「強い選手」が生き残るプロの世界
インタビューの場に現れた角晃多は、ついさっきまでのユニフォーム姿ではなかった。
試合が終わってひと息つきながら帰り支度をしている選手を尻目に、ポロシャツ姿になって試合会場の撤収作業に汗を流している。
試合会場にも球団職員を伴って一番乗り。会場の設営をまず行ってから、ユニフォームに着替えてフィールドに出る。
まだ32歳。童顔で小柄な姿は、何も知らねば選手に見えるだろう。
しかし、すでに現役を退き、監督に就任して5年目になる彼は、いま社長として球団経営にも携わっている。
高校野球の激戦区、神奈川の強豪・東海大相模では4番を務め、通算36ホーマーを放った。
しかし、甲子園出場は果たせず。スカウトの注目も、もっぱら自身を上回る高校通算65ホーマー放った3番バッターの同級生・大田泰示(現・DeNA)に集まった。
ドラフトでは、大田は角の父・盈男がかつてストッパーを務めていた巨人から1位指名を受け入団。
一方の角は、ロッテのトライアウト経て、育成3位指名でプロの世界に飛び込んだ。
育成契約というかたちでの入団だったが、高卒選手の多くが抱く「とんでもないところに来てしまった」という感覚は抱かなかったという。実際、3年目にはファームの月間MVPも獲得している。
しかし、6年間のプロ生活で支配下選手契約まではたどり着いたが、結局一軍の舞台に立つことはできなかった。その挫折とも言える経験をこう語る。
「どうなんですかね。全然活躍できなかったので。なんとかがんばろうって一生懸命練習したんですけど、故障も多かったですし、それでチャンスもつかめませんでした。一時的な力だと一軍でも通用したことはあったかもしれませんが、それをシーズン通してできるかっていうと別ですよね。チャンスはいつ来るかわからないじゃないですか。その中で、常にいい状態を保ち、いいプレーを続けられる体力は正直僕にはなかったなと思います。それは今になって反省してますね」
「上手い選手でなく、強い選手が活躍する世界」。それが、現在身を置いている独立リーグの選手たちが目指すプロ=NPBという場であると角は語る。
「技術的にすごく上手ってことではなく、体、それに心の強さがものを言う、強い選手が結局は生き残る世界だなって。それは痛感しましたね。僕にはそこが足りなかったと思います。僕がお世話になったロッテの一軍選手も、心身とも強い選手でした。下半身が非常に強い人もいれば、体全体から出てくるエネルギーがすごかったりだとか。目に見えるところでのその強さっていうのはみんな違ってはいたんですが、結局のところ体力かなとは思います。その体力が、集中力も持続させてくれるんでしょう。その部分が一軍の選手たちは抜き出ていました」
独立リーガーから監督へ
2014年シーズン後、ロッテから戦力外通告を受けた角は、独立リーグの世界に身を投じる。
ルートインBCリーグの武蔵ヒートベアーズで現役生活を続けることにしたのだ。
「最初はなんとかもう一度NPBに、という気持ちでした。当時まだ24歳でしたから。一方で、高校から育成選手という立場でプロに進んで、環境的には素晴らしいところでやらせていただいたんですが、そうではないところでもやってみるのもひとつの勉強かなという思いもありました」
とは言え、その先もずっと野球で飯を食っていこうという覚悟もなかった。
「というより当時は野球以外なにもできなかったですから。なんていうか、将来何をするかわからないけれども、NPB以外の野球も体験したいという気持ちでした」
独立リーグでは、その実力は頭一つ抜けていた。
打率3割をマークし、セカンドのベストナインも獲得。しかし、それでもNPB復帰は叶わなかった。
翌2016年は“コーチ補佐”の肩書がついたが、レギュラーとしてプレー。打率.340、4本塁打の「キャリアハイ」をマークしている。
NPBの12球団合同トライアウトにも参加。4打数2安打と結果を残すも、声がかかることはなかった。
翌17年もプレーは継続したが、角の心はすでに指導者へと傾いていた。
出場試合数もめっきり減り、27試合で打率.137に終わると、現役引退を決めた。それと同時に監督に就任する。
「コーチ(補佐)になったのが25歳。正直、最初は指導者というより先輩という感じでしたね。指導というより、自分がNPBで見た景色、失敗した体験なんかを伝えるという感じでした。もちろんその先に監督なんて全くなかったです。周りからは、選手、兼任コーチ、監督って階段を上がっているように見えるかもしれませんが、全くそうではなかったです」
角が引退を決めた2017年シーズン、球団は深刻な経営危機に陥っていた。監督・コーチ、GMが一挙に退任する中、フィールドを司る監督の後任として、26歳を前にした角に白羽の矢が当たったのだ。
選手の兄貴分からチームを司る監督へ。人は立場が変われば言動も変わるというが、角もまた意識するせざるにかかわらず、その自己変革から逃れることはできなかった。
独立リーグ球団の監督には、選手に引導を渡すという役割があるのだが、三十路を前にした若き監督にもそれは求められた。
「でもそれはこういう場所ですから。覚悟していました」
角は毎年オフになると粛々とその作業を行った。自らNPBの壁を経験した身として、別の道を模索させるのも、自らの仕事だと確信している。
チームは2015年の発足以来、低迷を続けていたが、角は監督就任時に「勝ちにこだわりたい」と抱負を語った。
チームは角監督就任と時を同じくして「埼玉武蔵ヒートベアーズ」と名を改めたが、新監督の言葉とは裏腹に、はじめ相変わらずの低空飛行を続けた。
きっかけは、オーナー企業の変更だった。
2020年、前年から業務提携というかたちで球団運営に参加していた現オーナー企業が立ち上げた運営会社に球団運営が移管されると、ここからチームは上昇カーブを描く。
そして昨シーズン、ついに地区優勝を果たした。
しかし、監督に就任して4年の間に、優勝というものへのアプローチは角の中で大きく変わっていた。
「おかげさまで、昨年は地区優勝したんですけど、正直なところ、優勝に何の答えがあるのかということに今も自問自答しています。我々独立リーグ球団にとって、ファンの人も一緒になって喜べるこういうコミュニティーを作ることが一番大事であって、それがないにもかかわらず優勝ばかり追いかけても仕方ないと思うんですよね。それに選手サイドからすると、正直優勝なんか関係ないんですよ。彼らにとってはNPBに行くことが独立リーグにいる目的ですから。それは自分もここでプレーしていましたからわかります」
世にも珍しい「監督を兼任する球団社長」
「優勝監督」となった角のもとに次のミッションが届いた。球団社長への就任である。
しかし、これは突然降って湧いた話ではないのだと角は言う。
「実は3年前に現在のオーナー会社が球団経営に入ってきて、そのタイミングで社長人事については伝えられていたんです。どこかのタイミングで社長にはなってほしいというお話でした。少し早いように思いますけど、そのタイミングが来たということです。今年からは、球団の運営とか編成もやっていかなきゃならないですね」
とは言え、監督の肩書もついたままだ。
フロントの長である球団社長とフィールドの指揮官との「二足の草鞋」など可能なのだろうか。
「だからうちのチームの特徴として兼任コーチが多いっていうのがそこなんですよ」
角は笑う。
「うちの場合、野球を通したコミュニティーをみんなで作るということをやっていて、そのコミュニティーのみんなを喜ばせるのは兼任コーチの仕事です。その指針を出すのが僕の役割だと思ってます」
独立リーガーたちにとって大事なのは、自らのNPB「昇格」である。
自身がドラフトにかかることが最優先で、チームの勝利や球団の経営などは二の次、三の次である。角は、それは当然のこととしてとらえている。
しかし、それだけでは地域密着型の球団運営やペナントレースを乗り切ることは難しいのも事実だ。
そんな中、球団運営を最優先して考えてくれる選手兼任コーチはありがたい存在だという。
ヒートベアーズには、今シーズン3人の兼任コーチが在籍しているが、彼らはもうNPBを目指してはいない。
「監督が社長になったというより、社長が監督を兼ねているというイメージです。もっとも、必ずしも社長が偉いわけじゃないですよ。どちらかというと球団のリーダーという感じですね」
という角の言葉からは、現在の彼の軸足は球団のマネジメントの方にあることがうかがえる。
だからフィールドについても、自らの責任において、兼任コーチに任せている。試合のスターティングメンバーを決めるのも彼ら兼任コーチの役割だ。
監督の角は、試合中サードコーチャーズボックスに立ってはいるが、試合中の指示もコーチに委ねている。
「スタメンや攻撃のサインは片山兼任コーチ(元楽天)を中心に決めています。彼自身が試合に出る出ないも彼が決めています。バッテリー間のサインもベンチから出すことがありますが、これは片山に相談の上、横田バッテリーコーチが出しています」
フィールドの仕切りをコーチ陣に任せている理由について、角はこう説明する。
「社長と監督を兼任しているので、実際自分自身がいつも現場に入れるわけじゃないんですよ。試合のない日は練習なんですが、僕はそこにはほぼ顔を見せることはできてません。選手を見ることができない人間に指示を出されたくないでしょう。僕が選手でも嫌です。だからそこは社長として兼任コーチとはそこも任せるという形で契約をしています。そこは彼らを信頼してチームを預けています」
とは言え、監督はあくまで角自身である。コーチらのとった作戦に疑問を感じた場合は話をするという。
「そういう時はどうして?って聞きます。ただ、そこも自分の意見が最優先だとは思っていません。彼らと僕もフラットです。もちろん監督である僕が納得いかない場合は、コーチたちには僕が納得できるように説明させてはいます。そこは彼らが好きなようにできると言うわけではないです」
監督として、フィールドでの指揮権を半ばコーチに任せてしまうことにジレンマはないのだろうかとも思うが、そこは「覚悟」だと角は言う。
「もう任せるなら任せる、そうでないなら全部自分でやるという中で決めたことですから。それに任せていることは、兼任コーチたちのやりがいにもなっていると思うんですよね。絶対」
社長就任以来、オフも休む暇なくフロント業務を行っているという。
「うちもおかげさまで、50を超えるスポンサーさんについていただいています。これを維持していこうと思えば、もう10月位から営業を始めなければならない。スポンサーさんの決算月にも合わせて営業活動したりもしているので早ければシーズン中の9月にも動かねばなりません。もうシーズン中から来年への動きは始まっています」
ある意味殺人的なスケージュールを日々こなしている角だが、その報酬の「二足分」なおだろうか。
「そこは、ひとりの人間として、ひとり分いただいています」
独立球団社長として、そこは自らにもシビアだった。
文=阿佐智(あさ・さとし)