白球つれづれ2020~第34回・拝啓、宮内義彦オーナー
中嶋オリックスが予想外の快発進を見せている。
今月20日、西村徳文監督が電撃辞任、これに伴う監督代行に二軍監督だった中嶋聡の就任を発表した。この時点でチーム成績は16勝33敗4分けで断トツの最下位。事実上の解任だった。
直前の西武との6連戦も3連敗、ここでバトンを渡された中嶋監督代行だが、何と残る3戦に3連勝の離れ業をやってのけた。
二軍監督時代の教え子である中川圭太選手をいきなり4番に抜擢したかと思えば、同じくファームから引き揚げた杉本裕太郎選手もスタメン起用。投手でも富山凌雅、漆原大晟と言った“中嶋チルドレン”を大胆起用するとズバリ的中。加えて鳴り物入りで獲得した大物助っ人、アダム・ジョーンズ選手が突如大爆発とやることなすこと、すべてが当たっての快勝だ。
逆に「死に体」のオリックス相手に借金返済を狙った西武にとっては誤算だらけ、まさに死に馬に蹴られた思いだろう。
新指揮官の中嶋聡は51歳。オリックスの前身・阪急で捕手として長年活躍後、西武、横浜、日本ハムなどに移籍、46歳で現役引退した際には阪急で生き残る最後の選手として話題にもなった。
昨年からオリックスの二軍監督に就任するとチーム方針でもある「育成と勝利」を追求。シーズン途中で苦渋の決断をした福良淳一GMも「コーチ経験も長く育成にも長けている。若手と上にいるメンバーを融合させて、チームの雰囲気を変えて欲しい」と期待を寄せている。
繰り返されてきた歴史
担当記者の話などを聞くと、よほどのことがない限り、来季以降も中嶋体制が継続される見通しだという。近年のオリックスは森脇浩司、福良淳一に前任の西村徳文と監督交代のたびにチーム内昇格が続いているからだ。
一方でこうした人事が成功しているのか?と言えば答えは「ノー」と言わざるを得ない。2000年以降、シーズン途中の監督交代劇は12回あるが、そのうちの5度がオリックスだ。その次に多いのが中日と横浜(現DeNA)の各2度だから、いかにこのチームだけが首のすげ替えを繰り返してきたかがわかる。加えて最後に優勝したのは1996年のブルーウェーブ時代。12球団で最も優勝から遠ざかっているチームである。
内部からの自浄作用で変革を目指すのも一つの見識ではある。だが、今回の西村更迭だけを見ても、その背景にはフロントと現場組の風通しの悪さや、責任の所在の曖昧さを指摘する関係者もいる。ここまで落ち込んだ組織を建て直すには、血を流すほどの劇的な改革が必要ではないだろうか? 常識の範囲ではとても復活は期待できない。
ここで、球団と監督の歴史を振り返ってみる。前身の阪急時代は1960年代後半から70年代にかけて黄金期を迎える。西本幸雄、上田利治の名将が選手を鍛えて強豪に仕立てた。その後、オリックスに球団が譲渡されるとブルーウェーブ時代の96年に19年ぶりの日本一奪取、知将・仰木彬が宙に舞った。しかし、その後は近鉄との合併(2004年)や東北楽天の誕生に伴う選手分配ドラフトなど“嵐の時代”とともに低迷が続く。
劇的な改革には劇薬も!?
そんなチームの長期低落傾向に歯止めをかけ、劇的に改革できる指導者はいないものか? 個人的には思い当たる男がいた。落合博満氏だ。
3度の三冠王に耀いた打の至宝は指導者としても超一級の足跡を残している。2004年に中日の監督に就任すると8年間の在任期間で日本一に1回、リーグ優勝4回、他のシーズンもBクラスに落ちたことは一度もない。
ぶっきらぼうな口調で報道陣の受けは決して良くなかったが、今では球界の常識となったキャンプ初日からの紅白戦をいきなり実施したり、荒木雅博と井端弘和の名二遊間を突如配置転換したりと常識破りのチーム改革を実践して王国を作り上げたのは記憶に新しい。落合なら西本、上田、仰木ら名将のカリスマ性とも引けを取らない。地味なチームには時として「毒」ともなる強烈な刺激が必要だ。
もちろん、オリックスファンとしては、あのイチローが監督として帰ってきてくれる日を夢見ているに違いない。だが、現実的には難しいというのが衆目の一致した見方だ。それなら在野で最も勝てる将に目を向けてもおかしくない。
拝啓、野球通で知られる宮内義彦オーナー、ここ一番の勝負手として検討してみてはいかがでしょうか?
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)