。愛知県出身で30代中盤の記者にとって、幼少期のスターは中日・立浪和義。最初にグッズを買ったのはもちろん関連商品。背番号3への憧れから、少年野球チームの遊撃手が「3」ではなく「6」を背負うことについても疑問に思っていた。
昨年末に名古屋市内で行われた、立浪氏の殿堂入りを祝う会では、出席者約500人を見回しながら、この中の何人がかつての野球少年で、「立浪になれなかった男なのかな」と想像していた。
清原氏になれなかった少年たちは、社会の前線でたたかう40~50代になった。球界のユニホームに再び袖を通す日が来たら、どれだけ盛り上がるのか。平沼氏は「球界からみれば興業と人気復活、清原さんにとっては再起。マイナスはないのかな」と話していた。
コロナ禍は人々の心のゆとりを削ぐ。そんな中で垣間見た、平沼氏の抱く清原氏への感情。一度戦った者同士の絆や友情まで、コロナは裂けないと感じた。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)