今年も多くの名選手がユニフォームを脱ぐ
11月27日(土)、ヤクルトの20年ぶり6度目の日本一で幕を閉じたプロ野球の2021年シーズン。
12月15日(水)にはシーズン総決算の『NPB AWARDS 2021』も開催され、野球界は本格的なオフシーズンに入った。
今年を振り返ってみると、後半は大物選手の相次ぐ引退が話題になった。
先述の『NPB AWARDS 2021』でも、引退選手が表彰される場面があり、パ・リーグでは松坂大輔がリーグの発展に貢献した功績を讃えられる形で「功労賞」を受賞。
セ・リーグでも、同じくリーグの発展に貢献したとして鳥谷敬が「功労賞」を受賞。引退を迎えたのはパ・リーグのロッテだったのだが、阪神での16年の歩みが讃えられ、セ・リーグから表彰を受けるという結末となった。
今や伝説、日本シリーズの「完全リレー」
表彰を受けた2人以外にも、多くの名選手がユニフォームを脱ぐという決断を下した2021年。今回取り上げたいのが、中日ひと筋20年で現役生活を終えた山井大介である。
通算336試合に登板して62勝70敗32ホールド・20セーブ。さまざまな持ち場でチームのために腕を振り続けた右腕だが、成績以上に残したインパクトの大きい20年だったと言えよう。
山井と言えば、真っ先に思い出されるのが2007年の日本シリーズ。第5戦で見せた一世一代の快投だ。
3勝1敗と日本一に王手をかけた状態で、大事な先発マウンドを任された山井。クライマックスシリーズでは肩の違和感のため登板を回避しており、この日がぶっつけ本番の状態だった。
それでも右腕は、「自分で落としても、(第6戦以降は)調子の良い川上(憲伸)さんや中田(賢一)が残っている」と割り切って初回から飛ばしていく。
前半は鋭く曲がり落ちるスライダーを武器に、後半は丹念に低めを突く一発封じの投球を展開し、日本ハム打線を翻弄。8回まで1人の走者も許さないパーフェクト投球を見せた。
こうして1-0で迎えた9回表、ナゴヤドームを埋め尽くした中日ファンは「山井!山井!」の大合唱。日本シリーズ史上初の完全試合の瞬間を見届けるべく、期待に胸を膨らませた。
ところが、次の瞬間…。「ピッチャー、山井に代わりまして、岩瀬」のアナウンスが。誰もが思わず耳を疑った。
まさかの降板劇となったが、3年連続で40セーブ以上を記録していた絶対的守護神・岩瀬仁紀がプレッシャーの中で三者凡退に抑え、中日は2投手の継投による完全試合を達成。
史上初の快挙のオマケ付で、53年ぶりの日本一を成し遂げたのだった。
だがシリーズ後、落合博満監督の“石橋采配”をめぐって大論争が巻き起こる。
野球関係者やファンの間で、「交代は正しかった」「続投させるべき」の賛否両論。侃々諤々の議論が交わされたのも、今となっては懐かしい。
これについて山井本人は、「個人記録はどうでも良い。頑張ってきた岩瀬さんに投げてほしいと思った」と、指揮官と先輩の顔を立てつつ言及。
しかし、その後は出演したテレビ番組によっては「まぁ、やっぱり投げたかったという気持ちもありましたね」と本音も吐露している。
初めてではなかった「ノーノー未遂」
以来、山井と言えば「パーフェクトを逃した男」のイメージがすっかり定着しているが、“大記録未遂”はこれがはじめてではなかった。
さかのぼること20年以上前、神戸弘陵高時代の練習試合で、9回二死から初安打を許したというのがすべてのはじまり。
中日入団3年目の2004年には、8月7日のウエスタン・近鉄戦で6回まで完全投球。7回に先頭打者を味方の失策で出すも、7回一死までは無安打・無失点の快投を展開。24人目の打者・前田忠節に初安打となる二塁打を許し、快挙は幻と消えたものの、被安打1の無四球・12奪三振で完封勝利を挙げた。
この快投を機に、制球を乱して自滅する癖を克服すると、一軍復帰後は西武との日本シリーズ第4戦でシリーズ初先発・初勝利を挙げるなど、ここ一番で頼れる投手に成長。それから前述した日本ハムとの日本シリーズで、自身3度目の“ノーノー未遂”を体験することになる。
しかし、話はこれだけで終わらない。
2010年8月18日の巨人戦。山井は8回まで無安打に抑え、ノーヒットノーランまで「あと3人」と迫る。
ところが、3-0で迎えた9回。先頭の坂本勇人にレフトポール際へ痛恨の被弾。直後、3年前の日本シリーズと同様に岩瀬にマウンドを譲り、ノーヒットノーランと完封に続き、完投まで逃すこととなった。
試合後、山井は「6回・7回から意識はしていましたが、やっぱり8回までしか投げられませんでした。僕らしいんじゃないですか」と自虐的なコメント。
落合監督には、「そんなに簡単には、記録ってのは出させてくれないもんだ」と戒められていた。
思えば、西武のエース・西口文也も“ノーノー未遂”が4度もあり、そのまま引退するなど、達成がいかに困難であるかを物語っている。
しかし、それから3年後のこと。山井に通算5度目のチャンスが巡ってきた。
「5度目の正直」でついに…!
2013年6月28日のDeNA戦。8回まで無安打で来た山井は、9-0と大きくリードして“鬼門”を迎える。
「丁寧に、丁寧に」と自らに言い聞かせ、難敵アレックス・ラミレスと石川雄洋を打ち取っていく。
そして、二死から迎えるは内村賢介。最後まで外角低めに投げきり、変化球でボテボテの投ゴロ。走りながら捕球したボールを大事に一塁手・森野将彦へとトスした瞬間、史上77人目(88度目)のノーヒットノーランを達成した。
35歳と1カ月で成し遂げた悲願。「本当に、何か信じられない。何か分からない。何か嬉しい。縁がないのかなと思っていました」と語った山井だが、過去の失敗から学び、9回はスコアボードには目もくれず、ひたすら自分の投球に専念したことが“5度目の正直”につながった。
「僕ひとりでできたことではなく、チームのみんな、支えてもらった人に感謝しています」
チーム全員で勝ち取った快挙だと強調したベテランは、インタビューの途中にウイニングボールを手渡され、「ピッチャーをやりはじめて、初めてのノーヒットノーラン。みんなの気持ちがこもっているので、家に飾っておきたい」と目を細めた。
“呪縛”から解放された2014年には、NPB史上最年長となる「36歳でのはじめての2ケタ勝利」も達成。
ちなみに、この年はリーグ最多タイの13勝を挙げ、自身初のタイトルとなる最多勝利と最高勝率の二冠にも輝いている。
そんな“遅咲き右腕”は、来季から中日の二軍コーチに転身することも決定済み。教え子からノーヒッターは誕生するのか、これからも楽しみは尽きない。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)