背番号《012》のことは何も知らなかった……
背番号《012》のことは何も知らなかった――。現在は背番号《52》を背負って、獅子奮迅の大活躍を続ける東京ヤクルトスワローズ・近藤弘樹のことである。
知っていたのは、2017(平成29)年ドラフトにおいて、東北楽天ゴールデンイーグルスから1位指名されたものの、昨年オフにわずか3年で戦力外通告を受けたという、厳然たる冷酷な現実だけだった。
以下、まことに身勝手な「偏見」をお許しいただきたい。
期待され、才能がありながらも、若くして自由契約となるケースは、たいていの場合「①重篤な故障を抱えている」か、あるいは「②性格や素行に大いに問題がある」か、この2パターンに当てはまる。
近藤が楽天から戦力外通告を告げられたというニュースを見たとき、真っ先に頭に浮かんだのがこのことだった。
しかし、それからほどなくして、育成枠にて近藤のヤクルト入りが決まったと報じられた。
ちょうど、楽天時代の投手コーチだった伊藤智仁のヤクルト復帰が決まっていた。19年、20年と間近で近藤と接していた伊藤コーチの口添えがあったのかどうかはわからないけれど、少なくとも伊藤コーチに対して、「近藤の状態はどうなんだ?」という問いかけぐらいはなされたはずだ。
その結果、球団は「まだまだやれる」と判断して、育成契約をしたのだろう。
楽天時代に伊藤コーチからシュートを教わり、それを自分のものにしつつあるということは聞いていた。
「最初に声をかけてくださった球団に行こう」と決めていたという近藤。
背水の陣で臨む今シーズン、再び伊藤の下で近藤は飛躍するのではないか…?
そんな期待を抱き始めたのが今春のことだった。
古田敦也臨時コーチにも認められた自慢のシュート
沖縄・浦添キャンプには取材に行けなかったが、ときおり「近藤がいいらしい」という情報は報道で目にしていた。
今春キャンプの目玉となった古田敦也臨時コーチの誕生により、例年よりもヤクルトバッテリーに関するニュースが多かった。
その中に、チラリと近藤の姿が映っていた。そうなのである。育成契約選手でありながら、近藤は一軍キャンプ帯同を許されていたのだ。
やはり、「重篤な故障を抱えている」わけでもなく、ましてや「性格や素行に大いに問題がある」わけではないことが、この時点ですでに立証されていた。
一瞬のこととは言え、近藤に対して大変失礼な思いを抱いてしまったことを、今さらながら謝りたい。
このキャンプで近藤は古田臨時コーチを相手に、思い切りその右腕を振ったという。そして、「僕のシュートはどうですか?」という問いを投げかけ、「使える」と太鼓判をもらったのだという。
その後のオープン戦では3試合3イニングを投げて無失点。3月15日には、念願の支配下登録を勝ち取り、この時点で《012》に別れを告げ、心機一転《52》を背負うことになったのだ。
一度、挫折を経験した「栄光のドラフト1位選手」が、苦難の果てに再びチャンスを得て、復活を期す――。
まさに、野球ファン好みのストーリーではないか。この頃からようやく、きちんと近藤に注目するようになった。遅すぎるけど、許してほしい。
小学生時代の恩師の言葉、「経験は財産、夢は動力に」
出番はいきなり開幕戦から訪れた。
3月26日、本拠地・神宮球場で迎えた対阪神タイガース戦。3-4と1点ビハインドの大事な場面。9回表・阪神の攻撃において、ヤクルト5番手でマウンドに上がったのが近藤だった。
神宮球場内にポルノグラフィティの『君は100%』が流れ、バックスクリーンには腕組みをして厳しい表情で前を見据える近藤の姿が映し出される。
そこには「闘」の一文字。その表情、そのフレーズ、まさに一度死んだ者の凄みと決意を感じさせるものだった。一瞬にして、僕は魅せられてしまった。
結局、チームは阪神に敗れ去るのだが、神宮球場からの帰り道、僕は「なかなかいいものを見たな」という思いだった。もちろん、けれんみのない近藤の力投にである。
今後、どれだけの成績を残すのかは、僕にはわからない。わからないけれど、150キロを超えるストレートを中心に、ここ最近のヤクルトには数少ないパワーピッチャーの登場は、胸躍らせるものがあった。
4月23日時点で近藤は12試合に登板、防御率は0.00だ。大事な場面でばかり使われ、見事に結果を残している。
ヤクルトには「マクガフ、清水昇、石山泰稚」という盤石の勝利の方程式が存在する。当然、彼らの勤続疲労も同時に考慮しなければならない重要課題でもある。
しかし、今年は近藤がいる。一度死んだ男の凄みと決意を舐めてはいけない。
先日、高津臣吾監督にインタビューした際にも、近藤の名前を挙げて、その活躍ぶりを高く評価していた。
古い選手名鑑を見ていたら、近藤の座右の銘が紹介されていた。
「経験は財産、夢は動力になる」
驚くべきことに、小学校時代の恩師からの助言だそうだ。小学生時代の恩師の言葉を、今も大切にしているのだという。
26歳になる今年、すでにいろいろな「経験」を積んだ。つまり、すでに年不相応の財産を手にしているのだ。
一方で、プロ4年目、いまだに白星はない。まずは「プロ初勝利」という「夢」を動力に、近藤は今日もマウンドに立つ。
今年の神宮、近藤の登場を心待ちにしている自分がいることに、僕はもう気づいている。
文=長谷川晶一(ハセガワ・ショウイチ)