史上初の“無補殺完封”
本格派投手が三振の山を築くのに対し、技巧派投手はコーナーを丁寧に突いて、打者をゴロやフライに打ち取るのが真骨頂。
そんなピッチングがハマりにハマったとき…。思わぬ珍記録が生まれるのも、野球の妙味である。
27個のアウトがフライと三振だけで、ゴロアウトがひとつもない“無補殺完封”を達成したのが、中日の高橋三千丈だ。
1983年5月25日の阪神戦。1回表に味方打線から1点リードを貰った高橋はその裏、平田勝男・北村照文の1・2番をいずれも中飛に仕留める。
つづくスティーブ・ストローターには中前安打を許したものの、掛布雅之を捕邪飛に打ち取り、無失点で切り抜けた。これがすべての始まりだった。
2回も岡田彰布を二飛。藤田平の四球を挟んで、佐野仙好を左飛。笠間雄二を一邪飛と無難に抑える。
2-0で迎えた3回も、代打・引間克幸を遊飛、平田を中飛、北村を三振に打ち取り、フライアウトと三振だけでスコアボードにゼロを重ねていく。
さらに4・5回も6つのフライアウトで無失点。このあたりから阪神ベンチも“異変”に気づき、横溝桂コーチは「叩け。上から叩け」とゴロを転がすようハッパをかけた。
だが、6・7回も三振2つとフライアウト4つで、無補殺のゼロ行進は続く。
8回は先頭の代打・永尾泰憲が投前安打で出たが、ランディ・バースは三振。平田が右邪飛、代打・川藤幸三も右飛で、二塁すら踏むことができない。
そして6-0の最終回。高橋はストローターを左飛、掛布を中飛と簡単に二死を取ったあと、岡田を右飛に打ち取り、ルーキーイヤー以来3年7カ月ぶりの白星とプロ初完封を記録するとともに、「フライアウト23・三振4」でプロ野球史上初の無補殺完封の快挙を達成した。
プロ3年目に右脇下血行障害を患い、右太ももの静脈を15センチに切り取って患部に移植する大手術を経て、奇跡の復活をはたした高橋は「いろいろあったし、本当にうれしい。これでやっとひと区切りつきました。とにかくひとつでいいから勝ちたかった」と感激に目を潤ませた。
だが、この一世一代のピッチングがプロで最後の勝利となり、翌84年限りで現役を引退している。
“フライアウトゼロ”の完封勝利
高橋とは好対照に、ゴロアウトと三振だけで“フライアウトゼロ”の完封勝利を挙げたのが、巨人・西本聖だ。
1983年10月30日の日本シリーズ第2戦。西武戦に先発した西本は、伝家の宝刀・シュートを武器に1回から山崎裕之を二ゴロ、立花義家を三振、スティーブ・オンティベロスを投ゴロと三者凡退に切って取ると、2回以降もシュートを有効に使い、どん詰まりの内野ゴロの山を築いていく。
西武・広岡達朗監督は「シュートに手を出すな」と指示したが、投球の7割以上(115球中82球)がシュートでは、手を出さないわけにいかない。
7回には4番・田淵幸一に対して8球続けてシュートを投げ、最後は約20センチもベルトをえぐって落ちる球で三ゴロ。「伸びたり、沈んだりなんて…。パ・リーグには、あんなピッチャーはいないよ」とボヤかせた。
そして、4-0とリードして迎えた最終回も先頭の立花を二ゴロ。スティーブには右前安打を許したものの、田淵を三ゴロ併殺に仕留めてゲームセット。
27個のアウトの内訳は、「内野ゴロ21・三振5・併殺1」で、フライアウトはひとつもなかった。
実はシーズン終盤に不振に陥り、「シリーズ不安」と報じられていた西本だったが、「自分にはシュートという素晴らしい武器があるんだ。自分のすべてを出して、失敗したらしょうがない」と開き直ったことが、大舞台での快投につながった。最終的に3勝4敗で日本一は逃したものの、シリーズ2勝を挙げた西本は敢闘賞を受賞している。
ちなみに、楽天も2009年4月18日のオリックス戦で、岩隈久志(8回)からマーカス・グウィン(1回)の継投で、内野ゴロ21・三振6のフライアウトゼロ完封を記録している。
一塁手に一度も守備機会がない珍事
最後は番外編で守備の珍事を紹介する。
一塁を守った西武の二人の選手に一度も守備機会がなく、送球キャッチもなしという不思議な結果で終わったのが、1982年5月23日の近鉄-西武だ。
ダブルヘッダー第2試合。近鉄は初回、先頭の平野光泰が二ゴロ。本来ならファーストの広橋公寿が送球を受けるところだが、投手の杉本正がベースカバーに入り、アウトを取った。これが珍事の第一歩だった。
近鉄は2回も二死一塁で、吹石徳一の三ゴロのとき、ボールが二塁に転送されたため、またしても広橋は送球を受けずに終わった。
さらに3回、小田義人の左越えソロで先制した近鉄は、なおも一死一塁で大石大二郎が投前にゴロを転がしたが、これも二塁に転送される。
西武はその後、広橋に代わって片平晋作がファーストに入り、同点の7回に決勝2ランを放ったが、依然として打球は飛んでこず、広橋同様に守備機会はなし。
そして、9回一死一塁で有田修三の三ゴロも二封アウトになり、最後の打者・小川亨は二飛でゲームセットとなった。
一塁手というと、打球が飛んできたり、内野ゴロの送球を受けたり、結構忙しいポジションのイメージが強いが、思いもよらず、暇を持て余す試合になったのは、野球の神様の気まぐれとしか言いようがない。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)