特異なシーズンを実感する日々
プロ野球が開幕して1週間がたつ。
無観客の球場では、静寂と選手間の歓声やヤジだけが響き渡る。そのため神宮球場のヤクルト-中日戦では、放送席から発せられる中継音までが筒抜け。「キャッチャーがインコースに構えた」とアナウンサーがしゃべる音が伝わったという。たまらず中日の与田剛監督からクレームが出て、翌日以降、球場側は対応に追われるという珍事まで起こった。
サヨナラ勝ちの後も、これまでのようにははしゃげない。ハイタッチは禁止され、選手間の距離も保たねばならない。巨人の原辰徳、ソフトバンクの工藤公康両監督がヒーローを迎える時、異口同音に発した「本当なら抱きしめてやりたいのだけれど」という談話にも特異なシーズンを改めて感じさせられた。
選手や球場関係者も大変なら、それを伝える報道陣も同様だ。
例年通り、試合開始の4時間前には球場入りするが、まず検温と体調チェック。晴れて取材許可を得てもグラウンドレベルには立ち入り禁止。したがって選手個々との取材は出来ない。大半の情報は広報が用意する選手談話などで、試合後も監督やヒーローなど数人を囲むことは出来ても「ソーシャルディスタンス」を確保の上で話を聞く程度、球団によってはオンライン取材とするケースもある。
コロナ禍の中のスポーツ。誰もが感染しても、させてもいけない。今後第二波、第三波の恐れも指摘される。7月に入ると一部観客を入れての興行となる。すべての人間がその恐ろしさを認識して対処していくしかない。まさに「ウィズコロナ」の新生活が始まっている。
変わりゆく情報発信の形
一方で、コロナの新時代はマスコミにとって困った問題も抱えることとなった。取材する側とされる側。時には選手や球団にとって嫌な質問もぶつけることもある。取材する側から言えば原則は1対1で話を聞き、他社にない秘話やエピソードを盛り込みたい。
多少大げさな表現を使えば、「記者の後ろには何十万、何百万のファンがいる。その代弁者として取材を続ける」という自負がある。ところが、現状は先に述べたように個別取材はほとんど出来ずに広報頼り。これでは本来の取材活動には程遠い。
開幕前のこと、ソフトバンクはデニス・サファテ投手が一身上の都合で一時帰国していたことを明かし、近日中の再来日を発表した。巨人では坂本勇人、大城卓三両選手がコロナの陽性反応で入院処置となった時、“濃厚接触者”である宮本和知コーチ、相川亮二コーチが自宅待機となったが、ふたつの件ともに、その時点では報じられていない。
つまり、情報が遮断されるため球団の発表がなければ何も書けないのだ。一部にはこうした現象を「大本営発表」と危惧する向きもある。
人間が隔離され、行動に制約が加われば、益々ネットの時代が加速する。
野球界でも自粛期間中はSNSを通じて選手個人がファンに向けて情報を発信、球団でも独自の企画でサービスを続けた。海外からもダルビッシュ有投手(カブス)のようにモノ言うユーチューバーの発言などが注目を集める。さらにサッカー界を中心にネット中継を介して、お気に入りのプレーに金銭を寄付する「投げ銭システム」なども登場、新たな収益の道も開拓されている。
じっくりと話を聞こうにも聞けない。今の報道の在り方は明らかに異常であり特別なものである。コロナの時代だからある意味、当然だろう。だが、病魔との戦いが今後1年も2年も続くようなら、マスコミ側から何らかの手を打たなければならない。
近年、野球の取材現場でも様々な制約が増えている。これまで当たり前のように取材出来たエリアが制限されたり、ネット裏の記者席は撤去されて収益の見込めるVIPルームに衣替えの球場も珍しくない。そうした状況の中で今またコロナによって報道の在り方が問われている。
新時代のスポーツ、野球報道とはどうあるべきか。従来の取材手法がとれない時に記者たちはどうやって読者のニーズに応えていくのか。
こんなところにも変革の波はやってきている。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)