プロ野球・珍事件ファイル
突如現れた“見えない敵”との戦いを強いられた2020年…。プロ野球界も開幕の延期やシーズンの短縮、無観客での開催など、これまでにない苦しみを経験しながら、なんとか日本シリーズまでの全日程を走り抜いた。
シーズンが全体的に後ろ倒しになった分、オフは例年よりも短くなった。気が付けば1月も折り返し地点を過ぎ、いよいよ“球春到来”を告げるキャンプインが迫ってきている。
「緊急事態」の情勢から、普段通りのキャンプを迎えることは難しそうだが、野球のある日常が戻って来るまであと少し。このオフの期間は、過去のプロ野球界で起こった“珍事件簿”をお届けしたい
昨季もあった“レフトゴロ”
今回取り上げたいのが、世にも珍しい「左ゴロ」について。実は昨季も、広島・堂林翔太が10月22日の阪神戦の4回に記録している。
これは一死一塁で左前打を放ったのに、一塁走者の会沢翼が直接捕球されたと勘違いして二塁から一塁に戻り、二封アウトになったというもの。
ライトゴロなら、強肩の右翼手がダイレクトで一塁に送球し、打者走者をアウトにするシーンがたまにあるし、センターゴロも、阪神・北村照文が1987年6月16日の中日戦で、鈴木孝政の中前の打球を矢のような一塁送球でアウトにしたプレーが知られている。
だが、外野で最も一塁から遠いレフト前の打球を一塁に送球してレフトゴロを成立させた例は、2006年8月24日にホワイトソックスのパブロ・オズーナがタイガース戦で記録した以外は、ほとんど聞いたことがない(大学野球では、立大時代の大沢啓二が1954年10月3日の東大戦で記録している)。
ただし、このプレーにしても、打者のショーン・ケイシーがライナーを三塁手に捕球されたと勘違いして、いったん一塁に走るのをやめた結果、ハプニング的に生まれたものだった。
「7-5-4」のレフトゴロでまさかのゲッツー
それでは、過去のプロ野球ではどんな「レフトゴロ」があったのか、振り返ってみよう。
左翼手の落球が混乱を招き、レフトゴロが記録されたのが、2018年5月27日の阪神-巨人だ。
0-9とリードされた巨人は9回、岡本和真の右前タイムリーで1点を返したあと、ケーシー・マギーと亀井善行の連打で一死満塁とチャンスを広げた。
次打者・長野久義は左翼後方に飛球を打ち上げ、犠飛で2点目…と思われたが、中谷将大がいったんボールをグラブに収めたあと、送球動作に入ろうとしたときに落球したことから、話がややこしくなった。
左飛と判断した三塁走者の岡本は、タッチアップからホームを狙い、二塁走者・マギーと一塁走者・亀井は帰塁したが、土山剛弘三塁塁審の判定はなんと「ノーキャッチ」。
中谷から7-5-4とボールが転送され、あっという間に併殺でゲームセット。長野にはレフトゴロが記録されたのだった。
巨人-中日戦で起こった“珍事”
これと同様に、直接捕球かどうか紛らわしいプレーでレフトゴロを誘発したのが、昨年4月30日の平成最後の試合:巨人-中日である。
初回に岡本の適時打で1点を先制した巨人は、なおも一死一・二塁で、石川慎吾が左越えにライナー性の打球を放った。伊藤康祐の必死のジャンプも及ばず、ボールは左翼フェンスを直撃すると、伊藤の前に跳ね返り、グラブにスッポリと収まった。
ところが、村山太朗三塁塁審が「セーフ!」と両手を広げていたにもかかわらず、一塁走者・岡本は二塁を回ったところで、直接捕球されたと勘違い。慌てて二塁ベースを踏んで、一塁に戻ってしまった。
この間にボールは二塁に送られ、岡本は二封アウト。石川にはレフトゴロが記録された。
岡本は「天国から地獄に一気に落ちました」とションボリ。巨人はこの拙攻が祟って、1-3と逆転負けした。
“内野5人シフト”でレフトゴロ併殺
内野を守っていた左翼手による7-2-3の「レフトゴロ併殺」が成立したのが、2009年6月14日の西武-広島だ。
4-4の延長12回、西武は無死満塁と一打サヨナラのチャンス。絶体絶命の窮地で、広島のマーティ・ブラウン監督は、レフト・末永真史に代えて内野手の小窪哲也を起用し、三遊間の二塁寄りを守らせた。
この内野5人シフトが功を奏し、代打・黒瀬春樹は小窪の正面へのゴロ。本来なら中前に抜ける打球を難なく処理した小窪は本塁に送球。捕手・石原慶幸から一塁に転送され、これが併殺となった。
ちなみに、ブラウン監督は、同年3月29日のオープン戦:ソフトバンク戦でも、レフト・木村昇吾を三遊間に配した変則シフトで、まんまと中西健太をレフトゴロに仕留めている。
日本球界初の「左前打でレフトゴロ」をなんとか回避
これに対し、外野のレフト定位置まで打球を飛ばしながら、危うく一塁アウトになりかけたのが、1970年の中日・菱川章だ。
5月23日の阪神戦。4-1の8回に代打で登場した菱川は左前安打を放ったが、その直後、一塁に走りかけてスッテンコロリン。起き上がって再び走ろうとしたが、慌て過ぎて、また転んでしまった。
中継に入ったショートの藤田平が一塁送球しなかったことから九死に一生を得たものの、一歩間違えば、プロ野球史上初(?)の左前打で一塁アウトになるところだった。
コントさながらの珍場面に、スタンドとベンチは大爆笑。代走と交代してベンチに戻った菱川が、水原茂監督からバシッと尻を叩かれてお仕置きされると、再び笑いが起こった。
珍プレー大賞ものの失態を演じた菱川は「右足はアキレス腱炎、左足は打撃練習中にぶつかったので、ヨタヨタしちゃいました。転んだときに左手親指を突いちゃって、もう少しで骨折するところでした」と恥じ入るばかりだった。
一方、高校野球の地方予選では、1994年夏の岡山大会で、三塁線ギリギリを抜く打球を、塁審が迷ってジャッジできなかったことから、ファウルと思った打者走者が打席に引き返して、レフトゴロで一塁アウトになるお気の毒なケースもあった。
このように、これまで記録されたレフトゴロの内訳は、前の走者が直接捕球と勘違いして封殺、変則シフトによる内野へのレフトゴロ、打者走者のアクシデントなど、“正真正銘”のレフトゴロとはニュアンスが違うものばかり。
いつかレフト定位置からのレーザービームで打者走者を一塁アウトにするスーパープレーを見てみたいものだ。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)