白球つれづれ2021~第30回・野球人たちの想い
東京オリンピック(五輪)が23日、開幕した。
コロナ禍の中、史上初の無観客(一部を除く)開催。直前まで組織委は開会式を担当する演出家の不祥事や、コロナ対策に追われて、大会そのものが危ぶまれたが、どうにか国立競技場には57年ぶりに聖火が灯った。
野球とソフトボールにとっても、2008年北京大会以来の競技復活である。それを象徴するように開会式では、長嶋茂雄、王貞治、松井秀喜氏の「国民栄誉賞トリオ」が聖火ランナーとして登場した。中でも長嶋氏にとって、五輪は特別な思いのあるものだった。
1964年に開催された東京五輪。当時、巨人のスーパースターは某スポーツ紙の特別リポーターとして取材、そのかたわら五輪コンパニオンとして活躍する西村亜希子さんを見初めて、その後の電撃結婚にこぎつける。喜びとは対照的に苦い思いを味わったのが2004年のアテネ五輪だった。日本代表監督として世界一を目指す直前の3月に脳梗塞に倒れて、指揮を執る機会を失った。
17年後、右半身の自由を失った長嶋氏は、教え子の松井氏に体を支えられて競技場のトラックに歩を進めた。本来であれば車椅子でもおかしくない。だが、常人の何倍、何十倍もリハビリに汗を流して来た“ミスタープロ野球”は、自らの五輪への想いと、やっとたどり着けた聖地への喜びを何としても表現したかったに違いない。
開会式より一足早くスタートしたソフトボールにも、この日を待ち焦がれた“伝説のエース”がいた。上野由岐子選手だ。競技そのものは違っても、投手や捕手がいて4つのベースを駆け抜けて得点を競う意味では、こちらも“野球人”と位置付けておかしくないだろう。
野球同様、五輪競技から除外されてから13年の歳月を要している。北京大会では野球も果たせなかった金メダルを獲得。一時はソフトボール人気が高まり、多くのファンが球場にやってきた。しかし、五輪から遠ざかるごとに周囲の関心は薄れていく。
野球は国民的人気スポーツとして認知されているが、ソフトにもう一度、関心を集めるには東京五輪の場しかない。今大会期間中に39歳を迎えた上野にとって競技人生の集大成を賭けた場所は、ソフトボール復興の勝負でもあった。
野球とソフトボール。日本ではなじみの深い球技だが、オリンピックの歴史の中では常に微妙な立場に位置している。開催国によって採用されたり、不採用だったりの繰り返しだ。
様々な課題の数々
理由は多岐にわたる。競技そのものが全世界的に普及していないのが最大の要因。野球の世界競技人口は約3500万人に対してバレーボールは5億人、バスケットボールは4.5億人。サッカーで2.6億人と言われる。(デイリー・ブックメーカー社参照)野球の場合は米国、中南米、アジアが中心でヨーロッパや豪州などでは認知度が低い。
次に球場建設に費用がかさみ、青少年が野球を楽しむ場所や気軽さが、野原でボールひとつを追いかけるサッカーらに比べて劣る。ルールの煩雑さや用具にお金がかかる、などが理由として上げられている。
野球の場合は、さらに本家のMLB(メジャーリーグ)が本腰を入れていない現状もある。バスケットボールでは大会ごとにNBAのスーパースターがドリームチームを編成して参加するのに対して、商売上も旨味のあるWBC(ワールドベースボールクラシック)を優先。これでは五輪が真の世界一決定戦にはならない。
日本の国技である柔道は、今や世界的な人気スポーツになった。競技人口でもブラジルやフランスでは日本以上の数字を誇っている。本格的な世界戦略を実現しないと五輪での居場所を失いかねないのが現状だ。
ソフトボールに後藤希友という20歳の新星が誕生した。侍ジャパンでは村上宗隆、平良海馬両選手が21歳で初出場する。だが、彼ら彼女たちにとって、次回夏季五輪(2024年フランス大会)は競技から除外が決まっているため出番はない。7年後の米国大会で採用されるのを待つばかりだ。野球はまだ国内で注目されるからいい。ソフトボールに至っては再び長い冬の時代を覚悟しなければならない。
稲葉ジャパンの五輪が28日に開幕する。ソフトはメダルをすでに確定した。選手たちが全力で世界一を目指す姿は尊い。しかし、一方で長嶋氏や上野選手らが五輪に賭けて来た思いを先々につなげるためにも、“野球人”の未来志向が問われている。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)