9年前の大飛球「お前にはまだ早い」
「寂しい」の一言しか浮かばなかった。
7月2日、阪神タイガース・中谷将大と福岡ソフトバンクホークス・二保旭の交換トレード成立が発表された。
中谷は2010年のドラフト3位で入団。筆者が記者1年目だったことで勝手に親近感を抱いて、ずっと鳴尾浜から追いかけてきた1人だった。
「いつか一軍で初ホームランの原稿を書く」――。
密かな目標を胸に、一軍を目指す姿を見てきた。
今でも鮮明に覚えているのは、高卒2年目だった2012年8月23日の中日戦。
初昇格で即スタメン出場を果たした背番号60を、倉敷マスカットスタジアムの記者席から胸を高鳴らせて見守った。
4回無死一・二塁で迎えた第2打席。大野雄大の投じた7球目のフォークを捉えた打球が左翼ポール際へ飛んだ。
「うわっ!」
思わず叫んでしまった大飛球は、惜しくも切れてファウル。結果は中飛で、4日後には二軍降格となった。
貴重な経験を積んで帰ってきた19歳に声をかけると、苦笑いで言った。
「あの打球ですよね。惜しかったですけど、野球の神様から“お前には、まだ早い”って言われてる気がして…。まだまだ力不足だということですね。もっとレベルアップして帰ってきたいです」
今となっては本人も恥ずかしい言葉かもしれないが、悔しさを覆う希望に満ちた目をしていた。
「もう一回うまくなるチャンス」
中谷がプロ初本塁打を放ったのはそれから4年後。2016年6月25日の広島戦のこと。
マツダスタジアムの左翼ポール際、2階席のフェンスに直撃する2ランだった。
「あの倉敷で打った打球が入っていたら、人生変わっていたのかなとか思ったりしましたけどね」
神様の“まだまだ”から時間はかかったが、今度は切れなかった。
翌年の2017年にはチームトップの20本塁打をマーク。待望された和製大砲の才能はついに覚醒した…かに思えた。
その後は2018年が5本、2019年は6本、そして2020年は2本。確かにステップを踏んだ1年は、苦闘の入り口になった。
11年目を迎えた今季は春季キャンプこそ2年ぶりに一軍スタートとなったものの、怪物ルーキー・佐藤輝明の華々しいデビューもあって影は薄く、一軍での出番は1度もなかった。
「日々、何かきっかけを掴まないといけないとか、もっともっとうまくなりたいという思いでやっていた」
チャンスが無くても「もっと上手く」、「もっと遠く」を目指して…。選手として、長距離ヒッターとしての矜持だけは失わず、バットを振ってきた。
そんな時に飛び込んできたトレードの報だった。
「欲しいと思ってもらえるってことが、一番野球をやっている中で嬉しいこと。もう一回うまくなるチャンスだと思うので」
多くの人に「次代の主砲」の幻想を抱かせてきた男は、地元・福岡に帰る。
「知り合いも含めて、僕に関わっている人が見てくれると思うので。その中でもう一回頑張れたら」
明暗を分けたあのポール際の打球からちょうど9年が経った。“まだまだ”の意味を求める戦いは終わっていない。
文=チャリコ遠藤(スポーツニッポン・タイガース担当)