コラム 2022.10.17. 06:29

“分裂”から1年…「独立リーグ再編」震源地の今

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オセアンリーグで唯一の話題は秋吉亮のNPB復帰だった [写真=阿佐智]

日本独立リーグ考~第4回:日本海オセアンリーグ


 アメリカ独立リーグの歴史が大きく動いたのは、1999年のことだった。

 1993年にリーグ戦を始めた最古参のノーザンリーグと、北米大陸北東部に展開される後発のノースイーストリーグが合併したのだ。




 設立以来「独立リーグ最強」の名をほしいままにしてきたノーザンリーグだったが、1998年にニューヨーク周辺に基盤を置くアトランティックリーグが誕生。

 メジャー球団がひしめく「レッドオーシャン(=競争が過熱した市場)」の中で、人気・実力ともNo.1へのし上がっていく中、その新興リーグと商圏がかぶるリーグと、追い上げにあう老舗リーグが「大同団結」したかたちだった。

 米加国境に渡り、西はノースダコタ州から東はペンシルバニア州まで約2000キロの広範囲に14球団が展開される「大ノーザンリーグ」は、「独立リーグの時代」を予感させた。


 しかし、この巨大独立リーグは長くは続かなかった。

 そもそも合併後も、リーグ戦は旧リーグのフォーマットのまま別々に実施。両「地区」間の交流は、各々の優勝チームによるチャンピオンシップとどまった。結局のところ、独立リーグの財政規模では、遠距離の移動は現実的ではなかったのだ。

 「大ノーザンリーグ」は結局4シーズンで分裂。元のかたちに戻ったノーザンリーグは、2005年シーズンを前に創始者が離脱し、いくつかの球団を率いて新リーグのアメリカンアソシエーションを打ち立てたことにより、急速に勢いを失っていった。

 同時にノースイーストリーグはその名をカナディアン・アメリカン・アソシエーション(カンナムリーグ)と改称。新リーグを発足させたノーザンリーグ創始者の下、エリアの重なるアトランティックリーグの下位リーグとして生き残りを図ることになった。

 2011年、ノーザンリーグは経営難に苦しむテキサス周辺に展開されていたユナイテッドリーグと、アリゾナ・カリフォルニアを商圏とするゴールデンリーグと合併。

 ノースアメリカンリーグとして再び大同団結の道を選んだが、この時人気チームのほとんどは、アメリカンアソシエーションに移籍してしまう。

 「負け組」の寄せ集めとなった広域リーグはたった2シーズンでその歴史に幕を閉じた。

 カンナムリーグの方も、何度かの消滅の噂がありながらもなんとか存続していたものの、2019年シーズンを最後にノーザンリーグと並ぶ古参リーグであるフロンティアリーグに吸収されるかたちで消滅した。

 翌2020年シーズン後、メジャーリーグ機構は、傘下のマイナーリーグを縮小する方針を発表。その一方で、アトランティック、フロンティア、アメリカンアソシエーションの「3大独立リーグ」をその代替の育成機関とすべく、「MLBパートナーリーグ」として運営協力を行うこととした。


日本独立リーグの「拡大路線」


 日本の野球界が歩むのは、アメリカ野球の「いつか来た道」である。

 アメリカに遅れること12年。2005年に四国アイランドリーグによって始まった日本の独立リーグの歴史は、2007年に北信越ベースボールチャレンジリーグ(BCリーグ)の発足により、急速に「拡大路線」へと向かった。

 BCリーグは他のリーグが興亡を繰り返す中で球団数拡張を推し進め、2020年には近畿(滋賀県)から東北(福島県)まで東西約600キロにわたって12球団が展開する日本最大の独立リーグとなった。

 これを「理念なき拡大」と揶揄した他の独立リーグ関係者もいた。選手層の点でアメリカにかなわない日本で、これだけ「プロ」を名乗る独立リーグ球団が増えてプレーの質が担保されるのかという声もあった。

 一番危惧されたのは、やはり運営面。独立リーグの財政規模では、宿泊をともなう遠距離の移動は足枷になるのではないかという声が出るのはある意味必然であった。

 リーグは最終的には全12球団を3地区に振り分け、交流戦を含むリーグ戦ののち、ワイルドカード(各地区勝率2位のうち最高勝率チーム)を含む4チームによるポストシーズンでリーグチャンピオンを決めるというフォーマットを採用した。

 しかし、これは1シーズンしか適用されることはなかった。2021年のポストシーズンを前にして、西地区4球団が「独立宣言」を発したのだ。


 ある意味、日本最大の独立リーグの「分裂」は当然の帰結だったと言える。球団数の急激な拡大は、様々な軋みを生んでいた。

 BCリーグ西地区「独立」を先導したのは、BCリーグ最西端に位置する滋賀球団のオーナー・黒田翔一であった。

 黒田はBCリーグがその重心を関東圏に移していったこと、無報酬の「B契約」を導入し、選手にシーズン中の兼業を認めたことを挙げ、このリーグが地域密着型の小規模プロリーグとしての独立リーグの理想とは離れていったとして、リーグ発足時の「オリジナル4」の2球団である石川と富山を誘って新リーグを結成することを決めた。


 滋賀球団はBCリーグの拡大路線の中、2017年に「滋賀ユナイテッド」として参入した球団である。

 BCリーグ当局は、新球団参入に当たっては十分な審査を行っているとするが、この球団の歴史を見る限り、拡大路線はいささか拙速であったと言わざるを得ない。

 ほとんど裸一貫の山師と言っていい男の創ったこの球団は資本的なバックボーンをもたず、ゆえにプレー環境も最悪と言ってよかった。選手の間では他球団への移籍は「栄転」とされ、指導者も毎年のように変わった。

 旧球団のホームページで、某有名サッカー選手とスポーツビジネス語る創設者は、そもそも軟式野球出身でしかなかったのだが、五輪出場経験もある社会人野球強豪チームの監督の話になると、「ああ、あの人とも対戦したなあ」と平気で豪語するような男だった。

 某有名選手との対談は、それをアレンジする業者に発注してしつらえたいう自己肥大が行き過ぎたこの男の先にあったものは、球団の財政破綻と、運営費の持ち逃げであった。


 この瀕死の球団を救ったのが、高校球児でもあった若き建設会社経営者の黒田であった。

 スポンサーとして滋賀球団にかかわった黒田は、旧経営者にお引き取り願い、自ら球団を運営することを決意。メイン事業の本拠である関東から滋賀に居を移し、低迷を続けていたチームをリーグチャンピオンシップまで導いた。

 「独立」の契機となったのは、コロナ禍であった。

 BCリーグは2020年シーズンを迎えるに当たり、12球団を3地区に分け、地区をまたいだ試合を廃止。さらに地区4球団も近隣の2チーム同士の対戦を多く設定するなど、極力移動を減らすフォーマットを採用した。

 翌2021年は他地区との試合が復活した「ニューノーマル」なフォーマットとなったものの、西地区だけは他地区との交流戦が設定されていなかった。この時点で、BCリーグ西地区と中、東地区との分断は決定的になったと言っていい。

 さらに言えば、滋賀球団と同時期にリーグに加盟した栃木ゴールデンブレーブスが、元侍ジャパンの大物選手を入団させ、人気・実力とも独立リーグトップクラスの球団にのし上がっていくにつれ、リーグの重心は北信越から関東に移っていった。

 「西」の孤立は、地区間交流戦に留まらなかった。

 ドラフト指名を目指す独立リーガーたちにとって、NPB球団との交流戦は「晴れ舞台」である。2021年シーズン、BCリーグは巨人三軍との交流戦をスケジューリングしていたのだが、この「晴れ舞台」は、西地区球団には用意されていなかった。

 事実上の「隔離状態」に、西地区の3球団は動いた。

 滋賀球団の親会社である中堅ゼネコン・オセアンは、横浜DeNAベイスターズの本拠・横浜スタジアムの改築をきっかけに、滋賀球団の保有以降、チームの本拠・彦根球場や、オリックス・バファローズのファーム球場のネーミングライツを買い取るなど、野球界とのかかわりを強めてきたのだが、ここで自ら独立リーグを立ち上げることを決心。これに古参チームの石川球団と富山球団が応じた。


 新リーグ発足発表時、福井球団のみが檀上に姿を現さなかったのは、この球団・ワイルドラプターズが、経営破綻した前身球団の後継としてBCリーグ側がスタッフを送り込んで立ち上げたチームであったことと無関係ではあるまい。

 発足当初から資金繰りに苦しむこのチームを救済するため、BCリーグは「セミプロ化」に踏み切り、無報酬契約と選手の兼業を認めたのだ。

 この新制度を利用したのは福井球団だった。ここでは半数ほどの選手は無報酬でプレーし、球団があっせんしたアルバイトをこなして生活の糧を得ていた。


 新リーグ・日本海オセアンリーグは、福井に「新球団」を立ち上げ、4球団でスタートした。

 「新リーグは育成リーグとしての独立リーグの役割を全うすべく、ドラフト指名を目指す若手選手でチームを構成し、人数を絞る代わりに十分な報酬を選手に約束する」というリーグCEOに就任した黒田の言葉からは、BCリーグへの対抗意識が垣間見えた。


「地域密着の育成リーグ」の成果は…


 7月。新生・日本海オセアンリーグを富山に訪ねた。地元・富山サンダーバーズの大勝にもかかわらず、県営球場のスタンドは閑散としていた。

 土曜のデーゲームとは言え、試合開始は午前10時。オセアンリーグは経費が入場料収入を上回っている独立リーグの現状を前に、4球団全てを1か所に集め、変則ダブルヘッダーを行う「セントラル開催」を基本とした。そのため、ナイター設備のない球場での第1試合開始時刻は午前中となってしまうのだ。

 路面電車が通じる交通至便なこの球場のスタンドは、新リーグの集客力がBCリーグ時代以上に芳しくないことをほのめかせた。

 夏の陽が頂点に達した後に始まった第2試合のスタンドはほとんど無人と言ってよかった。地元チームの出ない灼熱の中での試合に足を運ぶほどの野球好きはここにはいない。地元野球ファンの目は、すでに高校野球に向いていた。





 あくまで育成リーグというポリシーを守るオセアンリーグには、NPB経験者は2名しかいなかった。外国人選手もシーズン開幕を前にリーグを去っていた。

 若手中心のリーグのレベルのほどは、2試合だけでは測ることは難しかったが、選手はわかっていた。経験の浅い選手中心のリーグのレベルは、旧リーグ時代より劣ることを。

 BCリーグ中・東地区でのプレー経験のある選手はこう言った。

 「BCリーグよりかなりレベルは落ちますね。それはもう去年からのことです。やっぱり、中地区や東地区には、独立リーグで何年もプレーしているベテランや元NPBの選手、それにアメリカでかなり高いレベルでプレーしていた外国人選手がいましたから。昨年のプレーオフでは滋賀が健闘しましたが、あれは短期決戦ですから。実際の実力は、かなり差がありましたよ」

 この言葉が正しいかどうかは、他リーグと雌雄を決する「独立リーググランドチャンピオンシップ」で戦えばわかるのだが、オセアンリーグはその舞台に立つことはなかった。

 この大会を主催する、四国アイランドリーグplusとBCリーグが2014年に立ち上げた「日本独立リーグ野球機構(IPBL)」に加盟していないからだ。


 リーグ分裂が決定的になった時点ですでに、オセアン側は加盟の意志を表明。BC側もそれを受け入れる旨表明していた。

 しかし、蓋を開けてみると、オセアンリーグの加盟は認められることはなかった。BCリーグ側に問い合わせると、加盟承認の過程については「非公開」とするだけでなく、そもそものオセアンリーグからの申請があったかどうかも明かすことはなかった。

 黒田は今年1月末に加盟申請完了の旨をSNSで発表したが、その後それを消している。しかし、申請をしたことは確かであることは、リーグ関係者が証言している。

 申請却下の理由はオセアン側にも知らされていないようで、少なくともオセアン側は「分裂」の際の遺恨があるのではないかと考えている。

 IPBLに加盟するメリットはチャンピオンシップにとどまらない。加盟球団は大学との交流戦が可能だ。選手にとっては、独立リーグ「卒業後」の進路が大きく変わってくる。

 IPBL加入リーグの選手には社会人野球クラブチーム加入の制限はないが、未加入のリーグの選手は1年間は選手登録できない。また引退後、高校大学の指導者になるための「学生野球資格回復講習会」をNPB引退者とともに受講することができる。

 新リーグ立ち上げに参加した滋賀・富山・石川の3球団は、昨年までもっていたこれらの権利を失ってしまったのだ。

 地域密着の育成リーグという独立リーグのあるべき姿にこだわった日本海オセアンリーグという実験の成果は、20日に行われるドラフト会議で試される。


文=阿佐智(あさ・さとし)


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