先輩は本塁打王と新人王に輝く
今年は3月25日に開幕するプロ野球。「開幕投手」の大役を務める選手も続々と決まる中、先日はDeNAの2年目・牧秀悟が「開幕4番」に指名されて話題になった。
球団では1960年の桑田武(※当時は大洋)以来、62年ぶりとなる入団2年目での開幕4番。しかし、過去にはプロ1年目からいきなり「開幕4番」に抜擢された男たちもいる。
牧の大先輩にあたる桑田もその一人だ。
1959年、それまで3番・4番を打っていた青田昇と児玉利一が退団した大洋は、打線強化のキーマンとして桑田・金光秀憲・麻生実男の新人トリオに期待をかけた。
中でも桑田はオープン戦から4番を任され、4月11日の開幕戦・中日戦も「4番・三塁」で華々しくプロデビューを飾る。
1回表、1番・麻生の右前安打のあと、犠打と内野ゴロで二死三塁とチャンスを広げたところで、桑田にプロ初打席が回ってきた。大きな期待がかかる中、桑田は死球で出塁。直後、大洋は敵失で1点を先制する。
だが、2打席目以降は中日の先発・伊奈努の内角カーブにタイミングが合わず、3打数無安打に終わった。
当時の桑田は「力はあるが、粗っぽい」という評価で、「青田、児玉の打力にはとても及ばないだろう」とみられていた。そんな評価を跳ね返し、4番の本領を発揮したのが、4月14日の広島戦だった。
桑田は1回に拝藤宣雄のカーブをとらえ、左越えにプロ1号2ラン。4回にも外角低めカーブを再びライナーで左翼席に運び、2本の2ランで4打点を挙げた。
「(開幕戦では)プロは外角を多く攻められると思って、外角ばかり練習していたため、内角球にバットが合いにくかった。1本目は伊奈に苦しんだ球と同じですから、打ててうれしい。さらにうれしかったのは、次の打席でもホームランを打てたこと」(桑田)
その後も3番・近藤和彦とともに主軸を担いつづけた桑田は打率.269をマーク。中日・森徹と並ぶ31本塁打を放って、84打点という好成績を残し、本塁打王と新人王に輝いた。
ちなみに、森も前年の開幕戦で新人ながら4番を務め、巨人の黄金ルーキー・長嶋茂雄が国鉄・金田正一に4打席連続三振に打ち取られた同じ日にプロ1号を放っている。
“松坂世代”にも「新人開幕4番」が
多くの逸材を輩出した“松坂世代”。その中で唯一新人開幕4番を務めたのが、西武時代の後藤武敏だ。
2003年、法大から自由枠で西武入りした後藤は、オープン戦終盤から3番に抜擢され、最終戦となった3月23日のロッテ戦で5打数2安打・1打点を記録するなど、通算打率.333をマーク。伊原春樹監督も「今なら3番で使える」と開幕戦3番起用を明言した。
後藤自身も横浜高時代のチームメイト・松坂大輔が開幕投手を務めるとあって、「大輔の後ろで守るのが夢でしたが、(3番は)予想していなかったことです」と喜んだが、話はそれだけでは終わらなかった。
3月上旬から右肩の痛みを訴えていた不動の4番アレックス・カブレラが開幕を前に登録抹消されたことから、代役に後藤が指名されたのだ。
3月28日の開幕戦・日本ハム戦。後藤は「4番・一塁」で松坂と揃ってスタメン出場。新人の開幕4番は前出の1959年・桑田以来で44年ぶり。球団では西鉄時代なども含めて史上初の快挙だった。
だが、1回二死二塁のプロ初打席は遊ゴロ。先制機を逃した結果、相手に流れがいき、直後の2回に松坂が2点を先制されてしまう。4回の2打席目も遊ゴロ、7回の3打席目も三振となかなか快音が聞かれない後藤は、8回二死満塁のチャンスで代打を送られ、無念の途中交代となった。
「雰囲気が違って、自分の打撃ができませんでした」(後藤)。
しかし、引き続き4番で出場した翌29日の日本ハム戦では、5回無死二・三塁の場面で金村暁の外角低めカットボールを右前に運び、背番号と同じ6打席目のプロ初安打、初タイムリーとともに、球団では1986年の清原和博以来の新人4番による打点を記録。
「逆らわずうまく打ち返せました。ようやくプロの選手になれた気がします」と会心の笑顔を見せた。
“幕張のアジャ”もルーキーで4番に抜擢
新人史上初(ドラフト制以降)となるオープン戦首位打者の快挙を成し遂げ、新人開幕4番に指名されたのが、“幕張のアジャ”ことロッテ・井上晴哉だ。
2014年のオープン戦で46打数20安打・7打点・2本塁打の打率.435と打ちまくり、首位打者になった井上。勢いのままに、3月28日のソフトバンク戦で球団では毎日時代の1950年・戸倉勝城以来、64年ぶりとなる開幕4番デビューを果たす。
4番を打つ予定だった今江敏晃が故障で間に合わなくなり、「3番の井口(資仁)は動かしたくない。となれば、4番はアジャかブラゼル。今の状態でふつうに考えれば、アジャでしょうね」という伊東勤監督の鶴のひと声で決定した。
だが、プロは甘くはなかった。
井上は1回一死二塁のプロ初打席で三ゴロに倒れるなど、4打数無安打で2三振・1死球。それでも伊東監督は「明日は大丈夫でしょう」と翌29日も4番起用したが、1回一死一・二塁で空振り三振を喫するなど、2試合続けて無安打と結果を出せず、「何が悪いのかわからない」とうなだれた。
4月11日には自らプロデュースした「井上晴哉 満腹丼」(アジャ丼)が1回裏の段階で完売となる人気ぶりも、「キャラだけでは、この世界で飯を食えない」(伊東監督)と5月2日に二軍落ちしてしまう。
そんな苦闘の日々を乗り越え、24本塁打を記録した2018年に、「真の4番」として飯が食えるようになった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)