4年ぶりの白星発進!
6月19日(金)、プロ野球の2020年シーズンが開幕。中日は敵地・神宮に乗り込んでヤクルトとの開幕戦に望み、延長10回の激闘を制した。
実に4年ぶりとなる、オープニングゲームでの白星。新型コロナウイルスとの共存を強いられ、3カ月遅れで訪れた球春。雨の中、抑えの岡田俊哉がツバメの若き4番・村上宗隆を空振り三振に斬ってゲームセット。主将の高橋周平は、チームメイトと“エア・ハイタッチ”を交わして喜びを分かち合った。
打っては3安打の猛打賞、守っても好プレーで投手を盛り立てる。タッチアップで見せた決死の本塁突入、泥まみれになって1点をもぎ取ったヘッドスライディングには、見ていてグッと来るものがあった。
「来年キャプテンになるかもしれない」
記者はスタンドにいた。
“そういえば、高橋はどんな経緯で主将になったんだっけ…?”
試合後、選手の引き上げたグラウンドを見つめながら、2年半前を振り返っていた。
あれは2018年の年の瀬、12月30日の夜のこと。高橋は神奈川県藤沢市の実家に帰省していた。
親族や中学時代の同級生らと食卓を囲んでくつろぐ。テレビでは、TBSの「輝く!日本レコード大賞」が流れていたと記憶している。同席していたから分かるのだが、この過ごし方はプロ入りから変わっていない。
そんなお決まりの空気が、背番号3の言葉で一変する。
「俺、来年キャプテンになるかもしれない」
両親は冗談だと受け止めたのだろう。「変なこと言わないでよ」と笑っていた。
「やるしかないっしょ」
2011年秋のドラフト会議では、3球団が1位で競合した逸材。入団から7年、はじめて規定打席をクリアして迎えたオフ。その祝福も兼ねた食事の席だったとはいえ、「あんた、いきなりキャプテンだなんて…」という雰囲気だった。
兄・恭平さんにいたっては、半信半疑と動揺とであたふたしていた。
「まだ早いと思う。ようやく1歩目を踏み出したばかりなのに、チームを背負えるのか?来年も試合に出続けられるとは限らない。その時、ベンチで周りを盛り上げられるのか?キャプテンは自分のことだけじゃない。キャプテンの意味、分かっているのか?」
何人ものプロ野球選手を輩出する神奈川の名門・東海大相模高でプレーした恭平さん。弟の活躍はもちろんうれしい。しかし、兄として気になったのは、地道にステップアップしてレギュラーになった弟が、“主将”の看板で押しつぶされやしないか…。
心配する恭平さんから、記者へ向けられた「ですよね?」という視線は忘れられない。
恭平さんの主張に誰もが少しの間、押し黙った。口を開いたのは高橋だった。
「ほら、監督が与田さんに代わるでしょ。だからだよ。期待してくれているって、うれしいじゃん?頑張れよ!って言われなくたって頑張るけど、名前を挙げてもらったんだから、やるしかないっしょ」
高橋の腹は決まっていた。年が明けて、与田監督と正式に言葉を交わし、主将・高橋は誕生した。
期待に応え、チームの顔に…
主将になるかもしれないと打ち明けられた夜、記者は何も言葉を掛けなかった。
新監督からの評価はありがたいに決まっている。一方で、自由にプレーしてほしいという思いもあった。
それに、家族間での真面目な話だった。私がどんな言葉も発しても宙をさまよう。そもそも、しゃべるべき内容もはっきりしていなかった。
結果的に、与田監督による主将指名は、高橋の転機になった。
それからの活躍は読者のみなさまもご存じだと思う。昨季はオールスター戦にも出場し、初のベストナインを獲得。ゴールデングラブ賞もゲットした。間違いなく、チームの顔のひとりに成長した。
2019年の12月30日。記者はこの年も藤沢の家にお邪魔していた。
「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします」
高橋はそう声をかけて、会をお開きにした。
あれから半年とちょっと…。コロナ禍の中、待ちに待ったプロ野球が開幕した。
今年も主将・高橋を追い掛け回す。そう思い直した神宮の夜だった。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)