ミスターが半ばヤケクソ気味に…?
月が変わって3月。プロ野球の開幕が徐々に近づいてきた。
2月後半からはオープン戦がスタートし、野球界のニュースも実戦の話題が増えてきている。
オープン戦は“非公式試合”とはいえ、若手選手にとっては開幕一軍、開幕スタメン入りをかけた大事なアピールの場。
過去のオープン戦で起きた珍プレーや珍場面を振り返ると、興味深いエピソードも少なくない。
今回は「監督も思わずカリカリ編」と題し、監督の機嫌を大いに損ねた試合やプレーや判定を集めてみた。
まずは、長嶋巨人が誇る自慢の投手陣がことごとく乱打され、大量25点を失った1994年3月5日のダイエー戦から。
初回に3番・吉岡雄二の2ランで幸先良く先制した巨人だったが、2回に先発・門奈哲寛がルーキー・小久保裕紀に安打を許すなど、4長短打と2四球で6点を失ったのが、ケチの付きはじめだった。
3回から登板した桑田真澄も制球を乱し、カズ山本に満塁弾を浴びるなど6失点。4回にもトラックスラー、秋山幸二の連続二塁打などで3点を失い、2イニングで9失点と火に油を注ぐ結果となった。
5回から登板した宮本和知が満塁のピンチをしのぎ、ようやく無失点で切り抜けたのもつかの間、6回は踏ん張り切れず、岸川勝也の3ランなどで一挙5点を献上する。さらに、前年30セーブで最優秀救援投手になった4番手・石毛博史も7回と8回に計5点を失い、なんと4-25で大敗を喫した。
一軍の主力投手が相次いで炎上する計算違いに、長嶋茂雄監督は「(雨で柔らかくなった)マウンドが良くなかったのかな。でも、条件は同じだからな」と首を捻りつつも、「これだけ打たれると、気持ちがいい。記録でしょ?こんなに打たれたのは」と半ばヤケクソ気味。
一方のダイエー・根本陸夫監督は、先発全員安打の29安打・25得点に「こんな試合は記憶にない」と目を白黒させていた。
しかし、いざシーズンが始まると、圧倒的な破壊力を見せつけたダイエーは南海時代も含めて17年連続のBクラスとなる4位と結果を出せず。
対して、“投壊”の巨人はリーグトップのチーム防御率3.41を記録し、4年ぶりのリーグVと5年ぶりの日本一を実現するのだから、オープン戦の結果は本当にアテにならない。
あのイチローがミス連発…!?
オリックス時代のイチローが2度にわたって守備で大ポカを演じ、仰木彬監督を立腹させたのが1998年3月21日の巨人戦だ。
まず4回二死、広沢克実の右翼ファウルゾーンへの飛球に追いついた直後、グラブに当てて、ポトリと落としてしまう。
さらに2-2の5回にも、元木大介のライナー性の打球をダッシュで追い、右翼線を踏み越えてファウルグラウンドに出た直後、低く構えたグラブの土手に当て、またしてもポトリ…。
名手らしからぬミス連発に、本人も「僕が言っても言い訳になってしまいしすが…。最初のは(東京ドームの)上が見にくいというのもあったけど…。2度目は打球を追っていたときに、最初落としたイメージが浮かんでしまって…」とバツが悪そうだった。
前日の西武戦でイチローは特別に休養を許され、宿舎で十分リフレッシュしたにもかかわらず、2つもアウトをフイにしたとあって、当然仰木監督もカリカリ。
翌日のヤクルト戦を前に「制裁や!」とスタメン落ちを通告したが、なぜかサングラスの奥の目は笑っていた。イチローも「じゃ、クビですかね」と阿吽の呼吸で応じる。
実は、この日の神宮球場は雨でグラウンド状態も悪く、「スタメンで使いたくない」のが指揮官の本音だった。
結果的に、この“制裁発動”によって相手の野村克也監督にも言い訳が立ち、嫌味を言われずに済んだというわけ。
思わぬ“エラーの効用”となった。
オープン戦で退場になったロッテの監督
本来は勝敗にあまりこだわらないはずのオープン戦なのに、判定に熱くなった監督が退場宣告を受ける珍事が起きたのが、2002年3月19日のロッテ-ダイエーだ。
3回のダイエー攻撃中。無死一・三塁で小久保裕紀がカウント3ボール・1ストライクから小野晋吾の高めカーブを見送り、山崎夏生球審にストライクを取られたあと、次の同じコースへの直球をボールと判定され、四球で満塁となった。これが“事件の伏線”となる。
この年から高めのストライクゾーンを広げる新ルールが導入されたが、同じコースでも球種によってストライクになったり、ボールになったり、一定しなかったことが、ロッテ・山本功児監督の不信感を募らせた。
直後、城島健司の満塁弾で7-0とリードを広げたダイエーは、なおも無死で大道典嘉が三ゴロ。一塁はアウトのタイミングに見えたが、川口亘太一塁塁審の判定は「セーフ!」。
ストライク、ボールの判定の曖昧さにイライラしているときに、今度はアウトと確信したプレーをセーフにされ、ついに山本監督の我慢も限界に達した。
次の瞬間、「しっかり見ろ、川口!!」とベンチから怒声を飛ばした。
これに対して、川口塁審はすぐさまベンチ前に駆け寄り、「退場!」と叫ぶ。オープン戦での監督の退場劇は、1982年3月22日の阪神・安藤統夫監督以来、20年ぶりの珍事だった。
試合後、山本監督は「もう一度ビデオを見て、自分が間違っていたら謝るよ」と言いながらも、「アウト、セーフもそうだけど、お互いプロなんだから、ちゃんとやらないといかん。オープン戦でもこの時期はシーズンと一緒だ。審判の個性もあるんだろうが、(高めを)ちゃんと一定して取らないと、低めまでおかしくなっている。試合時間短縮どころか、揉めて試合が長くなってしまうぞ」と怒りが冷めやらなかった。
新ルールが導入された年は、オープン戦といえども波乱含みのようで…。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)