「ノンテンダー」でNPBから去った変則右腕
「いつものスタイルですから」
試合を完璧に締めくくったにも関わらず、秋吉亮の目は笑ってはいなかった。
7月を迎えて最初の週末。全国が猛暑に見舞われる中、県営富山球場での試合もうだるような暑さのなかで行われた。
今年発足した日本海オセアンリーグ。経費節減の意味もあり、公式戦は一カ所に4球団すべてが集まる「セントラル開催」で実施される。
秋吉の所属する福井ネクサスエレファンツは、首位争いのライバルである滋賀GOブラックスを伴って富山まで“遠征”に来ていた。ナイター照明のない球場とあって、第1試合の地元・富山GRNサンダーバーズと石川ミリオンスターズの一戦は午前10時の開始。ネクサスエレファンツは第2試合の登場となっていた。
「もう独立リーグには慣れた」と秋吉は言う。
昨年の一軍登板は10試合。2014年のプロ入り以来、最低の数字に終わった。
勝ち負けが付かなかったのは、試合の局面を決める場面で起用されることがなかったことを示している。ブルペンの要として78個積み上げたホールドも、71個を記録したセーブもつくことはなかった。
FAの権利を取得したものの、それを行使できるような立場でないことは自覚していた。
シーズン後、日本ハムが提示してきたのは「自由契約」。いわゆるクビだった。しかし、球団は「ノーテンダー」という美名でこの事実をオブラートに包み、再契約に含みを持たせた。
秋吉はこれまでの実績から再契約にも期待を抱いたが、日本ハムから声がかかることはなく、それどころか他球団からもオファーはなかった。
変わらぬ信念「良いときはストライクをとりにいく」
まだ33歳。辞める理由はなかった。
声を掛けてくれたネクサスエレファンツでプレーすることを決めたが、そこにはNPBとは何もかもが違う世界が広がっていた。
「そりゃ違いはありますよ。まず環境が違うし。でもそれも考えようによっては、今までが良すぎたのかもしれません。それが当たり前とは思わないで、今はやらせてもらっています。パフォーマンスを上げていく苦労もとくにないです。自分のやりたいようにやらせてもらっているんで。確かにデーゲームが多くて暑さはしんどいですけど、水分を摂るとかでなんとか体調管理しています」
ネクサスエレファンツとブラックスの試合は、暑さがピークに達した午後2時30分にスタートとなった。
猛暑の中、地元に縁のないチーム同士の試合に興味を示す者はほとんどなく、座るだけで尻が焼けるようなスタンドには20数人しかいない。セミの鳴き声だけがやたらと耳に響く空間は、秋吉が昨年までいた世界とは何もかもが違っていた。
「独立リーグですから。わかっていたことです。少なくても応援してくれるファンがいるのはありがたいです。お客さんだって、僕が良いピッチングをすれば、もっと入るかもしれないし。もともと、マウンドに上がれば、スタンドが気になるようなタイプでもありませんし」
秋吉の出番は、3-1とリードした9回表にやってきた。
地方球場独特の広いファウルゾーンにあるブルペンで、試合展開を見ながら慎重に投球練習をしていた右腕は、味方の攻撃が終わると、ゆっくりとマウンドに向かった。
3人の打者に対し、投じたのはたったの9球。ストレートの最速は140キロ。今や独立リーグレベルでも決して速い方ではない。
それでも、秋吉はこれでもかと、ひと回り年下の若い打者たちにつぎつぎとストレートを投げ込んでいった。このレベルの打者に打たれているようでは、NPBには戻れないと自分に言い聞かせるように。
そこに打者との駆け引きはなかった。秋吉は、自分の球の力を試すように、ストライクゾーンにボールをひたすら投げ込んでいた。
秋吉の意地が乗り移った球を、独立リーガーたちはなかなかフェアゾーンに打ち返すことができない。2つのアウトを簡単に取り、3人目の打者も追い込むと、最後くらいは三振を取ろうと力んだのか、ここで初めてボールがストライクゾーンから大きく外れた。それでも、次の球で狙い通り三振をとって試合を締めくくった。
「これが自分の持ち味ですから。良いときはストライクをとりにいく。NPB時代と一緒です。バッターのレベルはそりゃ全然違うんですけど」
試合後、秋吉は自らのピッチングをこう振り返った。
18試合に登板し、1勝2敗で防御率2.66。7セーブはリーグ最多だ。
その数字よりも、かたくなに自らのピッチングスタイルを守ったその姿勢が評価されたのかもしれない。
NPBの支配下登録期限である今月末を前に、ブルペンに故障者が出たソフトバンクが秋吉に白羽の矢を立てた。
「今後どうするかは、全てはシーズンが終わってからですね。野球を続けるかどうかは、その時にならないとわかりません」
こう語っていた男の前に今、重い扉が開かれようとしている。
文=阿佐智(あさ・さとし)