バットを水車のように「ブルン!ブルン!」
近年はめっきり見る機会が減ったプロ野球の乱闘シーン。
7月9日のオリックス-ロッテ戦では、ロッテのタイロン・ゲレーロが投じた危険な投球をめぐって両軍がベンチから飛び出して一触即発ムードとなったが、なんとか乱闘までは発展することなく収まったというシーンがあった。
しかし、平成以前のプロ野球では、両軍入り乱れての大乱闘もしばしば……。
いったん乱闘が収まったかと思いきや、突然別のところで第2ラウンド勃発という乱闘の“ダブルヘッダー”なんてこともあった。
まずは“主役”が退場となって試合再開後、危険球をキッカケに騒動が再燃したというレアケース。1989年5月31日のヤクルト-阪神だ。
最初の事件が起きたのは、10-4とリードしたヤクルトの6回の攻撃が始まった直後。先頭のラリー・パリッシュが、渡辺伸彦から左上腕部に死球を受けたことがきっかけだった。
前の打席でも工藤一彦にブラッシュボールを2球投げられていた“赤鬼”は、「もう我慢できねえ」とばかりに、バットを水車のように「ブルン!ブルン!」と振り回しながらマウンドに向かおうとした。
捕手の岩田徹が制止しようと前に立ちふさがると怒り倍増。岩田を左手で突き、大声で叫んで首筋をつかむなど荒れに荒れた。
両軍ベンチから選手やコーチが飛び出し、何人もの選手がパリッシュを引き離そうとしたが、あまりの怪力でビクともしない。
その後、金森永時と大野久が何とか取り押さえ、ようやく騒ぎは収まった。
ところが、パリッシュが退場して試合再開からわずか9分後、“第2ラウンド”のゴングが鳴る。
二死一・二塁となって打者・中西親志に対し、渡辺の初球がすっぽ抜けて頭部付近を通過したことから、ぶち切れた中西が逃げる渡辺を追いかけるのを合図に、両軍ナインが再びもみ合った。
ヤクルト・小谷正勝コーチに至っては、渡辺をバックスクリーン付近まで追い回し、スタンドでも興奮したファン同士で喧嘩が起きた。
4分の中断後、渡辺が危険球退場となって試合が再開されたものの、ここからノーガードの打ち合いになり、終わってみれば13-9の大乱戦。試合後は監督も選手もヘトヘトだった。
ちなみに、阪神はこの日7本塁打を放ちながら試合に敗れるという、セ・リーグ初の“珍事”も記録している。
退場になったのに「2度目の乱闘」に参加
一度退場になった選手が、2度目の乱闘にも参戦するという珍事態が起きたのが1989年10月3日の日本ハム-ダイエーだ。
5-2とリードのダイエーは5回、先頭のウィリー・アップショーが西村基史から右上腕部に死球を受けたことに激高。「ベースからかなり離れて立っているのに、明らかに故意に当てた」と、マウンドに向かって突進した。
アップショーは制止しようとするダイエー野手陣や審判たちを振り払い、逃げる西村をセンターまで追いかけて後ろから組みつくと、その場に押し倒して鼻にパンチを浴びせる。
乱闘騒ぎの中、なぜか無関係のトニー・バナザードと若菜嘉晴が取っ組み合うシーンも……。この暴力行為でアップショーは退場になり、7分後に試合が再開された。
しかし、今度は一死一・二塁で藤本博史(現・ソフトバンク監督)も、金沢次男の胸元をえぐる速球に怒り、マウンドへ向かおうとした。
これに対し、金沢も「やるか!」とばかりに応戦の構えをとったので、本塁付近で両軍ナインが押すな押すなのもみ合いに……。
どさくさに紛れて、退場になったはずのアップショーまで参戦。これについては同年に放映された「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」でも取り上げられ、ナレーターのみのもんたが「退場になったアップショーが何でここにいるの?」とアフレコを入れていたのを覚えているファンも少なくないだろう。
2日連続で「退場処分」に
最後は2日連続で、しかも主役も同じという“変則ダブルヘッダー”となった1995年9月16日・17日の日本ハム-ダイエーを紹介する。
まず16日の初回、日本ハムは先頭打者のロブ・デューシーが二塁打で出塁。広瀬哲朗の遊ゴロで三塁に進んだ。
一死三塁で、片岡篤史は一ゴロ。一塁手の藤本博史は本塁は間に合わないとみて一塁に送球したが、デューシーは余裕でセーフのはずなのに猛然と本塁に突っ込み、勢い余って捕手・坊西浩嗣を押し倒してしまう。
これを見て、当人の坊西以上に怒りを爆発させたのがダイエーのケビン・ライマーだった。
血の気の多さでは、同じカナダ出身のデューシーに一歩もヒケを取らない“瞬間湯沸かし器”とあって、あっという間にベンチを飛び出すと、デューシーに殴りかかり、喧嘩両成敗で揃って退場になった。
そして翌17日も、前日退場になったばかりのデューシーが再び騒ぎを起こす。
初回に藤井将雄から死球を受けると、捕手の坊西が前日のラフプレーの報復で故意にぶつけさせたと思い込み、振り向きざまに坊西に右フックをお見舞いしたのだ。2日続けて被害を受けた坊西にとっては災難としか言いようがない。
たちまち、両軍ナインが飛び出して乱闘騒ぎとなり、デューシーは前代未聞の2日連続の退場処分となった。
日本ハム・上田利治監督は「あの死球は見え見え。あれぐらいやられたら、怒るのも当然」とデューシーの行動を支持したが、ダイエー・王貞治監督も前日のラフプレーについて「あれは意図的。種を蒔いたのは彼なんだから」と言い返すなど、試合後は指揮官同士の舌戦で“第3ラウンド”に発展している。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)