“仰木マジック”発動
気温の上昇とともに、近づいてきたプロ野球の開幕。
2月後半にはじまったオープン戦も各チームが7試合前後を消化し、開幕一軍・スタメン入りをかけたサバイバルレースも徐々に熱を帯びてきた。
過去のオープン戦で起きた珍プレーや珍場面を振り返るこの企画。
今回は「滅多に見られない珍場面編」と題し、何十年に一度あるかどうかというレアなシーンを集めてみた。
まずは、かつての夏の甲子園優勝投手が8年ぶりにマウンドに上がったあのシーンから。
1989年3月16日の近鉄-ヤクルト戦。近鉄の金村義明は、報徳学園時代の1981年に「エース・4番」として夏の甲子園を制覇。プロ入り後に内野手に転向するも、1986年に正三塁手になった後も、「一度でいいから、プロのマウンドで投げてみたい」という夢を抱きつづけていた。
そんな気持ちを知った仰木彬監督が「オレが辞めるまでに一度投げさしたる」と約束。だが、「冗談だと思った」金村は、この日のヤクルト戦で「ブルペンに行け」と命じられても、まだ半信半疑だった。
ところが、4-1と近鉄がリードした9回二死無走者の場面。仰木監督がおもむろにベンチを出ると、田口茂樹に代えて「ピッチャー、金村!」を告げるではないか。
直後、ブルペンから背番号6がマウンドに全力疾走してくる姿に、スタンドも沸きに沸いた。
しかし、やはりと言うべきか、プロは甘くなかった。
最初の打者・渋井敬一に対し、ストレート、カーブ、スライダーを投げ分けてカウント1ボール・2ストライクと追い込んだところまでは良かったが、4球目の外角低めを狙った直球が真ん中高めに入ったところを中前に弾き返されてしまう。
さらに、次打者・笘篠賢治への初球ストレートも真ん中へ。だが、「しめた。ホームランボールだ」と力んだ笘篠は一飛を打ち上げ、4-1でゲームセット。計5球でストッパーの大役をはたした金村は、「やはりプロのバッターは怖いですね。これで“ピッチャー・金村”にもあきらめがつきます」と満足げに笑った。
プロで打者に転向した夏の甲子園優勝投手といえば、金村以後では吉岡雄二や堂林翔太(現・広島)の名前が挙がる。
以前、筆者は近鉄時代の吉岡に前出の金村の話をしたところ、オープン戦での登板にかなり興味を示したものの、実現には至らなかった。
堂林も高校時代の女房役・磯村嘉孝と今もチームメイトなのに、プロのマウンドには立っていない。
やはり、イチローをオールスターで登板させた仰木監督ならではの“マジック”だったのかもしれない。
ナゴヤドームでミツバチに刺された…?
試合中に刺されるのは、盗塁を試みた走者だけではない。守備中の遊撃手が“何者かに刺される”という珍事件が起きたのが、1998年3月21日の中日-ロッテだ。
1-0とリードの中日は4回の守りもすでに二死。だが、打者・平井光親の1ストライクの直後、ショートを守っていた久慈照嘉は、突然首筋に“チクリ!”と何かに刺されたような感触を覚えた。
反射的に手で払いのけると、ブーンと羽音を立てて1匹のミツバチが目の前に飛び出してきたではないか。
この回は何とか守り切ったが、患部が赤く腫れていたことから、大事を取って交代。アレルギー反応を調べて、注射と点滴で治療を受ける羽目になり、とんだご難に泣いた。
「蜂で死ぬこともあるからね。でも、よりによって、(出場選手中)一番小さいオレを刺さなくてもいいのに」とボヤいた久慈だったが、自然とは無縁のはずのナゴヤドームの中にミツバチがいたこと自体、“謎”だった。
実は、ナゴヤドームでは3月5日から6日間、「フラワードーム98」と銘打った花の展示会が開かれたばかり。「花に紛れて“侵入”したのではないか」という説が有力視され、3月12日の日本ハム戦の際にも、「ベンチで舞う蜂を見た」と証言する関係者もいた。
開幕直前の大事な時期に主力に万一のことがあったらシャレでは済まないだけに、星野仙一監督も「気をつけなくちゃいかんな。誰が補償するのか。たまらんな」と苦笑いだった。
登板中の投手がなぜか代打で登場…?
最後は番外編。登板中の投手が、なぜか代打として登場する珍事が起きたのが、2015年3月7日のイースタン教育リーグ・DeNA-巨人だ。
8-1と大きくリードしたDeNAは7回裏二死、6番の指名打者・荒波翔の打順で、投手の須田幸太が代打として打席に立った。
DHの代打が投手というのは二軍戦でも珍事だが、話はそれだけではなかった。
実は、須田は6回から先発・井納翔一をリリーフしており、登板中の投手が代打に起用されるという何ともややこしい話になった。
荒波は6回の打席で内野安打を打ち、三進後、乙坂智の満塁の走者一掃の右中間三塁打で生還しているが、その後、何らかの事情で交代することになったようだ。
しかし、DeNAは7回表に3打数2安打1打点と役目をはたした筒香嘉智の交代に伴い、シフトを入れ替えた際にベンチ入り野手10人全員を使いはたしていた。
この結果、苦肉の策でDHを解除し、野球規則6.10(試合に出場している投手は、指名打者に代わってだけ打撃ができる)に基づき、須田が記録上代打になったという次第。
打撃の能力も高い須田だったが、大量リードの場面とあって、打つ素振りを見せず、空振り三振に倒れた。
ちなみに、この試合では巨人のルーキー・岡本和真が2回に遊ゴロで打点を挙げ、9回にも2点目に結びつく二塁打を放つなど、筒香とともに存在感を発揮。
この試合を生観戦した人は、珍プレーあり、未来の両スターの見せ場ありで、かなり得した気分になったはずだ。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)