コラム 2022.01.31. 17:44

元西武・小川がメキシカンリーグの強豪入り これまで幾多の日本人選手を受け入れてきた“メキシコ野球”とは?

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メジャーリーグを思わせるような規模のモンテレイスタジアムが小川の新天地に [写真=阿佐智]

昨季は日本人投手が最多勝に輝く


 昨季まで西武でプレーしていた小川龍也投手(30)が、今年はメキシカンリーグのモンテレイでプレーすることが決まった。

 中日・西武で通算187試合に登板したリリーフ左腕だが、昨季は5試合の登板に留まり、このオフに自由契約に。現役続行の道を模索した末、異国の地での戦いに挑む。




 10年ほど前まではあまりなじみのなかったメキシコ球界だが、国際大会が盛んになる中、昨年の東京五輪では侍ジャパンを手こずらせるなど、その認知度を増している。

 3年前には、日本球界でも一時代を築いた久保康友や荒波翔ら、4人の日本人選手がメキシコでプレー。昨季はかつて日本ハムでプレーした中村勝が新球団のグアダラハラ・マリアッチスと契約を結ぶと、なんと最多勝に輝く大活躍。今季もプレー続行を決めている。

 小川はその中村と同学年の30歳。2009年のドラフト会議では、春日部共栄高から日本ハムに1位指名を受けた中村と、千葉英和高から中日に2位指名を受けた小川ということで、高卒でドラフト上位位指名された点も同じだ。



 2010年に中日に入団した小川は、ルーキーイヤーから一軍戦で登板。2012年には母親の出身国であるフィリピン代表の一員として、第3回WBCの予選大会にも出場している。

 しかし、中日では8シーズンでわずか1勝。2016年に44試合に登板したのが目立った程度で、2018年シーズン途中で西武にトレード移籍。西武では貴重なリリーフ左腕として活躍を見せ、2019年にはキャリアハイとなる55試合に登板。4勝1敗1セーブ・15ホールドを挙げ、リーグ優勝に貢献した。


新天地・メキシカンリーグと名門・モンテレイ


 温暖な気候から、メキシコの野球シーズンは3月末から9月初めと、10月から1月までの2本立てとなっている。

 10月からのプロ野球は、いわゆる“ウインターリーグ”。そのトップリーグであるメキシカンパシフィックリーグには、夏のシーズンにアメリカをはじめとする外国でプレーする選手も戻ってきてプレーするため、こちらの方がレベルが高いが、こちらはその名の通り太平洋岸地域を中心に展開される地方リーグに過ぎず、全国展開する夏のメキシカンリーグがこの国のトップリーグという扱いである。


 このリーグでは、現在18球団が広い国土の各地に本拠を置き、南北2地区に分かれてペナントレースを戦っている。その創立は1925年と日本のプロ野球・NPBよりも歴史は古い。

 メジャーリーグ(MLB)にカラーバリアが存在していた時代、それがなかったメキシカンリーグには、ニグロリーグ(現在は「メジャーリーグ」に認定されている)でプレーしていたアメリカ人やキューバ人の選手が集まり、1940年代にはMLBと「野球戦争」とも言われるほどの壮絶な選手の引き抜き合戦を行った歴史をもっている。


 その後、1952年にMLB傘下のマイナーリーグ組織に組み入れられ、独立した2A級のマイナーリーグとなり、1967年からは3Aのランキングが与えられた。

 1961年のシーズン前には、前年のシーズンを制したメキシコシティ・タイガースがメキシコ・チャンピオンとして来日。NPBのチームと13試合のオープン戦を戦ったが、全敗して帰っている。


 そのメキシカンリーグの名門チームがモンテレイ・スルタネスである。

 チーム創設は1939年で、現在の加盟球団のなかの最古参。チームの廃絶・移転が日常茶飯事のメキシカンリーグにあって、「カルタブランカ」、「インダストリアレス」と名称の変遷はあったものの、現在に至るまで一貫して北部の工業都市・モンテレイに根を下ろし、これまで10度のリーグ制覇を成し遂げている。

 リーグ制覇16度の「盟主」、メキシコシティ・レッドデビルズとは永遠のライバル関係だが、その人気はライバルをはるかに凌駕している。

 1990年建造の本拠地モンテレイ・スタジアムは、長らく「ラテンアメリカNo.1」と評され、1996年に史上初めて北米外でのMLB公式戦が実施されて以降、4度もメジャーリーガーたちを迎え入れている。


 そんな名門球団とあって、これまで多くの名選手を輩出している。

 メジャー通算94勝を挙げたメキシコを代表する投手テディ・ヒゲラも、現役の最後をこのチームで過ごした。2019年に現役最後のシーズンをここで送った荒波だけでなく、日本にゆかりのある選手も多く、カリム・ガルシア(元オリックス)、ウィルフィン・オビスポ(元巨人)、サビエル・バティスタ(元広島)らもここでプレーした。また、昨年独立リーグからオリックス入りしたセサル・バルガスのメキシコでの所属もこのチームである。

 しかし、この名門球団も、昨年は北地区9チーム中7位と低迷。小川にかかる期待は大きい。


メキシコでプレーした日本人選手たち


 これまでメキシカンリーグでプレーした日本人選手は13人を数えるが、その系譜は38年前にさかのぼる。

 1984年に巨人や広島でプレーした小川邦和がアグアスカリエンテスで10勝を挙げ、オフにはウィンターリーグでもプレー。そこで気が済んだのか、そのまま引退している。

 それから30年近く日本人がメキシコでプレーすることはなかったが、世紀が変わって2002年。NPBを経由せずモントリオール・エクスポズでメジャー入りかと騒がれた法政大卒のスラッガー・根鈴雄次がプエブラに入団した。しかし、手首の故障のため4試合に出場しただけで解雇されてしまっている。

 このシーズンには、「ピッカリ投法」でおなじみの元近鉄の佐野重樹(現・慈紀)もメキシコシティ・タイガース入りしたが、勝ち星なしに終わっている。


 2006年には、藪恵壹やマック鈴木というふたりの元メジャーリーガーがティファナ・ポトロスに入団。ともにリリーフ投手としてシーズンを過ごし、とくに鈴木はクローザーとして4勝11セーブを挙げて、チームのポストシーズン進出に貢献している。

 このシーズン後もウインターリーグに残った鈴木は、その後もメキシコを主戦場に様々な国でプレーを続けることになるが、メキシカンリーグとウインターリーグのメキシカンパシフィックリーグでそれぞれ4シーズンずつを過ごし、計26勝15セーブを残した。彼がメキシコで最も成功した日本人選手と言えるだろう。


 一方、打者で最も成功したのは、近鉄いてまえ打線の中軸打者で、オフの恒例番組「リアル野球BAN」でも活躍している吉岡雄二だろう。

 日本で最後のチームとなる楽天退団後、2009年シーズンをアメリカとの国境の町・ヌエボラレドで送った吉岡は、サードのレギュラーとして82試合に出場。打率.280で5本の本塁打を放ち、ここで現役を終えている。


小川はメキシコでひと花咲かせることができるか


 彼らパイオニアの存在もあってか、2010年代に入ると、NPBでプレーの場を失った者、夢をあきらめきれない独立リーガーのプレー続行の場としてメキシコが射程に入るようになった。

 メキシコプロ野球の裾野は広い。夏・冬にトップリーグが存在し、そのファームリーグや独立リーグも各地で展開されている。

 そういう意味では間口は広いと言えるが、環境や野球の質の違いから日本で成功できなかった、あるいは力の衰えた選手がトップレベルですぐに活躍できるほど甘い世界ではない。


 2010年には、前年までメジャーリーグでプレーしていた大家友和が本拠をユカタン半島のリゾート都市・カンクンに移したタイガースと契約を結ぶが、登板の機会がないまま、開幕早々にリリースされ、その後日本球界に復帰している。

 この年の夏のシーズン後には、名門・PL学園高から1998年のドラフト6位でロッテに入団した小林亮寛がメキシコ球界に挑戦。NPBでは1度も一軍での登板がなく、中日の打撃投手に転身しながらも現役をあきらめきれず、日米の独立リーグを経て、台湾で「一軍」の夢をかなえた右腕だったが、2シーズンで19勝を挙げた後に自由契約となり、メキシコの独立系ウインターリーグであるベラクルスリーグに身を投じた。

 ここで実績を残した小林は、翌11年シーズンを前に名門・メキシコシティのキャンプに参加したが、ここでは「一軍」の夢は果たせず、ファームリーグでシーズンを過ごすことになった。

 小林はメキシコ時代をこう振り返る。

 「マウンドに立って、なんか変だなと思ってフィールドをよく見たら、傾いていたんですよ」

 私も、彼が2011年にプレーした北西部ソノラ州のリーグを訪ねたことがあるが、スタジアムを探してウロウロしていると、コンクリート塀に囲まれた草野球場みたいなところがプロの使う球場だとわかって驚いたことがある。


 このリーグでは、独立リーグ・ヤマエ久野九州アジアリーグの大分で指揮を執る小野真悟監督もリードオフマンとして2013年シーズンを送っているが、スラッガーを欲しがった球団の方針で早々にリリースされてしまっている。

 2017年シーズン途中には、レオンにルートインBCリーグで最多安打にも輝いたことがある元マイナーリーガー・島袋涼平が入団。3試合で12打数3安打と結果を残すが、こちらも早々にリリースされてしまった。

 メキシコ球界は日本球界と同様、外国人選手には長打力を求める傾向があり、二塁打2本を放ったものの、本塁打が出なかった島袋を「助っ人」としては不足と判断したのだろう。


 また、独立したリーグではあるものの、本質的にはMLBのファームというメキシコ球界独特の事情も、日本人選手にとっては厳しいものである。

 メキシカンリーグのシーズンは、先述のように3月末から9月初めまで。シーズン前半はMLBのお眼鏡にかかった選手が次々と引き抜かれ、逆に8月のポストシーズンが近づくと、上位チームが下位チームから主力を引き抜いたり、アメリカでくすぶっているスラッガーを呼んできたりする。

 この激しい選手の出入りの中、スモールベースボール型の日本人選手はチーム事情でリリースされやすい傾向にある。2019年にモンテレイでプレーした荒波も、レギュラーとして3割近い打率を残しながら、シーズンの佳境を迎えたところであっさり解雇されている。


 その点、投手である小川は、期待がもてると言えるだろう。

 昨年コロナ禍のため例年より短いレギュラーシーズンにもかかわらず9試合で8勝を挙げた中村の存在は、メキシコ球界での日本人投手の価値を高めてくれたはずだ。

 小川には、早くメキシコという国に慣れ、日本では発揮できなかった実力を思う存分発揮してほしいものだ。 


文=阿佐智(あさ・さとし)



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