“数字”にまつわる珍現象
2021年3月26日(金)、待ちに待ったプロ野球の新シーズンが幕を開けた。
長いシーズンを楽しむうえで、切っても切り離せないのが「データ」。野球ファンの中には、常日頃から数字に目を光らせる“記録マニア”も少なくない。
そこで今回取り上げたいのは、“数字のマジック”とも言うべき珍記録たち。
時にプロ野球の世界では、状況と辻褄が合わないような「不思議な数字」を目にすることがある。だが、いずれもタネが明かされると、「あぁ、なるほど」と納得できるものばかり。
では、なぜそのような記録が生まれたのか…?過去にあった珍現象を振り返ってみたい。
「0打数0安打」なのに「3打点」…?
まずは「0打数0安打」なのに、なぜか「3打点」を記録した男のエピソードから。阪急時代の簑田浩二である。
1983年6月22日の南海戦、蓑田は初回一死三塁の第1打席で先制の左犠飛。1-2の3回にも、一死三塁で同点の中犠飛を記録した。
さらに、松永浩美の右越えソロで3-2と勝ち越した4回にも、二死満塁からチームの4得点目となる押し出し四球を選び、6回の第4打席は二死無走者で四球。この結果、1960年9月17日の豊田泰光(西鉄)以来となる「0打数0安打3打点」を記録した。
しかし、地味ながらチームの勝利に貢献したにもかかわらず、翌日のスポーツ紙では8回にプロ初登板を果たした南海のドラ1ルーキー・畠山準が大きく取り上げられ、蓑田の「み」の字もなし…。
タイムリーなしの“不労所得”では、それも致し方なかったのか。
「8本塁打」なのに、なぜか得点は「7」?
つづいて、「シーズン8本塁打」を記録したにもかかわらず、得点はひとつ少ない「7」という前代未聞の珍記録を残したのが、1969年に近鉄に在籍したジムタイル(本名ジム・ジェンタイル)だ。
得点が減る原因をつくった試合は、同年5月18日の阪急戦。ジムタイルは0-0の2回一死、左越えに3号ソロを放ったが、一塁ベースに向かう途中、突然左足に肉離れを発症。その場にうずくまり、動けなくなってしまった。
三原脩監督は仕方なく、伊勢孝夫を代走に送り、伊勢は照れくさそうにダイヤモンドを1周。先制のホームを踏む。この年、ジムタイルは8本塁打のすべてがソロで、本塁打以外の得点がなかったことから、代走を送られた分が差し引かれ、計7得点になったという次第。
なお、1991年には彦野利勝(中日)がサヨナラ本塁打を放った直後、右膝を痛めて代走に山口幸司が起用されたことから、「ジムタイル以来」と再びその名がクローズアップされた。
「単打」で一気に「3打点」とは?
一方、記録は「シングルヒット」なのに「3打点」が記録されたのが、日本ハム時代の行沢久隆だ。
1976年4月29日の近鉄戦。ルーキー・行沢は3-12とリードされた8回一死満塁のチャンスで、左翼席にプロ初安打&プロ1号となる満塁アーチを放った。プロ3打席目での快挙である。
ところが、喜び過ぎて走るピッチが上がり、二塁ベース手前で一塁走者・服部敏和を追い越してしまう。この結果、“追い越しアウト”で満塁本塁打はシングルヒットに格下げされ、打点も差し引き1の「3」となった。
プロ1号の満塁弾が幻と消えるチョンボに、行沢は「自分の打球ばかり見ていた。スタンドに入るのを見て、全力疾走に入ったが、服部さんの姿は全然目に入らなかった。審判に“アウト”と言われて、初めて気がついたんです。今日は帰って寝ます」とションボリ。「おめえは悪くないよ。服部がもっと進んでいるべきだった」と、大沢啓二監督に慰められていた。
ちなみに行沢はその後、同年5月11日のロッテ戦でプロ1号、西武時代の1981年8月9日のロッテ戦で“正真正銘”の満塁本塁打を記録している。
「3者連続三振」なのに「失点1」?
最後に投手の珍記録を紹介する。初回先頭打者から3者連続三振に打ち取ったのに、なぜか「失点1」を記録したのが、大洋時代の小野正一だ。
1967年5月6日の巨人戦、先発・小野は立ち上がりから絶好調。横に切れるカーブと速球のコンビネーションが冴え、初回から柴田勲・土井正三の1・2番を連続三振に打ち取った。
ところが、土井がカウント1-2から空振り三振に倒れた直後、捕手・伊藤勲がボールを後逸したことから、土井は振り逃げで一塁へ。それでも小野は気を取り直し、3番・王貞治を三振。通常ならスリーアウトチェンジになるはずなのだが、二死一塁でなおも巨人の攻撃が続く。
そして、この場面でまたしても小野は不運に見舞われる。次打者・長嶋茂雄への初球、内角低めのボールが、伊藤の左足のレガース付近に当たるとポーンと大きく跳ね、三塁側大洋ベンチに飛び込んでしまったのだ。この間に二進した土井は、直後三盗を決め、二死三塁となる。
「ここが踏ん張りどころ」とばかりに小野は長嶋を平凡な三ゴロに打ち取ったが、この日の野球の神様はとことん意地悪だった。桑田武の一塁送球を守備に難のあるスチュアートが落球。これでやらずもがなの1失点…。味方の拙守に足を引っ張られ、負け投手になった小野は「本当についてない」と嘆いたという。
こうして見ると、“不思議な数字”は割りを食った人のほうが多いようだが、「ああ、あのときのあの選手」と、ファンの記憶に残る選手になったという意味では、悪い話だったと言い切れないかもしれない。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)