伝統の一戦で起こった“疑惑のプレー”
いつもより3カ月遅れてはじまったプロ野球の2020年シーズンも、11月までで全日程を終了。カレンダーは12月に突入し、いよいよ本格的なオフシーズンの訪れを迎えている。
今季も様々な珍プレーが飛び出した野球界。今回取り上げるのは、9月17日の巨人-阪神戦で話題となった“疑惑のプレー”について。
初回、近本光司の先頭打者本塁打などで2点を先制した阪神は、なおも二死満塁で、木浪聖也が二塁方向に高いバウンドのゴロを転がす。
その直後、二塁ベース手前で、今まさに捕球しようとしたセカンド・若林晃弘が、一塁走者・陽川尚将と交錯。ボールは後方に抜けていった。
これを見た森健次郎二塁塁審は、「守備妨害」の判定。走者の陽川にアウトを宣告する。だが、よく映像を見てみると、接触を避けようと減速している陽川に対し、若林は打球とは正反対の方向に左手のグラブをヒョイと差し出し、自ら当たりにいったようにも見える。内野安打になって3点目を失う事態を防ぐため、咄嗟に“守備妨害を狙った”とも解釈できるプレーだった。
矢野耀大監督は抗議に出るも、判定は変わらない。審判の立場では、仮に故意だと認識しても、「打球を処理する守備優先」というセオリーから、守備妨害を取らざるを得ないからだ。結果的には、若林の“頭脳プレー”だったと言える。
捕手の“名演技”で守備妨害が成立
そんなルールの盲点を突いたプレーは、過去にもあった。捕手の“名演技”によって守備妨害が成立し、一打逆転のピンチを逃れるシーンが見られたのが、1971年7月31日の阪神-巨人戦だ。
1点を追う9回、巨人は連打で一死一・三塁のチャンスをつくり、打者は上田武司。カウント3ボール・1ストライクから村山実の5球目、一塁走者・堀内恒夫がスタートを切る。
直後、捕手・辻恭彦は前に出ながら、上田を押しのけるようにして送球したが、ボールはコロコロ…とマウンドに向かって転がった。打者に妨害されて投げ損なったと言わんばかりのゴロ送球。山本文男球審は守備妨害を取り、上田にアウトを宣告。堀内も一塁に戻された。
二死となり、ひと息ついた村山は、次打者・柳田俊郎をフォークで三振に打ち取り、1-0の逃げ切り勝ち。試合後、辻は「審判が守備妨害に取らないと困るし、変なところに投げて、本塁を衝かれてもいかんので、投手にゴロで返したんだ」と種明かし。
頭脳プレーに見事してやられた巨人・川上哲治監督も、「確かに上田の足は(打席から)出ていた。しかし、辻にうまくやられた感じだ」と脱帽するしかなかった。
ロッテの助っ人は“演技”が逆効果に…
走者の“演技”がクサ過ぎたために、守備妨害を取られるという珍プレーが見られたのが、1998年6月9日のロッテ-近鉄戦だ。
1点を追うロッテは4回、先頭のマーク・キャリオンが左前安打で出塁したが、次打者・初芝清の遊直で飛び出してしまう。慌てて一塁に戻ろうとしたキャリオンは、タイミング的に間に合わないと見るや、頭を左右に振りながら走り、送球ミスを誘おうとした。
すると、ボールは見事ヘルメットに命中した後、一塁ファウルグラウンドを転々…。この間にキャリオンは一塁ベースをしっかり踏んでから、まんまと二塁に進んだ。
だが、近鉄側が「不自然な戻り方をした」と抗議。これが故意に送球に当たりにいった反則行為と見なされ、守備妨害でアウトになった。
なお、キャリオンは3月1日のオープン戦・巨人戦でも同様のプレーで守備妨害を取られており、すでに“前科”がある以上、お目こぼしというわけにはいかなかった。
ファンの間で議論を呼んだ判定
「守備妨害の判定は妥当か…?」とファンの間で論議を呼んだのが、2019年8月20日の西武-日本ハム戦でのひとコマ。
5回に2-1と逆転した西武は、なおも一死一・三塁で源田壮亮が捕邪飛を打ち上げたが、バットがグリップの部分を残してポッキリ折れたことから、源田は一塁に走ろうとせず、折れて飛んでいったバットの行方を目で追っていた。
直後、一塁方向に飛球を追いかけていた捕手・宇佐見真吾が源田の背中を押す形で接触。ボールは押されて2~3歩前進した源田の頭部に当たったあと、ファウルグラウンドに転がった。
この場合、源田は避けなければいけないので、守備妨害が適用されたが、球界のご意見番こと張本勲氏が「ちょっと厳しいかな」と発言するなど、突然のアクシデントで我を失った源田に同情する声もあった。
野球のルールは非常に奥が深い
だが、2007年6月8日の阪神-オリックス戦でも、鳥谷敬の送りバントが一塁方向への飛球になった直後、捕手・日高剛と接触したため、守備妨害を取られている。
これには岡田彰布監督も「(鳥谷が)打席内なのにダメなのか?」と抗議。暴言により、選手時代も含めて初の退場処分になったが、こういうケースでも、不利益を被った守備側を救済するという理由から、守備妨害は成立する。
しかし、同じ送りバントでも、ゴロなら話は別だ。
1992年5月19日の西武-オリックス戦。5-5の9回、西武は無死一塁で伊東勤が一塁線に送りバント。打球を追った捕手・中嶋聡が伊東と接触し、二塁に送球できなくなったが、オリックス・土井正三監督の7分間の抗議も実らず、守備妨害は取られなかった。
実は、公認野球規則7.09(j)に「捕手が打球を処理するときに、捕手と一塁へ向かう打者走者が接触した場合は、守備妨害も走塁妨害もなかったとみなされて、何も宣告されない」と明記されている(ただし、故意や悪質と認められた場合はこの限りではない)。以前は同様のケースでも守備妨害が取られていたが、1977年から現行のルールに改められたのだった。
守備妨害ひとつ取っても、野球のルールは本当に奥が深い。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)