移籍をキッカケに開花した男たち
12月9日に開催されたプロ野球の『現役ドラフト』。
出場機会に恵まれない選手の救済と移籍の活性化を目的として今年からはじまった新制度で、初年度は12名が移籍。新天地での活躍に期待がかかる。
過去にも入団から二軍暮らしが続き、「このまま終わってしまうのか…?」と思われていた選手が、他球団の移籍を気に大ブレイクを果たしたという例もある。
今回はそんな“男性版シンデレラストーリー”を振り返ってみたい。
野球人生を変えた『無償トレード』
巨人時代は在籍4年間で一軍登板ゼロだったのに、5年目のシーズン途中にダイエーに移籍すると、一転して表舞台に躍り出たのが本原正治だ。
1986年にドラフト4位で巨人に入団した本原は、1988年にイースタンで7勝を挙げたが、一軍は同期の桑田真澄をはじめ投手陣が充実しており、出番なし。翌年も二軍で敗戦処理を中心に8試合登板にとどまり、1勝1敗・防御率7.15で終わった。
「たぶん、あのまま巨人にいたら、一度も浮かび上がることもできず、今年あたりでクビだったでしょうね」と本人も覚悟していた矢先の1990年6月、投手陣の駒不足に悩むダイエー・田淵幸一監督の要望により、無償トレードが成立。そして、このパ・リーグへの移籍が野球人生を大きく変えた。
チーム防御率5.92の「投壊現象」で苦境に陥った田淵監督は、8月2日の西武戦で、4日前に一軍登録されたばかりで、1試合リリーフで投げただけという本原を「心中覚悟」で先発させた。
「勝つとか負けるとか考えず、落ち着いて1回ずつ丁寧に投げるだけ」と自らに言い聞かせてマウンドに上がった本原は、無欲の投球が吉と出て、8回を7安打4奪三振の3失点に抑える。
3-3で迎えた7回一死一・二塁のピンチでは、清原和博を二ゴロ併殺に打ち取り、その裏に藤本博史が値千金の決勝適時打。最終回をこれまた7月に緊急獲得したばかりのリッチ・ゴセージが無失点で締め、見事プロ初先発で初勝利を手にした。
「プロとしての記録が残る今日が、投手・本原の始まりです」の言葉どおり、同年は5勝中3勝を西武から挙げるなど、“西武キラー”となり、翌年はオールスターにも出場した。
「人生をかけるつもりで……」
ソフトバンク時代は3年間育成選手だったが、支配下登録の夢をあきらめず、4年目に移籍先で花開いたのが亀澤恭平だ。
四国アイランドリーグplus・香川から2012年に育成2位でソフトバンク入りした亀澤は、3年目の2014年にウエスタンで初めて規定打席に到達。リーグ10位の打率.279で2本塁打、13盗塁を記録したが、一軍の壁は厚く、支配下をかち取ることができなかった。
球団側は翌年も育成選手として再契約する意向だったが、中日からもオファーがあったことから、亀澤は新天地での飛躍を決意。秋季キャンプでのテストを経て、11月18日に支配下選手として入団が決まった。
翌春のオープン戦では、3月11日のロッテ戦でスタメン出場するなど、走攻守3拍子揃ったバイプレイヤーとしてアピール。「ホークス時代に味わえなかった」開幕一軍切符を掴んだ。
そして、開幕3戦目。3月29日の阪神戦、亀澤は左ふくらはぎの違和感を訴えた荒木雅博に代わって「2番・二塁」で一軍デビュー。
「僕が打たないと、(二軍に)落ちる。今日は人生をかけるつもりでいきました」という必死の気持ちが1回一死、プロ初安打となる左前安打を生み出す。
さらに5回・7回・9回にも安打を記録し、5打数4安打の大当たり。初回の守備では、鳥谷敬の外野へ抜けようかというゴロをスライディングしながら好捕する執念も見せた。
「この運を味方に頑張ります」と誓いを新たにした亀沢は同年、全試合で出場選手登録され、107試合に出場。331打数89安打、12打点の打率.269とレギュラーに匹敵する結果を出し、盗塁も9度成功させた。
オフの契約更改では、年俸440万円から2000万円(推定)に大幅アップ。その後も2018年にキャリアハイの110試合出場をはたすなど、貴重な戦力としてチームに貢献した。
中日の二軍から近鉄優勝の立役者へ
二軍で埋もれていた選手の中には、外国人枠からはみ出た助っ人もいる。
中日の二軍から緊急トレードで近鉄移籍後、ホームランバッターとして覚醒し、“球団史上最強の助っ人”と呼ばれたのがラルフ・ブライアントだ。
1988年の開幕直後、チーム打率.193と貧打にあえいでいた中日は、打線のテコ入れのため、郭源治とゲーリー・レーシッチに次ぐ第3の外国人として、ドジャース傘下の3A・アルバカーキでプレーしていたブライアントを入団させた。
ブライアントは来日後、ウエスタンで26試合に出場したが、6本塁打を記録する一方、三振も24と多く、粗削りな打撃は一軍で通用しそうになかった。本人も「毎日練習ばかり。人生最悪の1カ月半だったよ」とやる気をなくしかけていた。
そんな矢先の6月7日、近鉄の主砲だったリチャード・デービスが大麻不法所持で逮捕され、契約を解除される。
西武とV争いを演じていた近鉄は代役の助っ人を探すことになったが、獲得期限は6月30日とあって、今から渡米している暇はない。そこで、中日の二軍で“飼い殺し”状態のブライアントを金銭トレードで譲ってもらうことになった。
降ってわいたような幸運に、「一軍でやれるのはうれしい」とVサインで喜んだブライアントは、近鉄移籍後に中西太コーチの指導で打撃が開眼する。
同年は74試合で37本塁打を記録すると、翌年は西武戦での奇跡の4打席連続本塁打など、リーグトップの49本塁打。9年ぶりとなるリーグ優勝の立役者になった。
日本で通算259本塁打を記録した助っ人も、一歩間違えば、人知れず二軍のまま消えていったかもしれない。改めて人間の運命の不思議さを実感させられる。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)