野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史~第17回:プロ野球JAPAN2001
「『ウイイレ』は男同士で勝ち負けをハッキリさせるためのツールになってる。昔は『ファミスタ』がその役目を果たしてたけど、最近は『ウイイレ』なんだよ」
2000年代前半にゲーム雑誌『CONTINUE』内で、元野球部員のピエール瀧はこんな言葉を残している。
2001年1月31日、セガのドリームキャスト生産中止及びハード事業撤退が正式発表され、日本国内の次世代ゲーム機戦争は事実上、プレイステーション2の一強時代へと突入した。
同年に年間228タイトルも発売したプレステ2では、コナミから『ワールドサッカー ウイニングイレブン5』や『実況Jリーグ パーフェクトストライカー』といったサッカーゲームが数多くリリースされ、翌年に迫った日韓ワールドカップ熱を盛り上げた。
同じ頃、DVD再生機能付きのプレステ2の普及により、レンタルビデオ店の大人向けコーナーでもVHSからDVDソフトが急激に増え出し、全然関係ないけど『週刊プレイボーイ』新年特大号の表紙を優香が飾った21世紀初頭のリアル。野球ゲームもプレステ2の高性能を生かした『劇空間プロ野球 AT THE END OF THE CENTURY 1999』(スクウェア)に代表される、選手や球場の細部まで描写した“リアル系野球ゲーム戦国時代”へと突入していく。
コナミが手がけた“リアル系野球ゲーム”
サッカーのウイイレブームとは対照的に、その流れにひと足遅れをとったコナミだったが、満を持して2001年11月8日発売の『プロ野球JAPAN2001』で参戦する。
パッケージ表面には誇らしげに「日本野球機構公認」の文字と、12球団から各1名ずつ計12名のスター選手たちの写真を使用。裏面には「これが究極のNo.1リアルプロ野球!!」や「日本のプロ野球の全てを完全再現!そのリアルグラフィックを思い通りに動かせる操作機能が圧巻!」といった文言とともに、こんな一文も赤字で推されている。
制作スタッフは、あの「実況パワフルプロ野球」シリーズのダイヤモンドヘッドプロダクションが担当!
そう、みんな大好き、パワプロのリアル版を作りましたというわけである。
ちなみに、NINTENDO64ソフトの『実況パワフルプロ野球2000』の箱裏面では、「20世紀のNO.1プロ野球ゲーム!!」なんてデカデカと爆勝宣言。NPBの肖像権を独占取得したコナミは野球ゲーム界のジャイアント馬場として“王道”を掲げ、一時代を築いた。
『プロ野球JAPAN2001』をプレーしてみると、さすがパワプロのダイヤモンドヘッドプロダクション制作。確かに1作目からゲーム性は安定している。
01年最新選手データなので、アレックス・カブレラ(西武)やアレックス・ラミレス(ヤクルト)といった新外国人勢もしっかり登場。日本テレビ協力で実況に河村亮アナウンサー、解説は堀内恒夫や中畑清が担当。ナイター中継風に「TV中継カメラ」視点のリプレイ映像も確認できる(「さきほどのホームランをもう一度確認しましょう」的なシーンにあわせた実況のアシスト付き)。
メニュー選択画面のBGMは、時代を感じるザ・マッド・カプセル・マーケッツ風。対戦もパワプロをプレーしたことがある人ならば操作面も戸惑うことなく、初心者同士でもそれなりに楽しめる。
「パワーヒッター」や「威圧感」といったパワプロお馴染みの能力はそのままに、守備や走塁面もバランス良好。ホームランや試合中の演出面が全体的に地味だが、間違ってもクソゲーではない……んだけど、正直なところ『プロ野球JAPAN2001』のグラフィックは初代プレステよりちょい上レベルで、約1年前に発売されていた『劇空間プロ野球』には遠く及ばず、操作面でも後発のリアル系野球ゲーム『熱チュー!プロ野球2002』(ナムコ)ほどの独自性はなかった。
皮肉にも、のちの『プロスピ』シリーズへ繋がる第一歩は、パワプロ路線を踏襲しようとするあまり、なんかどこかでやったことあるこの感じ……的なオリジナリティの薄い野球ゲームになってしまったのである。
「プロ野球記録集」がスゴい
しかし、どの方向にリアルさを求めるか、まだ制作側も手探り状態だった2001年。このゲームには他にはない隠れたウリがあった。前年の00年から01年度前半戦の「プロ野球記録集」が閲覧できるのだ。しかも、これが異様なほど細かい数字まで網羅している驚異のデータ充実度なのである。
例えば、月間MVPは「2000年8月セ・リーグ野手部門 高橋由伸(巨人)打率.340 10本塁打 20打点。投手部門 三浦大輔(横浜)4勝1敗 防御率2.77」といったように部門別成績までカバー。
さらに、「00年の古田敦也(ヤクルト)は12球団ぶっちぎりトップの盗塁阻止率.630」といったポジション別守備成績も閲覧可能だ。
個人プレーヤーが調べたければ、とことん掘り下げられる。ゲーム発売前年オフにポスティングでメジャー移籍したイチロー(オリックス)の日本ラストイヤー、2000年度打撃成績がどれだけ凄かったのか確認してみよう。
打率.387で7年連続の首位打者に輝いた背番号51だが、得点圏打率.393、対右打率.374、対左打率.415とどんなシチュエーションでもハイアベレージを残している。
盗塁は22回企画して21回成功。敬遠数16は2位のトニー・フェルナンデス(西武/9個)に大差をつけてのトップ独走だ。年間三振数はわずか36で三振率.091。8月に右腹斜筋挫傷で離脱するも、73打点は谷佳知と並んでチーム1位である。
OPS.999は日米を通してキャリアハイ。当時26歳から27歳になるイチローは、まさにバットマンとして全盛期を迎えていたことがよく分かる。
さらにこの記録集には12球団チーム別の全試合スコアテーブルデータも収録されており、背番号51が日本最後の満塁本塁打を放った00年8月5日の西武戦スコアを確認すると、この試合は「4番・右翼」としてスタメン出場している。
そう、完全に記憶から抜け落ちていたが、仰木監督のもと日本ラストイヤーのイチローは4番を打っていたのである。
そして、「凄い、マジで凄いよイチロー」とほとんど感動しながら、ゲームモードでオリックスを選択してイチローを使おうと思ったら、すでにメジャー移籍後でどこにもいない……これイチローじゃなくビティエロだよっ!なんつって当時の野球ゲームを通して、2001年NPBのイチロー不在を思い出すわけだ。
ちなみに、この原稿を書くため20年近く振りに『プロ野球JAPAN2001』のケースを開けると、説明書の収納スペースに野球チケットが挟まっていた。
20年前の自分はなぜこれを保存しようと思ったのだろうか?と思いながら日付を確認すると、「2001年9月26日、大阪ドームの大阪近鉄vsオリックス」。01年9月26日大阪ドーム……って、忘れもしない北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打の試合だ。
三塁側15通路1列103番のスペシャルAシート、2650円。異様に安いのは、当時バファローズの試合は大阪市内の金券ショップで近鉄株主優待券を数百円で買うと、近鉄主催試合チケットもほぼ半額で購入できたからだ。
そういえば、このゲームでよく対戦したマーくん元気かな。マクドナルドの65円ハンバーガー大量に買い込んで部屋に集まってさあ……なんてそれらを手に取ると、徐々に甦ってくる当時の記憶。
クローゼットの奥底に眠るレトロ野球ゲームは、まさに時を超えたベースボール・タイムカプセルなのである。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)