コラム 2022.09.20. 07:08

内海哲也に福留孝介、糸井嘉男も…引退する選手たちの記憶に残る名場面

無断転載禁止
西武・内海哲也 (C) Kyodo News

名選手が下した決断


 プロ野球・2022シーズンも大詰め。両リーグとも依然として優勝が決まらない混戦模様の中、シーズンの終わりが近づくにつれて寂しい話題も聞こえるようになってきた。

 先月の時点で引退を表明していた内海哲也(西武)に続き、福留孝介(中日)や糸井嘉男(阪神)、能見篤史(オリックス)が今季限りでの引退を決断。いずれも第一線で長く活躍してきた名選手である。




 19日のベルーナドームでは、内海の引退試合が行われた。多くのファンが左腕との別れを惜しむ中、先発した背番号27は山﨑剛を二ゴロに打ち取って最後の先発マウンドを終えた。

 今回はその内海と福留、糸井の3選手にフォーカスを当てて、今もファンの記憶に残る思い出の名場面を振り返ってみたい。


内海哲也『最多勝のタイトルを飾った“劇的な一戦”』


 巨人のエースとして一時代を築いた内海の最も印象深い場面といえば、2011年10月22日の横浜戦だ。

 この日までに自己最多の17勝を挙げ、18勝の中日・吉見一起を1差で追っていた左腕。シーズン最終戦では最多勝のタイトルをかけて、0-2の5回から3番手としてマウンドに上がった。

 「最終戦をこんな形(=タイトル絡み)にしたのは自分のせい。(先発して2失点の澤村)拓一に嫌な思いをさせたくない」と意を決した内海は、強気に内角を攻めるかと思うと、外角にチェンジアップやフォークを決め、好調だったシーズンの集大成のような気迫の投球を見せる。

 6回に先頭の下園辰哉に中前安打を許し、送りバントで一死二塁のピンチを迎えるも、筒香嘉智はニゴロ、村田修一を三ゴロで無失点に切り抜けた。

 7回一死二塁も落ち着いて後続を断つと、8回に女房役の阿部慎之助が追撃の右越えソロを放ち、これで1点差に。そして1-2の9回裏、無死満塁という絶好の場面で、逃げ切りによる首位打者獲りを狙い、スタメンを外れていた長野久義が代打で登場した。

 内海が17勝目を挙げた10月12日の阪神戦で無安打に終わった長野は、試合後にロッカールームでうなだれていた。すると、その姿を見た内海が「何気にしてんねん」と明るく励ましてくれた。それ以来、たとえ打率を落とすリスクを背負ってでも、自分のバットで内海の勝利に貢献したいという強い念を抱きつづけていた。

 そんな執念のひと振りが、山口俊の外角高め直球を右翼席中段へと運ぶ。セ・リーグでは1971年の広野功(巨人)以来、実に40年ぶりの代打逆転サヨナラ満塁本塁打。リーグ通算1000号目の満塁アーチでもあった。

 あまりにも劇的な逆転勝利の瞬間をベンチで見届けた内海は、本塁付近に広がった歓喜の輪の中に飛び込むと、長野の肩に頬を寄せるようにして抱きついた。

 「野手の方は自分のために頑張っているんでしょうけど、僕の勝利のために必死に頑張ってくれたんだと思えてしまって……」と言いながら、吉見とともに最多勝を手にした内海は何度も涙を拭った。


福留孝介『落合中日をリーグ制覇に導いた“殊勲の一打”』


 メジャー時代を含めて24年間プレーした福留は、2006年の第1回WBC準決勝・韓国戦での先制2ランなど数々の名場面があるが、同年のリーグ優勝を決めた殊勲の一打も忘れられない。

 10月9日、2年ぶりの優勝までマジック1で迎えた巨人戦は、3-3のまま両チーム譲らず、延長戦に突入した。

 12回、中日は3安打で一死満塁のチャンスをつくり、3番・福留に打順が回ってきた。

 「点を取らなきゃ優勝はない。その中で皆がつないでくれた。後ろにタイロン(ウッズ)がいるけど、おいしいところは絶対に渡さないぞ」と闘志をMAXまで奮い立たせた福留は、巨人の守護神・高橋尚成から見事中前に決勝適時打。奇しくもこれがシーズン100打点目となり、目標だった3割・30本塁打・100打点を実現した。

 一塁ベースを回ったところで足を止めた福留は、右腕を何度も振り下ろし、喜びを爆発させた。そして、この一打が4番・ウッズの満塁本塁打も呼び込み、「絶対泣くまいと思っていた」落合博満監督を感泣させた。

 2年前の優勝時は、シーズン終盤に死球で左手人差し指を骨折。大事な時期に離脱し、日本シリーズにも出られなかった。

 そんな悔しい過去もあって、「最後までグラウンドに立てたことが本当にうれしい。明日からまた気持ちを切り替えて、次の目標に向かって頑張りたい」と誓いを新たにしていた。


糸井嘉男『忘れがたき33年ぶりの盗塁記録』


 もともとは本格派右腕と期待され、2004年に自由枠で日本ハムに入団した糸井だったが、制球難をなかなか克服できず。

 2年間一軍登板がないまま、3年目に野手転向。大村巌専属コーチとのマンツーマンの猛特訓を経て、2009年からレギュラーに定着すると、オリックス時代の2014年に首位打者を獲得。NPB史上初の6年連続3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞受賞を実現するなど、稀代の5ツールプレイヤーとして長く活躍した。

 そんな数々の快記録の中でも特筆に値するのが、35歳になった2016年に自己最多の53盗塁で初の盗塁王に輝いたことだ。

 前年に足を痛めて11盗塁に終わり、7年連続の20盗塁に届かなかった糸井は、春季キャンプのときから「50回は走りたい」と大きな目標を掲げ、開幕から走りまくった。

 そして、9月6日のソフトバンク戦。この日まで49盗塁を記録していた糸井は、1-0の7回一死二塁、左前安打で出塁すると、次打者・安達了一のとき、捕手・鶴岡慎也が三塁走者を警戒して投げられない隙をついて、悠々と二盗に成功。この瞬間、35歳以上では1983年の阪急・福本豊以来、33年ぶりのシーズン50盗塁が達成された。

 「大台なの?目標達成したんで、ここから一切走りません」と“宇宙人”の異名にふさわしく冗談めかした糸井だったが、シーズン終了までの間に3度も盗塁を成功させている。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
ポスト シェア 送る

もっと読む

  • ALL
  • De
  • 西