開幕戦にまつわる“衝撃事件”
新型コロナウイルスの影響で延期されていたプロ野球が、いよいよ6月19日に開幕する。
「開幕戦はただの1試合にあらず」と言われるように、どのチームも強い気持ちで挑んでくる戦いであり、過去にも様々なドラマが生まれた。
それが約3カ月遅れの、待ちに待った試合となればなおさら。今季もいきなりの名勝負誕生に注目が集まる。
そこで今回は、『プロ野球B級ニュース事件簿』シリーズの著者であり、ライターの久保田龍雄氏に、“開幕戦”にまつわるエピソードを振り返ってもらった。
王・長嶋を手玉にとった金田正一
開幕戦で最も有名なエピソードといえば、古い話にはなるが1958年の4月5日、巨人のゴールデンルーキー・長嶋茂雄が、国鉄のエース・金田正一に喫した4打数4三振。これに尽きるだろう。
のちの“ミスター・プロ野球”がデビュー早々に受けた、痛烈すぎる“プロの洗礼”。
振り返ってみると、4打席いずれも空振りの三振で、全投球数19のうち、ストライクは12。内訳は空振りが9、ファウルチップが1、見逃しが2だった。
しかし、これほど完膚なきまでにやられても、めげることなくバットを振りつづけた長嶋の積極果敢さと、そのスイングの鋭さを見た金田は「いつか打たれる」と予感したのだとか。まさに開幕戦で生まれた“伝説”である。
さらに、翌年4月11日の開幕戦。ここでは前年の長嶋に続いて、今度は王貞治が金田の洗礼を受けた。
オープン戦で5本塁打を記録した注目の高卒ルーキーは、この日「7番・一塁」でスタメン出場。ただし、金田の前に2打数2三振・1四球に終わり、「2階から落ちてくるカーブがあって、球(直球)も伸びてくる」と脱帽。のちの“世界のホームラン王”も悔しさからのスタートだった。
それから因果はめぐり、6年後の1965年。4月10日に行われた開幕戦で、巨人のマウンドに立っていたのが金田だ。
移籍を経て、かつて手玉に取ったONコンビをバックに快投。中日を4安打・2失点に封じて移籍後初勝利を挙げている。
また、“ON”といえば、長嶋が現役を退き、巨人の新監督として挑んだ1975年4月5日の開幕戦も。
この試合では、開幕直前に左ふくらはぎを痛めた王がスタメン落ち。引退と故障により、巨人の看板である“ON”がスコアボードから消えたのだ。
ちなみに、王はその試合の9回に代打で登場。四球を選んでいるが、開幕戦での「代打・王」というのも、これが最初で最後の珍事だった。
7本塁打も“全部ソロ”
過去の開幕戦で最も本塁打を記録したのが、1980年の広島。なんと1試合で7本ものアーチを描いた。
4月5日の阪神戦。2点を先行された広島は4回にジム・ライトルがソロを放って反撃の狼煙をあげると、1-4で迎えた5回に三村敏之・水谷実雄・池谷公二郎の3発で同点。
さらに、6回には衣笠祥雄とライトルに本塁打が飛び出し、小林繁をKO。6-6の同点で迎えた9回、表の守りで阪神の勝ち越しを阻止する好返球を見せた新助っ人のマイク・デュプリーが右中間スタンドに叩き込む劇的サヨナラ弾。2年連続日本一に向けて、最高のスタートを切った。
また、この本数もすごい記録ではあるのだが、この7本がすべて「ソロ」というのも驚くべきポイント。
この記録が破られることはあるのだろうか。
野茂英雄の“ノーヒットノーラン未遂”
日本人メジャーリーガーのパイオニアとして、アメリカでトルネード旋風を巻き起こしたあの男も、開幕戦で印象的な投球を披露している。
1994年4月9日、西武との開幕戦に先発した野茂英雄。この日は8回まで12奪三振、1本の安打も許さない圧巻のピッチング。3-0で運命の9回へと向かった。
しかし、先頭の清原和博に初安打となる二塁打を浴びると、そこから四球と失策で一死満塁とピンチを広げ、8番の伊東勤を迎えたところで、鈴木啓示監督が交代を決断。赤堀元之をマウンドに送る。
これは赤堀が前年に伊東を7打数無安打と抑え込んでいたデータによるものだったが、スタンドのファンのみならず、記者席の報道陣もビックリ仰天の交代劇。
西武側も、打撃コーチが代打を進言したのだが、森祇晶監督は「風が右から左に吹いている。右打者のほうがいい」と、伊東を打席へ。
「ゲッツーだけは食わないように、とにかく後ろの人につなごう」と、バットを短く持った伊東はファウルで粘りに粘り、カウント2ボール・2ストライクから赤堀が投じた8球目。高めに甘く入ってくるところを見逃さずに振りぬくと、打球はレフトスタンドに吸い込まれた。
なんと、開幕戦史上初の“逆転サヨナラ満塁弾”。しかも、これが伊東にとって通算1000本目の安打でもあった。
一方、野茂は大記録目前から一転、まさかの白星まで失うという結果に。
「開幕戦は野茂と心中や」と明言しながら無失点の状態で交代させた近鉄サイドと、データ上の不利が明らかだったなかで伊東を信頼して打たせた西武サイド。両者の采配の違いが、そのまま明暗を分けた。
開幕戦で3連発…清原が小早川にかけた言葉
前年に広島を戦力外となり、ヤクルトに“拾われる”格好になったベテランが自身初の3連発を放ったのが、1997年の開幕戦だった。
このエピソードの主役は、小早川毅彦。当時ヤクルトを率いていた野村克也監督から「お前は大学でもプロでも、1年目はいい年になっただろ。だから今年もきっと活躍できる」と励まされたというかつての左の大砲は、その言葉を胸に巨人との開幕戦に出場。相手は4年連続で開幕戦の完封勝利を狙う、エースの斎藤雅樹だった。
すると2回、なんと自身576日ぶりとなる先制弾を叩き込むと、つづく4回、さらには6回にも3打席連続でアーチを描く。新天地での復活劇は大きな感動を呼んだ。
また、この試合の4打席目、小早川は敬遠の四球で一塁へ。すると、そこにはPL学園の後輩であり、この年から“憧れの巨人”に移籍を果たした清原和博がいた。
「先輩。『願い』っていうのは、叶うものですね」──。
小早川はこの言葉を、自分自身へのメッセージのように感じたのだという。
そして、この開幕戦の勝利で勢いに乗ったヤクルトは、2年ぶりに日本一を奪回。ベテランの再起にかける想いが、チームに火をつけたのだった。
「野球の底力」
最後に、近年では2011年の開幕戦。この年は開幕直前に東日本大震災が起こり、3月27日に予定されていた開幕戦が延期に。その後、4月12日にプロ野球の開幕を迎えた。
QVCマリンフィールドで行われたロッテ-楽天の一戦。特に楽天は地元が甚大な被害を受け、被災者の方々へ元気を届けたいという想いからはじまったシーズン。開幕直前に行われた復興支援試合の際に、キャプテンの嶋基宏が語った「見せましょう、野球の底力を」というフレーズは年末恒例の流行語大賞にもノミネートされた。
そんな強い気持ちを持ってシーズンに挑んだ嶋が、16日遅れの開幕戦で劇的な決勝3ラン。「決してあきらめない」と強く宣言した男のひと振りは、多くの人々に勇気と感動を与えた。
あれから早9年…。震災の直後、大きな被害を受けた宮城県東松島市を訪問した嶋が、幻の開幕戦チケットを持って避難した母娘から頼まれ、そのチケットにサインしたエピソードや、ロッテファンが母娘のために開幕戦のペアチケットと千葉までの往復の交通費をプレゼントしたという心温まるエピソードも、まだ記憶に新しい。
あの時以来となる、開幕の延期。それも今年は3カ月近くも待たされることになり、多くの野球ファンがつらい日々を過ごした。
今度もまた、選手たちからファンを元気にするような印象的なプレーが飛び出すのか。6月19日の開幕戦が待ち遠しい。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)