オンライン取材で「新人王」宣言!
「新型コロナウイルス」の問題により、5月の折り返し地点を過ぎた今なおシーズンの開幕を見合わせているプロ野球。いまだチームとしての全体練習も再開されていないが、多くの県で緊急事態宣言が解除されたこともあり、今後は各選手たちの練習ペースも本格化していくことが予想される。
自主練習の期間はなるべく人と人との接触を避けるべく、各球団が工夫を凝らして小グループでの練習を行っている。もちろん、感染リスクは極力排除すべくメディアが取材に足を運ぶこともできなくなっているが、その中でビデオ通話システムを用いた“オンライン取材”という形をとり、別途時間を取ってメディア対応を実施してくれる球団もある。
先日は、ロッテのプロ3年目内野手・安田尚憲がオンライン取材に登場。3年目とはいえ、まだ新人王の権利を有している大砲候補は、「権利を持っているからには、それを目標にやっていきたい」と、生涯一度のタイトル獲得に向けて、力強く宣言した。
名門・履正社高の主砲として大きな注目を集め、2018年のドラフト会議では一巡目の再入札、いわゆる“ハズレ1位”で5球団が競合した逸材。ロッテに入団すると、1年目から17試合に出場してプロ初本塁打もマーク。昨季は一軍出場こそなかったが、ファームでは本塁打と打点の二冠を達成するなど、ここまでは順調にステップを踏んでいる。
しかし、本人としてはこの現状に満足はしていないことだろう。ドラフト同期であり、同学年のライバルたちが、一歩も二歩も先を進んでいるからだ。
ヤクルトに入団した村上宗隆は、プロ2年目の昨季大ブレイク。一軍で36本の本塁打を放つ大暴れで、新人王に選出された。また、高校時代からのライバルである日本ハム・清宮幸太郎も、村上ほどの活躍ではないものの、2年間で通算15本塁打をマーク。一軍での経験という意味では先を走っている。
そんなライバルたちに追いつけ、追い越せ──。3年目の今季、安田は一軍でレギュラーを掴み、新人王を獲りに行かなければならない。
ロッテの野手で新人王は過去3人
ロッテの野手で新人王といえば、前身球団を含めても過去に3人。榎本喜八に有藤通世、そして小坂誠と、いずれも球団史にその名を残す選手たちだ。
球団初の新人王が、1955年の榎本喜八。早稲田実業高からロッテの前身である毎日オリオンズに入団すると、ルーキーイヤーからレギュラーに定着。いきなり139試合に出場を果たし、打率.298(490-146)で16本塁打を記録して、新人王に輝いている。
その後は「安打製造機」の異名を取り、首位打者を2回獲得。さらにベストナインは9度も受賞するなど、現役引退までに2314安打を記録したレジェンドである。そのうち、ロッテで放った2276安打は現在も球団記録となっている。
榎本の受賞から14年…。1969年に再び新星が現れる。有藤通世が球団の野手として史上2人目の新人王を受賞した。
1968年のドラフト1位で指名を受け、近畿大学からロッテへと入団。榎本と同様に1年目からレギュラーに定着すると、打率.285(369-105)、21本塁打の活躍。新人王だけでなく、三塁手のベストナインにも選出された。
その後もロッテ一筋でプレー。通算2057安打を放つなど、その活躍ぶりから「ミスター・ロッテ」と呼ばれた。その安打数は、榎本についで球団史上2位の記録である。
そして、1997年。小坂誠は前出の榎本や有藤のような派手さはないかもしれない。しかし、通算では球団最多となる59三塁打、241犠打を記録。守備面でも、遊撃手としては球団最多となる4度のゴールデングラブ賞を受賞。チームに欠かせないいぶし銀として存在感を示した。
1950年に制定された新人王受賞者を見渡すと、1年限り、あるいは短期間でしか結果を残せなかった選手も多い。しかし、ロッテの野手における受賞者は、全員が1年限りの活躍で終わらず球団史に名を刻むような結果を残してきた。
なお、高卒3年目の野手による新人王の受賞は、これまで1996年の金子誠(日本ハム)の一例しかない。無事にプロ野球が開幕し、安田がこの低くないハードルを飛び越えていく姿をぜひ見たいものである。
安田尚憲・プロフィール
ポジション:内野手投打:右投左打
身長/体重:188センチ/95キロ
生年月日:1999年4月15日
経歴:履正社高-ロッテ(17年・D1)
▼ 昨季成績
[一軍]出場なし
[二軍]122試 率.258(449-116) 本19 点82