キャンプから積み上げた貯金がゼロに
例えば、自分が10日間取材現場を離れて休養することになっても、記者という仕事のブランクをそこまで感じることはないだろう。変わらずペンも握れるし、記事も問題なく書けるはず。
ただ、野球選手はそうはいかない。4月上旬、鳴尾浜球場で懸命に汗を流していたタイガースの青柳晃洋と話した時の言葉は、とりわけ印象的だった。
「オープン戦は絶好調だったのが、その感覚が全部無くなっちゃったんで……」
キャリア初の開幕投手に内定しながら、新型コロナウイルスに感染して戦線を離脱。久々に顔を合わせたのは、所定の隔離期間を終え、二軍本隊に合流してから数日経った頃だった。
感覚が無くなるとは……。右腕は「具体的に言うと」と明かしてくれた。
「筋力が落ちて、指がボールの重みに耐えられなくなるとか。すぐ張ってきてボールを握れなくなる。全体的な筋力は落ちてないですけど、投げることに関しては落ちてしまいましたね。ボールが抜けたり、引っかかったり、そんな感じですね」
3月16日に自主隔離となって、練習に復帰したのは同27日。たった11日間と感じてしまう人もいるかもしれないが、投手にとっては致命的だ。
その間、簡単なトレーニングはできても、もちろんボールを投げることはできない。キャンプから連日行う投げ込みが、いかに重要なことかあらためて分かる。
肩を作っていく段階の2月1日から、コツコツと積み上げてきた“貯金”がゼロになったイメージなのだろう。
「すごくホッとしています」
そこで、青柳は対策に打って出た。
復帰して3日間は「ばばっと投げて」と表現したように、通常よりもキャッチボールの時間を長く取り、指先の感覚やボールの重みに慣れることに徹した。「慣れたらいける」。早期の一軍昇格へ手応えも口にしていた。
その後、二軍での2度の実戦登板を経て、4月15日のジィアンツ戦で今季初登板を迎えた。
チームが開幕から1勝15敗と苦境に喘ぐ中、「流れを持ってくれる投球を」と序盤から丁寧な投球を心がけ、持ち味であるゴロアウトを量産。ピンチを3つの併殺でしのぎ、要所ではカーブを投じて緩急も駆使。8回1失点、95球の快投に「ブランク」という言葉は見当たらなかった。
「開幕が遅れてしまって申し訳ない気持ちがあったんですけど、チームがこういう状況なのでとにかく気持ちで投げようと。僕が帰ってきて結果が思うようにいかなかった場合は流れが悪くなると思っていたので。重要な試合で、今はすごくホッとしています」
本来の開幕戦から、ちょうど3週間後に見せた背番号50の舞い。
その裏には、小さな絶望とそれを懸命に克服した日々があった。
文=チャリコ遠藤(スポーツニッポン・タイガース担当)