コーチがコロナの犠牲に
中米のニカラグアで野球のコーチが新型コロナウイルスの影響で死亡したことが、地元紙『ラ・プレンサ』で報じられた。長らく反米左派のオルテガ政権の支配が続くこの国だが、ラテンアメリカでは数少ない「野球国」であり、1年を通して野球が行われている。
野球人気の割には、国際大会ではあまりその名を見ないが、1984年のロサンゼルス、1996年のアトランタと、オリンピックには2度出場。第3回(2013年)と第4回(2017年)のWBCも予選には参加していた。ウインターリーグ復活後は年々力をつけ、現在のWBSCランキングは15位と、プレミア12を十分に狙える位置にいる。
今回、新型コロナウイルスにより死亡したのは、国内リーグのチーム、「サンフェルナンド」でコーチを務めていたカルロス・アランダ氏。59歳だったという。現地時間の先週16日に入院し、21日に死亡した。「コロナウイルスによるすべての症状」が出たというから、呼吸器疾患により死亡したものと思われる。
ニカラグアの野球事情
1年を通して気温が高いこの国では、プロリーグとして2004年に11月に復活したウインターリーグがあるが、2月から10月にもアマチュアの国内リーグ『ポマレス(Pomares)』が行われている。「アマチュア」と言っても、選手・指導者には政府から報酬が支払われ、全国各県にチームがあるポマレスは、太平洋岸の4都市にしかチームのないウインターリーグに匹敵する人気を誇っている。
ウィンターリーグの選手もポマレスでプレーしているが、その中にはベネズエラ出身で日本の独立リーグ、ルートインBCリーグでのプレー経験もあるウィリアンス・バスケス(日本での登録名はウイリー)も含まれている。アメリカのマイナーやイタリアでのプレー経験もあるバスケスは、2012年に石川ミリオンスターズに入団したが、打率.254、ホームランなしに終わり、19試合の出場で日本を去った。
日本ではあまりなじみがないが、サッカーが人気を席巻している中南米にあって、アメリカの事実上の支配を受けた経験のあるこの国では、野球人気がサッカーのそれをはるかに上回っている。
国立スタジアムと言えば、サッカーのできる競技場が相場のこの地域にあって、首都マナグアにある国立スタジアムは最新鋭のボールパーク様式の野球場だ。その球場には、この国出身の最初のメジャーリーガーで、1984年の日米野球でボルチモア・オリオールズの一員として来日したデニス・マルチネスの名が冠せられている。
また、メジャーリーグ・ファンには、ラテン系選手のアイコンで、この国に地震が起こった際、救援物資を運ぶ途中に事故で帰らぬ人となったプエルトリカン、ロベルト・クレメンテの名を思い浮かべる人もいるだろう。彼の名は、現在、マサヤという町のスタジアムにその名を留めている。このマサヤに本拠を置くのが、今回亡くなったアランダコーチが所属していたチーム「サンフェルナンド」だ。
目立ったコロナ対策は実施されず…
今年の国内リーグ・ポマレスは、コロナ渦がまだ太平洋を渡る前の2月に前期シーズンが開幕。コロナの脅威が中米にも迫った後も続行され、上位チームによる2次リーグを経てプレーオフに突入していた。
ブラジルと同じく、この国では目立ったコロナ対策は実施されず、国内リーグも観客を入れて実施され、各球場は連日大入り状態。その一方、オルテガ大統領自身は長らく公の場に姿を見せず、国外メディアから批判を受けていた。
それでも国際航空便が一時ゼロになるなど、事実上の「国境封鎖」状態にもなったせいか、コロナ感染者の数は周辺諸国より少なく、外務省の感染症危険情報では、メキシコや隣国のホンジュラスより下位のランク2「不要不急の渡航は止めてください」となっている。
しかし、4月末時点の患者数が、政府発表の3人に対し、市民団体発表の数字は316人と大きく違っており、政府はコロナ患者数のほとんどを「肺炎」患者にカウントしているのではないかという疑惑も浮上。そのような中で起こったアランダコーチの死に対し、父親は「自分の息子はコロナのすべての症状を示していた」と発言し、リーグ戦を中止しなかった野球連盟を批判している。
全国で緊急事態宣言が解除され、無観客ながらプロ野球の開幕日も決定。通常の生活を少しずつ取り戻そうとしている日本だが、まだまだ完全終息に程遠い。コロナの脅威を自覚せねばならないことは、肝に銘じねばならないだろう。
文=阿佐智(あさ・さとし)