阪神が日本シリーズのリベンジ?
ついに幕を開けた『日本生命セ・パ交流戦』。しばらくパ・リーグの優勢が続いているが、今年こそセ・リーグの巻き返しはあるのか…。2年ぶりの開催に注目が集まる。
ベースボールキングでは、交流戦の開幕に合わせて過去の“交流戦珍事件”を振り返る特集を展開中。今回は、過去の交流戦で話題になった「不思議なめぐり合わせ」について取り上げてみたい。
「日本シリーズの借りを交流戦で返した!」と話題になったのが、2006年5月24日のロッテ-阪神である。
千葉マリンスタジアムで行われた前年の日本シリーズ第1戦は、前代未聞の7回濃霧コールドで打ち切り。不本位な黒星スタートとなった阪神は、そのまま4連敗…。
虎党にとっても“憎っくきコールドゲーム”として脳裏に刻まれていた。
それから半年余り、所も同じ千葉マリンで行われた両チームの交流戦・4回戦。
対ロッテ戦3連勝でこの試合を迎えた阪神は、2回にスペンサーの左越え2ランなどで4点を先制。3回に5連打で2点を返されるも、なおも無死満塁のピンチで先発・杉山直久をリリーフした能見篤史がフランコ、ベニー、里崎智也を3者連続三振に打ち取り、2点差を守り切る。
そして5回終了後、雨が激しくなり、なんと4-2のコールド打ち切り。雨と霧の違いはあれど、同じコールドゲームで前年の日本シリーズ第1戦の悔しさを晴らしたばかりでなく、4連勝でシリーズ4連敗のリベンジも実現した形になった。
それでも、岡田彰布監督は「去年は去年やからなあ」とひとこと。確かに交流戦で4連勝したからといって、日本シリーズ4連敗の雪辱をはたしたとは言い難いのも事実。
なおこの年、阪神は2位、ロッテは4位に終わり、日本シリーズでの再対決は実現しなかった。
“平成の怪物”松坂大輔が思い出の甲子園で…
甲子園で春夏連覇をはたした“平成の怪物”が、思い出の地・甲子園で再びヒーローになったのが、2006年6月9日の阪神-西武だ。
西武・松坂大輔は横浜高時代の1998年に甲子園で春夏連覇のV投手となり、アジアAAA選手権での3勝も含め、甲子園では14勝0敗。プロ入り後も2001年3月のオープン戦・阪神戦で勝利投手になっており、通算15連勝とまさに“甲子園の申し子”だった。
だが、プロ初の甲子園公式戦となった2005年5月18日の交流戦・阪神戦では、桧山進次郎に甲子園初被弾となる先制2ランを浴び、ついに連勝ストップ。
「(連勝)記録は本当に意識してなかったんですよ」と軽く受け流した松坂は翌年、2年連続で甲子園のマウンドに上がると、最速154キロをマーク。阪神打線から5連続を含む毎回の14奪三振と本領を発揮する。
さらに5-1の8回二死一塁で打席に立った松坂は、ダーウィンの149キロ速球を左中間席最深部にプロ1号となるダメ押し2ラン。阪神ファンからも「敵ながらあっぱれ」と惜しみない拍手が贈られた。
高校時代の夏の甲子園で鹿児島実の杉内俊哉から放って以来の一発に、松坂は「ほかの球場で打つよりも、甲子園で打つ本塁打は何倍もうれしいです。ブーイングじゃなくてよかったです」と破顔一笑した。
広島・田中広輔がリプレイ検証で…
リプレイ検証で本塁打取り消しに泣いた男が一転、リプレイ検証で笑ったというのが、2016年6月10日の楽天-広島だ。
広島・田中広輔は前年9月12日の阪神戦で、延長12回に本塁打性の打球を放ちながら、リプレイ検証の結果「ラバー上部のフェンスに当たった」として、三塁打に格下げされていた。
それがその後、打球が左中間フェンス内側の侵入防止策のワイヤに当たったことが判明。NPBも誤審を認めたが、すでに試合が成立しているため、勝敗を含む記録の訂正はなし。“幻の決勝弾”で1勝を損した広島は、3位・阪神にわずか0.5ゲーム差でクライマックス・シリーズへの進出を逃した。
そんな“世紀の誤審”から9カ月後、田中は楽天戦の2回二死二塁から右翼ポール際に大飛球を放つ。
深谷篤一塁塁審は「本塁打」と判定したが、楽天・梨田昌孝監督が「ファウルではないか」と抗議。またしてもリプレイ検証に持ち込まれた。
すでにホームインしていた田中は「今日のは絶対に入った」と確信していたが、ベンチのナインが冗談とも本気ともつかない言い方で「ファウルだ」と口を揃えるので、「不安になった」という。
だが、5分後に責任審判の佐々木昌信三塁塁審が「判定どおり、本塁打で再開します」と場内に説明すると、田中はナインと2度目のハイタッチをして喜びを爆発。
試合も6-0と快勝し、この年、広島は25年ぶりのリーグ優勝をはたした。
戦力外になった元ドラ1が…
即戦力と期待されたドラ1右腕が、戦力外通告からメジャー挑戦の回り道を経て、苦節10年の末、古巣相手にプロ初勝利を挙げる快挙が実現したのが、2017年6月11日の日本ハム-巨人だ。
日本ハム・村田透は、2007年の大学・社会人ドラフトで巨人に1巡目指名されたものの、一軍のマウンドに上がることのないまま、わずか3年で戦力外通告を受けた。
だが、男は「野球を続けたい」一心で渡米。マイナーから努力を重ねてメジャー昇格をかち取ったあと、2016年オフに日本ハム・栗山英樹監督のラブコールに応える形で7年ぶりに日本球界復帰をはたす。
そして、交流戦で実現した因縁の巨人戦。先発・村田は5回を1失点に抑え、プロ10年目・32歳でプロ初勝利をゲット。
お立ち台で「やっと来れたというか…」と言葉を詰まらせた村田は、「いろいろあった。長い道のりだった。まだ1勝目ですが、これから続けられるように頑張ります」と誓いを新たにした。
リーグの異なる相手との対戦を通じて、さまざまなストーリーが織りなされる交流戦。今年も新たな人間ドラマが生まれることだろう。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)