野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史~第8回:ファミスタ94
「えっ、5800円?」
先日、レトロゲームショップのガラス張りショーケースの中に1本の野球ゲームを見つけた。ファミコンソフトの『ファミスタ94』である。
発売時の定価は3900円だが、2022年現在で箱・説明書・付属シールまで完品ならば5000~6000円ほどの高値がついている。
ご存知、80年代後半の教室で「国語算数理科ファミスタ」とまで称されたファミコン野球ゲームの歴史的名作。
我々は人生の理不尽さを“ぴの”の異常な俊足から学んだ最初の世代である。
そんな超人気シリーズだが、いまや86年12月発売の初代『ファミリースタジアム』は1本110円のジャンクコーナー棚や福袋の数合わせの常連だ。
なにせ200万本以上売れた大ヒットソフトのため、世の中に膨大な数が流通した。レトロゲーム市場では、売れたから中古価格が上がるのではなく、当時は売れなくて流通本数そのものが少ないため、数十年後の今になって高騰するケースが多い。
『ファミスタ94』の発売日は1993(平成5)年12月1日。なお『ファミリーコンピュータ パーフェクトカタログ』(ジーウォーク)によると、「93年のファミコン向けタイトルは52タイトル。すでに市場は完全にスーパーファミコンに移行」という記述がある。
翌94年には、次世代機と呼ばれたプレイステーションとセガサターンの新ハード発売を控えており、88年のピーク時には年間197本のソフトを供給したファミコン市場も、終焉が近付いているのは誰の目にも明らかだった。
サントリーはちみつレモン片手にファミスタに熱中した少年たちも、成長してデカビタCを飲みながらゲーセンで『バーチャファイター』の対戦に燃える思春期を迎えていた。
“ファミスタブランド”の集大成的な一本
恐らく、80年代中盤に初期ファミリースタジアムに熱中した人は多くとも、29年前に「実は『ファミスタ94』を学校休んでまでやりこんでさ……」という猛者はそう多くはないと思う。
当時すでにスーパーファミコンで『スーパーファミスタ』シリーズが毎年出ていたし、94年3月にはコナミからスーファミソフト『実況パワフルプロ野球’94』が発売されている。正直、ファミコンのファミスタはどう考えても昭和のエリマキトカゲレベルで古かったが、2022年の今、定価を超える価格でショーケースの中に飾られるリアル。皮肉にも、ファミコン末期の時代の狭間に埋もれたことにより、希少価値が高い。
というわけで、今回はそんな遅すぎた名作『ファミスタ94』を紹介してみよう。といっても、ゲームモードはいたってシンプルだ。
「1P」と「2P PLAY」、CPU相手に勝ち抜く「めざせ日本一」のみ。ファミコンシリーズ前作の『ファミスタ93』は初の日本野球機構の公認を受け、「野球クイズ」コーナーや収録選手の詳細データを確認できる「野球カード」等、充実の内容だったが、もはや極限まで各モードを削ぎ落として価格を抑え、シンプルに「野球をやる」ことに特化した仕上がりになっている。
実際の93年シーズンのデータが元になっているので、スワローズとライオンズの両リーグ覇者はチーム力が高く、カープ打線も破壊力抜群。対照的にジャイアンツは20本塁打以上が“ばふぃるど”ひとりのみと貧打に悩まされる。
選択できる球場は“うまかドーム”・“じんぐうのもり”・“アクアリウム”の3つ。イニング間のグラウンド整備描写に加え、ラッキーセブンや試合後のナムコットスポーツとナムコ定番の演出はそのままだが、感覚的には飛ばないボールがフェンス間際で失速するフライが多く、投手戦になることも珍しくない。
前作で不評だった細身キャラは丸っこい以前のビジュアルに戻り、守備面の操作性の良さはさすがにファミコンの完成系というか、ゲッツー時のジャンピングスローや球筋含めシリーズ屈指の出来ではないだろうか。大人も子どもも安心して楽しめるファミスタブランドといった安定感だ。
このコラムを書くにあたって久々にプレイしたが、気が付けば時間を忘れてのめりこみ、ナムコスターズを使ってライオンズと同点で迎えた9回表の先頭打者ぴのが内野フライを打ち上げると、「上げちゃあダメだろ!」なんて真夜中の虚空に向かってひとり絶叫。反射的にリモコンでテレビを消してフライを捕られるのを妨害……というCPU相手なのに28年前と同じ人として最低ムーブをしてしまい、当時対戦した同級生たちの顔を思い出すのであった。
あの頃、ファミスタはゲームというより、俺らにとってはコミュニケーションツールであり日常そのものだ。
球界の未来を予言したファミスタ
ファミスタと言えば、初代の阪急・南海・近鉄の関西鉄道系連合チーム「レイルウェイズ」が04年球界再編時の近鉄とオリックスの合併を予言していたと話題を集めたが、もうひとつ未来の球界で実現したゲーム設定があった。
ファミコン版では、前作の93年版から「メジャーリーガーズ」に代わって「オールアメリカン」が登場。これまでの大物大リーガーをモデルにした現実感のない強さを誇ったメジャー連合ではなく、オールアメリカンは実際に来日してNPBでプレーする外国人選手のオールスターチームである。
なお94年版のスタメンは、「1番もすびーCF、2番れいのるずRF、3番はうえる3B、4番おまりー1B、5番ぶらいあんDH、6番ういんたすLF、7番はどらー2B、8番ほーるC、9番ろーずSS」と懐かしの平成名助っ人陣が実名で登場している(なお、投手陣の実在選手はダイエーの“たねる”のみ)。
そして、現実のプロ野球でも、95年7月24日の福岡ドーム。オールスター第1戦の前日に日本人選手選抜の“ジャパン・ドリームズ”vs.助っ人選抜の“フォーリン・ドリームズ”が戦う「阪神大震災チャリティー・ドリームゲーム」が開催されたのである。
試合は4番フリオ・フランコ(ロッテ)の2安打2打点の活躍でフォーリン・ドリームズが5-3で勝利。なお、当時は外国人捕手がいなかったため、大久保博元が「デーブ」、定詰雅彦が「ジョー」名義で助っ人参戦した。王貞治監督率いるジャパンの若武者イチローも本塁打を含む3安打と存在感を見せ、珍しく一塁を守る21歳・松井秀喜の姿が話題となったが、ゴジラ松井は『ファミスタ94』で、“まつい”としてファミコン版のファミスタデビューを飾っている。
こうして、94年6月24日発売の『高橋名人の冒険島IV』を最後に11年に渡るファミコンソフト市場は終わりを告げたが、ラストイヤーの94年に発売されたスポーツ系ソフトは当時のJリーグブームを受けたサッカーゲームの2本のみ。
つまり、93年12月に世に出た『ファミスタ94』は、結果的に大トリを飾る“ファミコン最後の野球ゲーム”となったのである。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)