コラム

ノーノー未遂に連続無得点記録…球界に残る「貧打」にまつわるエピソード

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2011年に連続無得点のリーグ記録を作った広島 (C) Kyodo News

打たなければ勝てないゲーム


 "打線は水物"──。この言葉は、野球ファンならば何度も耳にしたことがあるだろう。

 前日に猛打で2ケタ得点を奪ったかと思いきや、翌日は嘘のように打線が沈黙。「2日に分けて取れ」と思った経験がある方も少なくないのではないか。


 打って点を取らなければ勝てないのが野球というスポーツ。しかし、チーム状態や相手との兼ね合いによっては、得点力不足に悩まされて「貧打」という見出しがつくことも珍しくない。

 今季で言えば、9月のオリックスが「貧打」に泣いた。8日の西武戦では、髙橋光成を前に8回まで無安打・無得点と沈黙。なんとかノーヒッターこそ阻止するも、11日のロッテ戦でも中村稔弥を相手に7回まで無安打。4日で2度の"ノーノー未遂"、それもいずれも1安打での完封負けというのが話題になった。

 その後も14日のロッテ戦で二木康太に3安打シャットアウト負けを喫するなど、負の連鎖はなかなか止まらず…。中嶋聡監督代行も「本当にこんな試合をして、申し訳ないなという気持ちで一杯ですね」と、沈痛な表情を見せていた。


 今回は、プロ野球の歴史における「貧打」にまつわるエピソードを大特集。過去には今季のオリックスの比ではないほどの"超貧打"に泣いたチームもあった。


「ノーヒッター×2」分の連続無安打


 「ノーヒットノーラン2試合分」に相当する連続イニング無安打のプロ野球ワースト記録をつくったのが、1995年の西武である。

 前年にリーグ5連覇を達成した西武は、この年も6月25日の時点で首位・オリックスに1ゲーム差の2位。好位置をキープしていたが、主砲・清原和博が右肩の脱臼で離脱すると、そこから歯車が狂いだす。


 一気に打線が湿り、6月27日のロッテ戦からズルズルと7連敗。6連敗目の7月4日の日本ハム戦では、キップ・グロスに対して初回の1安打のみという打者27人の“準完全”で完封負け。東尾修監督を「27人?恥ずかしいな」と嘆かせた。

 ところが、翌5日も負の連鎖は止まらず、西崎幸広に12三振を奪われるノーヒットノーラン負け。1963年・大洋のワースト記録「16」を更新する、17イニング連続無安打となってしまった。


 2日間眠ったままの打線について、東尾監督は「落ちるところまで落ちた?そのとおりです」とすっかりお手上げ。ワースト記録は同7日の近鉄戦の初回まで、3試合にまたがる「18」に伸び、ついにノーヒットノーラン2試合分になった。

 優勝争いをするようなチームでも、いったん歯車が狂うと一気にどん底まで落ちてしまうのが、野球の怖さである。


「ノーノー」わずか10日後に再び危機


 ノーヒットノーランを食らったわずか10日後に、再びノーヒットノーラン寸前の大ピンチを味わったのが、2004年の広島だ。

 10月4日の阪神戦で井川慶にノーヒットノーランを許した広島。しかし、14日のシーズン最終戦・横浜戦でも、吉見祐治の緩急自在の投球の前に9回二死まで無安打無得点。シーズン2度目の不名誉な記録まで"あと1人"と追い詰められた。

 なお、同一シーズンに2度のノーヒットノーラン負けというのは1968年に大洋が記録しているが、同年は1度目(5月16日・巨人戦)のあと、2度目(9月14日・広島戦)まで4カ月近いブランクがあった。それに引き換え、この広島は1カ月に2度、それも10日後に2度目というのは、あまりにも聞こえが悪い。


 そんな崖っぷちの状況で打席に立ったのは、右足首靭帯断裂の重傷により、シーズンの大半を棒に振ったプロ11年目の福地寿樹だった。

 前日までシーズン通算16打席無安打と当たっていない福地。この日も第1打席は捕邪飛、第2打席は三ゴロと、吉見に対してまったくタイミングが合っていなかった。

 ところが、「最後の打者にはなりたくない」と、気合を込めてバットを一振り。左中間に飛んだ打球は、レフト・古木克明が懸命に差し出すグラブのわずか先を抜け、これがエンタイトル二塁打に。結局、この1安打のみで完封負けを喫したが、福地の執念がチームを救った。


 ちなみに、シーズン唯一の安打でノーヒットノーランを阻止したというのは、1952年6月15日の巨人戦で、9回二死から内野安打を放ち、別所毅彦の完全試合をストップした松竹・神崎安隆以来、52年ぶり2人目の珍事。

 広島ではあまり活躍できなかった福地だが、ヤクルト時代の2008年と2009年には2年連続で盗塁王に輝き、“遅咲きの星”と呼ばれた。


広島が作ったワースト記録


 広島といえば、2011年に連続イニング無得点のセ・リーグワースト記録を更新したことでも知られている。

 同年の広島は、5月26日・西武戦の4回に2点を挙げたのを最後に、来る日も来る日もゼロ行進。同28~29日の日本ハム戦と31日の楽天戦では、3試合続けて0-1で敗れるという球団ワースト新記録をつくったばかりでなく、35イニング無得点(26日の西武戦は延長10回、28日の日本ハム戦は延長11回)で5連敗という泥沼に陥った。

 そして、6月1日の楽天戦も0-3の完敗。これでリーグワーストの4試合連続完封負けとなり、連続イニング無得点も前年の球団記録「40」を更新する「44」になったのだ。


 だが、3安打に終わった31日の楽天戦を除けば、貧打と言うよりは、決定打不足だった。

 6月1日の楽天戦も3回に4安打を集中しながら、盗塁死などで得点に結びつけられず、8回の無死二塁も後続3人が凡退。点を取れないことがプレッシャーとなり、自縄自縛に陥るという悪循環だった。

 同3日のオリックス戦も2回に2四球と打撃妨害で無死満塁のチャンスをつくりながら、浅い中飛と連続三振でまさかの無得点。「あそこでパスボールが2つぐらい出ないかと思った」と、当時チームを率いていた野村謙二郎監督が他力本願を切望するほどの重症だった。

 5回も2安打でチャンスをつくりながら、そこも併殺で無得点に終わり、ついに1996年のヤクルトと並ぶリーグタイの49イニング連続無得点を記録。そして、6回も一死二・三塁を拙攻で潰し、ついにセ・リーグ新となる「50」を記録してしまった。

 それでも、0-6の7回、東出輝裕に待望の適時二塁打が飛び出し、これが51イニングぶりの得点。ようやく長い呪縛から解き放たれた。


 ちなみに、セ・パ通じてのプロ野球記録は、1953年の大映が記録した、「5試合連続完封負けを含む59イニング」。同年の大映はパ・リーグ7チーム中3位と決して弱いチームではなかっただけに、やはり打線は水物である。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
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