今年も熱戦の連続だった日本シリーズ
2年連続でヤクルトとオリックスが激突した日本シリーズが10月30日に閉幕。
昨年に続いての大熱戦の末、今年はオリックスが4勝2敗1分でシリーズを制覇。26年ぶりの日本一に輝いた。
頂上決戦にふさわしく、野球の魅力の詰まった激闘の連続。しかし、過去には“グラウンド外”のバトルが取りざたされる場外乱闘もあった。
試合中に突然始まった口喧嘩や、シリーズの流れまで変えてしまった試合後の発言などなど……。今なおファンの記憶に残る舌戦の数々を振り返ってみたい。
「巨人はこんなものかと思った」
「巨人はロッテより弱い」──。この“発言”がシリーズの流れを変えたといわれるのが、1989年の巨人-近鉄だ。
第1戦、第2戦と連勝した近鉄は、第3戦も加藤哲郎が巨人打線を7回途中まで3安打無失点に抑え、3-0で完封勝ち。日本一に王手をかけた。だが、冒頭の発言報道が、崖っぷちの巨人ナインを「なにくそ!」と奮い立たせる。
発言したのは、この日勝利のヒーロー・加藤とされているが、実は加藤は「ロッテより弱い」とは一言も口にしていない。
実際の発言は「とりあえず四球だけ出さなかったらね。まあ、打たれそうな気がしなかったんで。ええ、たいしたことなかったですね。シーズンのほうがよっぽどしんどかったですから。相手も強いし」。巨人が同年のパ・リーグ最下位・ロッテより弱いとは言っていない。
それでも、エース・阿波野秀幸は帰りのバスの中で加藤のテレビインタビューを見て、「もうやめとけ」と思ったそうだが、翌日の新聞では、加藤以外にも「(第5戦までに日本一が決まって)藤井寺で胴上げやれないかも」「(巨人は)こんなものかと思った」といった近鉄ナインの浮かれ気味のコメントが報じられたのも事実だった。
一方、「これで怒らなきゃ嘘だぞ!」(近藤昭仁ヘッドコーチ)の檄を受け、怒りをパワーに変えた巨人ナインは、第4戦から3連勝と大逆襲に転じる。
そして、3勝3敗で迎えた第7戦。巨人は2回に駒田徳広が因縁の加藤から右翼席上段に先制ソロ。打った瞬間、両手をVの字に広げた駒田は、マウンドの加藤に向かって「バーカ!」と叫んだ。
ちなみに、これは加藤に対する怒りからではなく、「プロ野球はこれぐらい面白くていいんだ」というショーマンシップ的要素もあったという。
3連敗から4連勝のミラクルV。日本一を決める一発のみならず、打率.522でシリーズMVPに輝いた駒田は「一番いいとこ頂いて、みんなに申し訳ないなあ」と照れることしきりだった。
巨人と西武の“死球騒動”
死球を与えた直後、余計な一言を口にして、あわや乱闘寸前の騒動を引き起こしたのが巨人のセス・グライシンガーだ。
2008年、2勝1敗で迎えた西武とのシリーズ第4戦。0-1とリードされた4回、グライシンガーは先頭の中島裕之(現在の登録名・中島宏之)の左肘にぶつけてしまう。
肘当てを着けていたので大事に至らなかったが、第1戦でも上原浩治から死球を受けていた中島は、怒りをあらわにしてグライシンガーを睨みつけた。
すると、「肘を出して(故意に)当たりに来た」と思ったグライシンガーも「望みどおり一塁に行けるのに、何で睨むのか?」と英語で文句を言いながら、中島のほうへ歩み寄っていく。
これが中島の怒りに火を注ぐ。「何か言ってきたんで、『ハアーッ』という感じで見たら、近寄ってきたので、カーッとなった」。
中島も何事か言い返しながら距離を詰め、一触即発状態になったが、捕手の鶴岡一成と西武のヒラム・ボカチカが間に入り、両者を引き離した。
お互い興奮冷めやらぬ状態で試合再開となったが、この場合、投手のほうが当然影響は大きい。
平常心を失ったグライシンガーは、次打者・中村剛也に左翼ポールの遥か上を通過する痛恨の2ランを被弾。6回にも中村に2打席連続の2ランを浴び、5失点でKOされてしまった。
2勝2敗のタイとした西武が4勝3敗で4年ぶりの日本一になったことを考えると、シリーズの流れを変えた“死球騒動”と言えるかもしれない。
田中将大が「うるさいわ、ボケ!」と反撃
最後は2013年の楽天-巨人。第6戦で起きた舌戦を紹介する。
3勝2敗と球団初の日本一に王手をかけた楽天は、シーズンで無傷の24連勝を記録した田中将大が先発。4回まで2-0と優勢に試合を進める。
ところが5回、田中は一死二塁で、ホセ・ロペスに同点2ランを浴びてしまう。さらに直後、思わぬハプニングが起きる。ロペスはこれ見よがしのガッツポーズで田中を挑発したばかりでなく、一塁ベースを回る際にも田中に何事か悪態をついた。
しつこく悪口を言いつづけるロペスに、田中も怒りの表情で「うるさいわ、ボケ!」と言い返したが、この舌戦で冷静さを失ったのか、直後に四球を挟んで3連打を浴び、逆転負けを喫した。
なぜ、ロペスは田中を挑発したのか……。実は、第2戦の6回二死満塁の場面で、ロペスは田中の152キロ内角直球で空振り三振に倒れている。打ち取られたあと、右拳を突き上げて咆哮する田中のパフォーマンスを見て、「侮辱された」と感じたのだ。
以来、「チャンスがあったら、やり返そう」と思いつづけ、同点弾の直後にリベンジをはたしたという次第。後日、真相を知った田中は「そもそも、あいつに対してやってないですよ。人に言うなら自分がやるなよって話」と反論したが、同年オフ、日本一を手土産にヤンキースに移籍した結果、因縁対決も封印されることになった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)