中日が翻弄された「ミラー問題」
3月25日(金)に開幕するプロ野球の2022シーズン。
いよいよ“球春”が近づいてきた中、今週ニュースでよく目にしたのが「新外国人選手の入団会見」である。
今年もコロナ禍の影響により、キャンプからの合流が叶わなかった新外国人選手が多くいた。
こうした難しい状況の中で、はるばる異国の地にやって来てくれた選手たちがいる一方、過去にはトラブルなどで入団がご破算になってしまった“幻の助っ人”や“幻の監督”も何人か存在したのをご存知だろうか。
まずは入団契約後に本人がまさかの心変わり。他のメジャー球団に横取りされるという結果を招いたのが、2003年に中日に入団するはずだったケビン・ミラーである。
レオ・ゴメスの後釜となる主砲を探していた中日は2003年1月11日、メジャー通算59本塁打の外野手・ミラーと年俸約3億円プラス出来高の2年契約(2年目の年俸は約3億6000万円/金額は推定)を交わした。
ところが、所属元のマーリンズがミラーを中日に譲渡するためウェーバー公示を行った直後、レッドソックスが「獲得したい」と掟破りの横やり。
当然ながら断られるも、今度は中日に違約金の肩代わりと代替選手の提供を条件に「譲ってほしい」と打診してきた。
中日側はこれに応じなかったが、その後ミラー本人がレッドソックス移籍に傾き、義兄の離婚問題や父親の反対、米国がイラクと開戦寸前であることなどを口実に来日を拒否。
ついには2カ月前に近鉄・中村紀洋がメッツと契約合意しながら入団しなかったことまで引き合いに出し、「彼の事情と何が違うのか?」と居直った(※ただし、中村は契約書にサインをしていない)。
手続き上、中日に問題はなく、メジャーの機構側も正当性を認めた。しかし、米メディアはこぞってミラー擁護に回り、選手会も「中日がミラーとの契約を解除しなければ、(3月25日・26日の)マリナーズ-アスレチックスの日本開幕戦を中止にする」と圧力をかけてきた。
そして2月16日、中日側は「はらわたは煮えくり返っています。裁判をしてでも頑張りたかった。しかし、本筋を離れたところで問題が起こりそうでしたから……」(西川順之助球団社長)と、無念の思いでミラーとの契約を解除。
ミラーの代わりに獲得したアレックス・オチョアが活躍したことが、面子を潰された中日にとって救いだった。
麻薬問題で入団が取り消し
「投げれば40セーブ確実」と言われながら、麻薬問題で獲得断念となったのが、西武のテスト生スティーヴ・ハウだ。
ドジャース時代に新人王に輝き、メジャー通算26勝59セーブを挙げたハウ。1987年の2月に、前年所属していた1Aサンノゼ・ビーズに西武が若手を留学させていた縁から、「日本でプレーしたい」と旧知の和田博実二軍監督を頼って来日。高知の二軍キャンプにテスト生として参加した。
左腕から繰り出される150キロ近い速球と鋭いスライダーに、森祇晶監督も「よだれが出るよ」とひと目惚れ。絶対的な抑え投手を欠く西武にとっては、喉から手が出るほど欲しい逸材だった。
だが、ハウは度重なるコカインの使用で1984年に出場停止処分を受けるなど、日本でプレーすることに大きな支障があった。
竹内壽平コミッショナーも「麻薬障害の残る選手のプレーは、国民の模範たる野球選手として好ましくないと思う」と釘を刺している。
西武側は「現在は更生の道を歩んでいる」として理解を求めたが、世論の支持も得られず。ついに3月10日、竹内コミッショナーから勧告を受ける形で獲得を断念した。
同年は1月にヤクルト入団が内定したメジャー通算110本塁打のウィリー・エイキンズも、麻薬事件で有罪判決を受けた過去が問われ、「健康食品を扱う親会社のイメージに合わない」とご破算に……。
この一件が回りまわって、社会現象にもなったボブ・ホーナーの来日が実現している。
監督が来日せず、そのまま契約解除
入団が幻と消えたのは、選手だけではない。1976年に西武の前身球団・太平洋の新監督就任が決まりながら実現しなかったのが、大リーグで4球団の監督を歴任したレオ・ドローチャーだ。
同年1月9日、渡米中の太平洋・中村長芳オーナーはロサンゼルスで記者会見を開き、ドローチャー氏と正式契約したことを発表。
「これまで大リーグで輝かしい実績を残してきた名監督の采配で、太平洋球団はこれまでより遥かに素晴らしいチームに生まれ変わると信じている」と大きなアドバルーンを打ち上げた。
年俸は推定3000万円以上。契約期間は特に定めず、やりたいだけやってもらうという話だったが、70歳の高齢に加え、前年秋には心臓の手術を受けたばかり。
しかも、リゾート地で悠々自適の老後を送っている“リッチマン”が、お金目当てで気候の異なる日本にやって来ることに疑問を呈する声も多かった。
結局、春季キャンプは監督不在のまま始まり、キャンプ地・島原には監督のメッセージを録音したテープだけが届けられた。
その後、ドローチャー監督は3月10日に来日すると伝えてきたが、「風邪をひいたので2~3日遅れる」という話になり、さらに「肺炎の恐れもあり、精密検査を受けるので16~17日に出発する」と二転三転した挙句、3月15日、球団側は「あと5週間の時間が欲しい」と言ってきたため、やむを得ず契約を解除したと発表した。
とはいえ、選手たちも「初めから半信半疑」の茶番劇。地元・九州のファンの間でも「年間シート席を売るための客寄せパフォーマンスだったのではないか?」と噂され、その年間シート席も、売れたのは半分程度だったという。
開幕前に監督問題で大きなミソをつけたチームは前後期とも最下位に沈み、経営難から太平洋の球団名も同年限り(翌77年からクラウン)となった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)