コラム 2022.04.12. 07:08

もう少しで球史に名を残せたのに…悔やんでも悔やみきれない「ノーノー未遂」を振り返る

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「ミスター・ノーノー未遂」といえば… (C) Kyodo News

惜しくも偉業に届かなかった男たち


 4月10日、プロ野球の歴史が動いた。

 ロッテ・佐々木朗希が28年ぶりに完全試合を達成。20歳5カ月での完全試合達成は史上最年少というオマケ付だった。




 NPB公式サイトの達成記録のページを見ると、完全試合達成者は「無安打無得点試合」の中に名前が刻まれている。

 無安打無得点試合、すなわちノーヒットノーランは佐々木で83人目・94度目。その中で一人も走者を出さなかった投手、つまり完全試合達成者には「☆」が付き、佐々木は史上16人目・16度目の偉業達成者としてその名を刻んだ。

 一方で、プロ野球の長い歴史を振り返ってみると、惜しくもその記録を逃した選手も多くいる。「あの打球が捕れていれば……」「あの判定が違っていれば……」。悔やんでも悔やみきれないようなケースも少なくない。



安打判定に“未練タラタラ”


 まずは「微妙な打球の安打判定」に泣いたのが、西武の張誌家だ。

 2003年6月14日のロッテ戦。張は1安打・10奪三振で完封勝利を挙げたが、唯一許した安打は、エラーと判定されてもおかしくない落球絡みのプレーだった。


 問題のシーンは、2-0で迎えた3回一死の場面。8番・喜多隆志がレフトへハーフライナーの飛球を打ち上げたところ、和田一浩が追いついて捕球したかに見えた。

 ところがその直後、打球をグラブに当てて落としてしまう。千葉マリン特有の強風によって打球が思った以上に伸びたのがアダになった形だが、判定はエラーではなく安打だった。

 まだ回が浅かったため、この時点では「3回一死から許した初安打」だったが、張がその後1本も安打を許さず完投したことから、終わってみれば“ノーノー未遂”であった。


 あくまで結果論だが、もしエラーと判定されていれば、張は前年8月1日の中日・川上憲伸以来となる史上71人目・82度目のノーヒットノーランを達成していたことになる。

 不運な判定の結果、快挙を逃した張は「自分の中ではヒットじゃない。今からでも記録が直りませんか?」と未練たらたら。

 しかし、残念ながら後日記録が訂正されることはなく、一度もノーヒットノーランを達成できないまま、2006年限りで退団・帰国している。


“ノーノー達成”を確信したが……


 ノーヒットノーランまであと一人という場面で、本人が「打ち取った!」と思った打球が皮肉にも安打になる悲劇に泣いたのが、広島のロビンソン・チェコだ。

 1996年5月18日の阪神戦。チェコは最速150キロの速球とスライダーを武器に、阪神打線から4回までに10奪三振。2-0の9回二死まで2四死球のみの無安打と、つけ入る隙を与えない。


 そして、次打者・久慈照嘉も初球の148キロ低め直球を左中間に打ち上げた。直後ノーヒットノーラン達成を確信したチェコは、ガッツポーズをしようと両手を肩のあたりまで挙げかけていた。

 ところが、アウトの瞬間をこの目で見ようと振り返ると、俊足のセンター・緒方孝市が必死に走っているにもかかわらず、なかなか打球に追いつけない。

 最後は一か八かのダイビングキャッチまで試みたが、無情にもボールは芝生の上にポトリ。この間に久慈は二塁まで達し、快挙はあと一人で幻と消えた。9回二死から逃したのは、史上19度目の珍事だった。


 「捕ってくれるんではないかと思ったけどね。まあ、野球にはいろんなことがあるから、仕方ないよ」と気を取り直したチェコは、平塚克洋をこの日14個目の三振に切って取り、1安打完封勝利を挙げたが、間もなく故障を理由に戦線離脱。そのまま退団した後、念願のメジャー移籍をはたす。

 実は前年のシーズン中にも、新たなボーナス契約を要求して先発を拒否したり、シーズン後にメジャー移籍を希望して広島との契約解除を訴えるなど、ゴタゴタが続いていたチェコ。最後の久慈の打球を捕れなかったことは別として、チーム内でも「チェコのために」という連帯感は今ひとつだったのではなかろうか。


 1978年8月31日のロッテ戦で史上14人目の完全試合を達成した阪急・今井雄太郎は、後年になっても「(ショートの)大橋(穣)さんに助けてもらった」と感謝の気持ちを忘れなかったという。

 ノーヒットノーランは、投手一人だけではできないことを改めて痛感させられる。


“ミスター・ノーノー未遂”


 最後に登場するのは、ご存じ「ミスター・ノーヒットノーラン未遂」西武・西口文也だ。

 9回二死からノーヒットノーランを2度、延長10回無死から完全試合を1度の計3度逃したことで知られるが、実はこの3試合よりも達成できていた可能性が強かったと思われるのが、8回二死まで無安打に抑えた1999年9月19日のオリックス戦だ。


 7回まで2四球のみの無安打・無失点に抑えていた西口は、8回も五十嵐章人を右飛、藤井康雄を二ゴロに打ち取り、簡単に二死。ノーヒットノーランまであと4人となった。

 だが、次打者・三輪隆のピッチャー返しのゴロにグラブを差し出すもわずかに及ばず、打球はショートへ。松井稼頭央が回り込んで捕球し、無理な体勢から一塁送球を試みたが、ワンバウンドになったばかりでなく、ファースト・高木大成も弾いてしまいセーフ。内野安打となった。


 西口は気持ちを切らすことなく、次打者・塩崎真を遊直に打ち取り、8回を被安打1の無失点で降板したが、もし記録継続のまま9回も続投していれば、上位打線に回ったものの、この日は1番・田口壮から2三振を奪うなど相性が良かっただけに、ひょっとすると、ノーヒットノーランを達成できていたかもしれない。

 試合後、西口も「あれはピッチャーゴロ。自分で捕らんと。(投球後)体が左に傾いて捕れなかった」と悔やみに悔やんだ。7回・8回に大幅に守備交代を行い、ノーヒットノーラン用守備固めで全面協力した東尾修監督も「(今日の西口は)腕が良く振れていたのに……」と不運な内野安打を残念がった。

 もし、この日にノーヒットノーランが達成されていれば、後のノーノー未遂3度の歴史も変わっていたかも……?


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)



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