ドラフト時の評価を覆した男たち
いよいよ本日、夕方から開催される『プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD』。
今年は前日の段階で12球団中9球団が1位指名選手を公表、それも被りがないという点でも大きな話題を呼んでいる。
当然ながら“ドラフト1位”の選手が最も脚光を浴びるのは間違いないが、過去にはドラフト時の低評価を覆してレギュラー争いを勝ち抜き、タイトルホルダーへとのし上がって行った選手も少なくない。
今回はそんな“大出世”を遂げた男たちを取り上げたい。
「整理対象選手」から新人王へ
まずは「10位指名」からのし上がり、4年目に新人王を獲得した巨人・関本四十四から。
父親が44歳のときに生まれたことから「四十四(しとし)」と命名された男は、1967年の第3回ドラフトで巨人に10位指名される。指名されたのは15人で、1位は翌年の新人王・高田繁だった。
新潟県の糸魚川商工(現・糸魚川白嶺)時代、近所の高校生と川原で石をどれだけ遠くに投げられるか競争し、距離はもとよりスピードや命中率でもいつも圧勝していた関本は「これだけのスピードとコントロールがあれば、プロ野球でも使える肩だ」と自信満々だったという。
だが、いざ巨人に入団し、主力投手だった堀内恒夫や高橋一三の速球を目の当たりにすると、「とんでもない世界に来てしまった……」と大きなショックを受けた。
毎年のように「整理対象選手」に挙げられ、いつ戦力外を告げられてもおかしくなかったが、3年目の夏に不祥事で2カ月の謹慎処分を受け、二軍に配置転換された藤田元司コーチの指導を受けたことが、大きな転機となる。
藤田コーチにスパルタ式練習で鍛えられ、プロとしての心構えを徹底的に植えつけられた関本は、翌71年の開幕2戦目でうれしい一軍初勝利を実現。同年は10勝11敗、防御率2.14で巨人のV7に貢献するとともに、新人王にも輝いた。
先輩の堀内や高田から「入団4年目の新人王なんて“王”じゃなくて“新人賞”だ」と冷やかされると、「見返してやる」と一念発起。74年には最優秀防御率(2.28)のタイトルも獲得した。
なお、その翌年には1年間だけ名前と同じ「背番号44」を着け、入団時の父の願いを叶えることにも成功した。
ドラフト10位がヤクルトの「必殺仕事人」に
ヤクルトの主砲として通算224本塁打を記録した杉浦享も、70年のドラフト10位入団だった。
愛知高時代は投手だったが、長打力を買われて打者転向。翌71年シーズン途中から一軍打撃コーチに就任した荒川博(後に監督)との出会いが、大打者への道を切り開く。
合気道を採り入れた荒川コーチの指導は、複雑かつ高度でほとんどの若手選手がついていけなかったが、杉浦だけはよく理解し、一軍で活躍するために何が足りなかったかを掴めたという。
当時のヤクルトのスカウトである片岡宏雄氏は、自著「スカウト物語」(健康ジャーナル社)の中で、「荒川監督に学ぶようになってから、ボールとバットを当てる間合いというか、呼吸のようなものを掴んだのだと思う。それが杉浦のパワーと融合し、杉浦のバッティングを変えた」と分析している。
苦節8年目でレギュラー獲りをはたした杉浦は、荒川監督から教わった前傾姿勢を基本に、年々自分に最も合った打法を追求しつづけ、80年と85年にベストナイン、87年にカムバック賞を受賞。
ヤクルトが誇る“必殺仕事人”として、23年間の現役生活をまっとうした。
“野村再生工場”の最高傑作
指名された92選手の最後に名前を呼ばれたテスト生が、移籍先でエースになるという“ドラフト大化け伝説”の主人公となったのが、91年のダイエー10位・田畑一也だ。
高岡第一エース時代は3年夏に県大会4強、社会人の北陸銀行でも野球を続けた田畑だったが、3年目の秋に右肘を痛めて退職。一度は野球をあきらめた。
ところが、実家の建設会社で大工として働きながら、趣味で始めた草野球でノーヒットノーランを何度も記録するうち、再び「本格的に野球をやりたい」の思いが高まり、ドラフト直前の11月にダイエーの入団テストを受け、見事に合格した。
本来なら、同年に最後のドラフト司会を務めた伊東一雄パ・リーグ広報部長から「元北陸銀行」、または「高岡第一卒」と読み上げられるところだが、「実家の両親を喜ばせてあげよう」というスカウトの厚意により、「田畑建工」に。現役バリバリの大工さんの指名と話題になった。
「誰からも立派なプロと言われるように頑張りたい」と誓ったドラフト10位の男は、ダイエー時代は通算2勝に終わったものの、ヤクルト移籍1年目の96年に12勝をマーク。
翌97年には自己最多の15勝を挙げて、“野村再生工場”の最高傑作と呼ばれた。
2000年以降でも、01年のオリックス10位・後藤光尊(川崎製鉄千葉)は11年に打率.312をマークし、「全打順本塁打」を記録。息の長い選手として活躍した。また、15年のオリックス10位・杉本裕太郎(JR西日本)も、昨年は32本塁打を放ち、本塁打王に輝いている。
プロ入り時の注目度に差はあっても、キャリアのスタートは横一線。ドラフト会議は最後の最後まで目が離せない。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)