コラム 2022.05.23. 07:14

レジェンド助っ人の独立リーグ監督就任の舞台裏…「日本プロ野球外国人OB選手会」とは?

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現役時代は近鉄の大砲として活躍したラルフ・ブライアント氏 (C) Kyodo News

伝説のスラッガーが北海道にやってくる…?


 「あのブライアントが帰ってくる」──。

 平成初めのパ・リーグを牽引した伝説のスラッガー、ラルフ・ブライアントが独立リーグ・北海道フロンティアリーグ(HFL)の士別サムライブレイズの監督として日本球界に復帰するというニュースが飛び込んできたのは3月のことだった。




 すでにリーグは開幕。ビザの関係でいまだ来日は果たせてはいないが、今年発足したばかりの新興リーグを盛り上げてくれることは間違いない。

 それにしても、どうやってアメリカに在住している元助っ人を、NPBに属していない独立リーグ球団が「一本釣り」しているのだろう。

 その背景には、4年前に発足した「一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会(JRFPA)」の存在がある。



阪神に魅せられたとある男の熱意


 アメリカのビジネスマンが立ち上げたこの団体を、日本側で支えているのが砂原元氏だ。

 大卒後は民間企業に勤めていたが、縁あって1996年に日本プロ野球OBクラブの職員に転職。その後、この団体が公益社団法人全国野球振興会となってからも事務方を22年にわたって取り仕切ってきた。

 「日本プロ野球OBクラブ」は、NPBの元選手が野球を通じた社会貢献や野球の普及・拡大を目指す団体で、過去にはオフに往年の名選手が試合興行を行うマスターズリーグも実施していた。現在も野球教室や講演にプロOBを派遣している。砂原氏は、長らく裏方としてこの団体の活動を支えてきた。


 その砂原氏のもとに、オーストラリアから一通のメールが舞い込んだのは4年前のことだった。

 メールの主はウィリアム・ブルックス。野球好きのアメリカ人ビジネスマンの彼は、日本のプロ野球のファンで阪神タイガースがお気に入りだった。そんな彼から、日本のプロ野球でプレーしていた元助っ人たちを繋げたいから協力してくれないかと依頼があったのだ。

 「当時の元助っ人たちの状況と言えば、所属していた球団とのつながりがないことはないけど、それも球団によって濃淡があるというものでした。それに、横断的に12球団をつなげるものはなかったんです」と砂原氏は振り返る。


 日本球界に旋風を巻き起こした助っ人たちも、その多くは日本球界を去ってからの消息はなかなか伝えられない。メジャーリーグで活躍した経験のある者以外は、母国に戻れば「ただの人」。野球界から離れて郵便局員や車のディーラーをしている者もいる。

 そんな彼らが、再び日本でなんらかの活動ができないものか……。ブルックス氏はSNSを通じて彼らと繋がり、日本でプレーした外国人選手のOBクラブを作ろうと思いついたのだ。

 とは言え、活動の拠点となる日本には彼らを受け入れる組織もなかった。そこで、日本プロ野球OBクラブの事務方を取り仕切っていた砂原氏を探し当て、アポイントをとってきたのだ。

 ブルックス氏の熱意にほだされた砂原氏は、ふたつ返事でその申し出を受け入れた。JRFPAが発足すると、砂原氏は日本のプロ野球OB会を辞して、JRFPAの日本側の窓口役としての活動を本格化させた。


セカンドキャリア支援を通じた「社会貢献」


 「今は、ロサンゼルスに住んでいるブルックスが元選手たちと連絡をとり、私が日本で各球団などと折衝しています。日本のOB会からは離れましたが、今でも交流があるのでいろいろなイベントを企画したりしています」

 現在、会員は約250人。元選手代表としてブライアントの他、日本ハムの主戦投手だったカルロス・ミラバル、オリックスやソフトバンクなどでプレーしたホセ・オーティズが理事として名を連ねている。

 ごく短期間でも、NPBでプレーした経験がある者には門戸を開いている。もちろん、国籍は不問。アジア人会員もおり、西武黄金時代を支えた「オリエンタル・エクスプレス」こと郭泰源氏も会員のひとり。今後もSNSを利用して、会員の輪を広げる方針である。


 決して営利を求めるものではないが、会の活動を通じて会員のセカンドキャリア支援をできればという思いもあると砂原氏は言う。

 「日本でまたプレーいうのは難しいですけれども、指導者としての活動の橋渡しや、イベントを通じた社会的な貢献ができることもあると思うんです。それにベースボールカードなんかの商品開発というのもできますしね。外国人元選手の肖像権管理っていうわけでもないですが、実際、ゲームやカードのメーカーが彼らの名前や肖像を利用したくても、どこに申し込んでいいかわからないということが多いんです。エージェントがいるのかとか、そもそも海外にいる元選手とどうやってつながっていいのかわからない。そこで我々がそのお手伝いをしようということです。包括的にやった方が便利ですから。実際ゲームメーカーさんの交渉の窓口になったこともあります。そういうかたちで報道陣にもアピールすると、いろんなお話もいただきます」

 直近では、この3月に行われた広島カープのレジェンドゲームにもかかわったと言う。

 「コロナもあったので、アメリカから来日しての参加はできませんでしたけど、2010年代のV3の投打の主役だったクリス・ジョンソンとブラッド・エルトレッドのビデオメッセージ作成に協力しました。今後もさまざまなかたちで球団とはコラボしていくつもりです」


「ブライアント監督」誕生の舞台裏


 ブライアントに関しても、「助っ人OB」が指導者として日本に復帰する道筋を作りたいという思いがある。 

 「もともと士別球団の監督には、当会会員のトニ・ブランコ氏が就任することになっていたんですけど、それがビザの関係で難しくなったんです」

 砂原氏は、士別球団の監督選考に関する経緯についてこう語る。

 「ブランコ氏の監督招聘については、別ルートで話を進めていたみたいなんですけど、とにかく来日が難しくなったということで私に話がまわって来たんですよ。もともと、HFLさんとは、昨年の旧リーグ時代からかかわりがありましたから」


 士別球団からの「注文」は当初、ブランコと同じくプレーイング・マネージャーとして就任できる人材ということだった。

 「でもそう言われても、開幕前のこのタイミングで、兼任監督としてプレーできる人がいるのかってことになりましてね。それで、集客できるネームバリューと言う点でブライアントに白羽の矢が当たったんです。本人に打診するとOKが出たんですけど、コロナ禍でビザの手続きに手間取っているところです」

 5月初めの士別球団の開幕戦には、来日できなかったブライアントの代わりに砂原氏の姿が球場にあった。こまめに現場に足を運んでは、かつて日本のファンをわかせた元助っ人たちの活躍の場を探している。

 「彼らはみな親日家なんです。そんな彼らを再び日本の野球ファンの前に立たせたいですね」

 注目のブライアント新監督は、5月24日来日の予定だ。


文=阿佐智(あさ・さとし)
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