コラム 2021.09.07. 06:44

野茂英雄、岩隈久志も…近鉄はエースを巡る「珍事件」の宝庫

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若き日の岩隈、苦笑いのワケは…? (C) Kyodo News

野茂英雄の「四球病」


 プロ野球の長い歴史の中で起こった「珍事件」を球団別にご紹介していくこの企画。

 今回はオリックスとの合併により、2004年シーズンを最後に球団消滅となった近鉄バファローズ編だ。




 あれから17年が経ったが、今なお古き良き時代の侍を彷彿とさせる“猛牛戦士”たちが一世を風靡した時代を懐かしむファンも多い。

 所属選手たちも個性派ぞろいだったが、今回は“投手”にフォーカス。球史に残る快記録とともに、思わず「えっ、ウソー!?」と言いたくなるような珍記録も生んだ猛牛エースたちの足跡を振り返ってみよう。


 バッタバッタと三振を取りまくる一方で、時には四球連発で自滅もあるという規格外のエースだったのが野茂英雄だ。

 1992年7月10日の西武戦。この日は5回途中7失点でKOされたが、なんとプロ野球ワーストタイの1試合14与四球の大乱調。

 「すべて僕の独り相撲で、バックのみんなに申し訳ないです」と反省しきりだったが、気持ちの切り替えが早いのも、野茂の良いところ。同年は18勝8敗の好成績で、ルーキーイヤーから3年連続最多勝に輝いている。


さらに記録を伸ばして勝った…!?


 それから2年後…。1994年7月1日の西武戦で、野茂は再び“四球病”を露呈する。

 まず初回、二死二・三塁から3連続四球で押し出しの2点を献上。2回にも2四球、7回にも3四球といった具合に、回が進んでも制球は一向に定まらず、9回も一死二塁から3四球でまたもや押し出しの1点をプレゼントと、最後までピリッとしなかった。

 「16与四球」は2年前に自らが記録したワーストタイの「14」を更新するプロ野球記録。一人で1回から9回まで毎回四球を与えたのも、史上初の珍事だ。投球数191のうち、半分以上の105球がボールだったのだから、それも当然の結果と言えるだろう。

 ところが、16個も四球を許したにもかかわらず、試合は8-3の快勝。野茂はまさかの勝利投手になってしまった。

 なお、これまでの歴史で最も多くの四球を与えながら勝ち投手になったのは、1946年に一言多十(ひとこと・たじゅう/セネタース)の「13」。野茂はこの記録も塗り替えてしまった。

 「代えられても仕方がない納得のいかない内容でした。バックの援護で勝たせてもらったようなものです」とチームメイトに感謝した野茂は、この年を最後に近鉄を退団。翌年からメジャーを舞台に、新たな伝説の数々を打ち立てることになる。


前川勝彦はリーグワーストの「96与四球」


 与四球のエピソードにかけては野茂とほぼ互角と言えるのが、前川勝彦だ。

 2000年8月11日のダイエー戦では、5回まで2安打無失点に抑えていたのに、6回一死から連続四球と自らの悪送球で先制の1点を許すと、3連続四球で押し出しの2点をプレゼント。

 我慢も限界に達した梨田昌孝監督に交代を命じられたが、リリーフ陣にも四球病が伝染したのか、パ・リーグワーストタイの1イニング8与四球となった。


 また、同年5月30日のロッテ戦では、初回に先頭打者・サブローに安打を許したあと、二死を奪いながら3連続四球と乱れ、押し出しで先制の1点を許した。

 しかし、ここから前川は立ち直り、2回から8回途中まで散発の3安打・無四球と別人のような快投。8回一死からリリーフしたボブ・ウォルコットも打者2人を無難に料理し、初回の1失点のみに抑え切った。

 ところが、5月だけで2ケタ得点を5度記録した自慢の「いてまえ打線」も、8安打を記録しながら1点が取れず…。0-1でまさかの押し出しスミイチ敗戦。「ああいう点の取られ方じゃ、打線も乗っていけないですよね」と前川も自らを納得させるしかなかった。

 ちなみに、この年の前川はチーム最多の8勝を挙げたが、リーグワーストの96与四球を記録している。


近鉄ラストゲームで起きた「岩隈の悲劇」


 球団消滅前のラストゲームで、1990年の先輩・野茂以来となる投手三冠に挑戦したのが、岩隈久志だ。

 オリックスとの合併により、近鉄としての最終試合になった2004年9月27日のオリックス戦。近鉄はエース・岩隈を先発に立てる。

 この日まで15勝2敗の右腕はパ・リーグ最多勝と最高勝率の二冠を確定させていたのだが、最優秀防御率に関しては2.92でトップの西武・松坂大輔とわずか0.02の差だった。

 この試合で岩隈が1回2/3を自責点ゼロに抑えれば、2.89となり松坂を逆転。投手三冠を手にすることができる。球団のフィナーレを飾る快挙を何としても達成したい…。気合満点の岩隈は、初回を三者凡退で切り抜け、あと2人。2回も先頭の塩崎真を中飛に打ち取り、投手三冠に王手をかける。

 次打者・竜太郎には中前安打を許したものの、後藤光尊は中飛。この瞬間、ついに松坂を抜いて、防御率トップに躍り出た。

 しかしながら、ひとつ問題が残っていた。ここで降板した場合、リリーフが失点すると岩隈に自責点がつき、せっかく掴んだトップの座から転げ落ちることになる。そうならないためにも、もうひとつアウトを取って、この回を無失点で終わらせる必要があったのだ。


 ところが、皮肉にも、岩隈の続投は裏目に出てしまう。

 二死一塁から、この日までわずか1本塁打の相川良太にレフトへの2ランを浴びてしまったのだ。チームも2-7で敗れ、近鉄はラストゲームを勝利で飾ることができなかった。


 たかが1アウト、されど1アウト…。

 「しょうがないです。防御率のタイトルは、来年にとっておきます」と出直しを誓った岩隈は、楽天移籍後の2008年に初の最優秀防御率を獲得している。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
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